いらっしゃいました
リーデハルトは裏方事務処理担当のギルド職員である。鑑定担当から外され、受付担当から首にされ、表舞台から去った可哀想な青年が彼だ。担当変更の際、同担当の職員がギルド長に抗議したこともあったが、受け入れられることはなかった。
『黙れ小僧、お前に偏った仕事量を平等に振り分けることが出来るのか』
『わからない、でも、共に働くことは出来る!』
『働いてなかったらお前も首にしてるわ』
ギルド長とギルド職員の間でそんなやり取りがあったらしい。
ちなみにリーデハルト本人は「もう私にできる事は何もない。夜明けと共にここを立ち去ろう」と乗っていたのだが、普通にギルド長に無視されていた。残酷なことだ。
そして後釜に収まったのが後輩の職員。たびたびリーデハルトを呼びに行ったり呼び出したりしている男、名前をテオドシオという。
つい先日、笹を食ってるだけではない災害級Sランク男前ハードボイルドイケメン次元違いパンダのエグチに対応したのもテオドシオだった。
そんな彼は今、またもや災害級の対応に迫られていた。
「ねぇねぇ、りぃさまはぁ、どこにいるのぉ? ロコはぁ、りぃさまがぁ、受付だってぇ、聞いてたんだけどぉ?」
甘ったるく粘つくようなしゃべり方で、目の前の少女が話し掛ける。見た目は十八か十九そこらだろうか。
黒に近い紫の髪は肩につく長さで揺れており、髪色よりも濃い色のショートパンツからさらけ出された肌は白い。堅く丈夫そうなロングブーツが太股の半ばまで隠し、足踏みする度にカシャカシャと鳴り響いていた。
髪から垣間見える耳先は尖り、右頬の下側は赤紫の鱗に覆われている。何より特徴的なのはその瞳だった。色彩が反転しているのだ。本来なら白いはずの部分が黒く、虹彩は金。瞳孔は虹彩よりも濃く赤みがかっている。
その特性を持っているのは、人間よりも長い時を生きる長命種の竜人だけである。そして冒険者である竜人は一人しかいない。
災害級と呼ばれるSランク冒険者、【狂喜】のロコがそこにいた。
「りぃ、さま、ですか」
狼狽えながら前回と似た対応をするテオドシオの中で、思い出された記憶がある。
かつてソロで活躍し、名前は有名だが姿を知るものは限られている冒険者。災害と呼ばれるSランク冒険者に仲間意識を持たれていたが故に、Sランクに認定された唯一の良心。
かつてソロで活躍した稀代の冒険者。ランクは不明だが、高難易度のダンジョンを攻略し周囲から頼られていたにも関わらず、突如ギルド職員に転向した青年。
名前が知られたのは同時期だった。
活躍した時代は同じだった。
どちらも名前に女神を冠していた。
リーデを名乗る者はどれだけいただろうか。
Sランクに認定されて、突如姿を消した青年。
名を騙る偽物が現れ、それを糺し、鎮圧してきたのは誰だったか。
Sランクである帝王に助けられたギルド職員は。
Sランクである希少種に友と言わしめたギルド職員は。
そして今、Sランクである竜人に呼ばれるギルド職員は。
「リーデハルト、せんぱい、ですか……?」
「そぉ! ロコはぁ、りぃさまにぃ、ずっとぉ、会いたかったんだぁ」
氷解した謎に血の気が引く。テオドシオは痛む頭を押さえて、胸の内が冷えていく感覚を味わっていた。
まさか共に笑い合い、語り合い、時には悪ふざけに快く乗ってくれた青年が、元Sランク冒険者だったとは思わなかった。
Sランク唯一の良心に関わる噂はろくなものがない。
曰く、同胞から愛され過ぎて夜寝て起きたら一国が滅亡していたとか。気安く声をかけてきた王子御抱えの騎士団を地獄の底に叩き落としたとか。仕事として呼びつけてきた貴族を断罪し、その国だけでなく他国まで騒乱の渦に巻き込んだとか。
残酷で冷酷な血溜まりの中心で穏やかに笑う存在。話し合いが可能であり、常識が通じる相手であり、けれど決して理解できない人でなし。容易く脆い【良心】リーデハルト。それが噂に聞くかの冒険者の評判だった。
自分の考えに集中していたテオドシオは突然響いた轟音に驚いた。見れば受付のテーブルが端までひび割れ、埃が舞っている。木の破片が宙を漂い、拳一つ分の穴が空いていた。
「ねぇ、ロコがぁ、話し掛けてるのにぃ、なんでぇ、無視するのぉ?」
片手を振りながらロコがにこにこ笑っている。「聞こえないのぉ?」と言いながらテーブルに乗り上げ、テオドシオの目の前で手を振った。粘着質で甘ったるい声が耳について離れない。
ふと、瞠目した。唐突に気付いたのだ。自分と少女以外、誰もいないことに。
時間は昼前。朝は新たな依頼を求めた冒険者達で混雑するが、昼頃にはある程度落ち着いてくる。それでも人ひとりいなくなることはない。誰かしら宝物を換金しにきたり、人混みを避けて依頼を確認しに来る冒険者もいる。
それに、受付は二人体制なのだ。先ほどまで隣にいた職員はどこに行った。来客と職員を区切る長いカウンターで、人二人分の間を開けて配置された椅子。そこに座っていたはずの同僚は。
木の欠片が散らばっている。砕けたテーブルがさらにみしみしと音を立てる。目の前でロングブーツの影がぶれ、色彩が反転した瞳が己の顔を映す。裂けたような縦長の瞳孔に覗き込まれ、ひゅっと喉が鳴った。
「どうでもいいけどぉ、ロコ、りぃさまにぃ、はやくぅ、会いたいなぁ。ねぇ、ロコの言ってることぉ、わかんないかなぁ?」
甘く、熱っぽい少女の言葉を聞き終える前に、テオドシオは椅子を蹴倒して一目散に駆け出した。目の前で笑う形を持った恐怖に、彼は耐えられなかった。