出身地の話です
リーデハルトは神のために造られた器であり、人のために力を与えられた宝神器である。彼には性別もなく、幼少期の記録もない。誕生した記憶もなければ、両親というものも存在しない。意識あるその時から彼は「リーデハルト」だった。
「ハルトさんってどこ出身なんですか?」
俺山向こうのイビニスなんですよ、そう言って笑う後輩職員。
地元出身の冒険者が昇格試験に合格したようで、休憩中に給湯室に集まっていた職員達で出身地の話をしていたらしい。
僕は田舎出身だ、いや俺は帝都だ、と自らの出身地を語らう彼らに話を振られたリーデハルトは少し考える。
「んー、どこだったかな」
「顔の造形は雪の国ネージュっぽいですよね」
「髪と瞳は月民リュンヌで」
「話し方はグラキエースかしら? でもハルトさんってどこの国の言葉も訛らずに話せるから違うかも」
ぽんぽんと出されていく国の名前。どこもぴんと来ないリーデハルトは静かに微笑むだけだ。
「でも全部北方に位置する国々ですよね。創世の女神の信仰がある所だし、ハルトさん女神像に姿が似てますし」
「長命種なのは確かよね、昔から姿が変わらないし。北に住む長命種なら、ハイエルフとか、テフルとか?」
「耳が尖ってないから違うだろ。それにテフルなら子どもくらいの大きさだし」
「ハルトさん背が高いもんね。まだ未発見の希少種の可能性も……」
本人を前にしてどんどん展開されていく会話をスルーして、青年は作ったコーヒーを飲んでいた。
リーデハルトが造られたのはまだ神話が神話ではなかった時代だ。宝神器として配置されたのは数百年前で、実稼働したのは四十数年前。神の意思宿る宝神器の中で最年長でありながら新参なのがこの青年であった。
ちらちらと向けられる視線に笑いかければ、ぱっと目を逸らされる。耳まで赤く染まっている後輩に首を傾げれば「罪作り」だの「無自覚タラシ」だのと聞こえてくる。
「何やってんだテメーら」
「ギルド長!」
白髪を携えたギルド長が胡散臭そうな目をして職員達を見ていた。六十を過ぎるギルド長は元冒険者らしく引き締まった肉体をしており、低く渋目の声には威厳があった。
「今出身地の話をしてて、ハルトさんがどこの出身なのか聞いていたんです」
「ほー、そうか。ところで休憩時間終わってんだが、いつまでぐうたら休んでるつもりだ、ああ?」
凄まれた職員達はその気迫に真っ青になる。
急いで壁に埋め込まれている時計を見上げれば休憩終わりから十分ほど過ぎており、さらに血の気が引いた。
「まあまあギルド長。彼らも人間だからうっかりの一つや二つありますよ。熊みたいな貴方と一緒にしてはいけません」
「誰が熊だ! そもそも俺の見た目とうっかりは関係ねえだろうが!」
穏やかな表情を崩さないリーデハルトと、眉間に皺を刻み余計恐ろしげな顔になるギルド長。
いくら職員達も血の気が多いものが集まっているとはいえ、ギルド長は一つ次元が違う。常に威圧感と貫禄がある彼に軽口が叩けるのはリーデハルトぐらいのものだった。
「ったく、散れ散れ。さっさと仕事に戻れ」
「あ、はいっ!」
慌てて走っていく職員達を尻目に、リーデハルトはギルド長へと声をかけた。
「ね、ギルド長。私の生まれってどこに見える?」
「あ? 知らねえよそんなもん」
「なら登録の時、どうやって誤魔化したんだい?」
「……出身地は任意だろうが」
「苗字欄は記入したのに?」
にこにこ笑顔を浮かべるリーデハルト。さらに渋面になるギルド長。暫く黙って見詰めあっていたが、やがてギルド長は深い溜め息を吐いた。
「当時は名前さえ登録すれば良かったんだ。今の生命確認とか、ギルド職員の福利厚生とか、そんな考えなかったんだよ」
元々冒険者とはトレジャーハンターや探索者だけでなく、傭兵や騎士崩れ、あるいは働き所のない者達が犯罪者とならないように受け皿としての機能を持った職業だった。
宝神器の発見や魔物の討伐、素材回収といった実績と功績をあげるにつれ冒険者という一つの職業として確立したのだが、今もまだその地位は低い。
貴族の多くはいまだに冒険者を犯罪者予備軍の使い捨ての駒として見ている。ギルドカードも冒険者管理の意味合いで作られており、昔は身分証とは名ばかりの監視カードだった。
それが魔道具の発展や高文明の宝神器の発見と共に変わっていき、現在は徐々に地位を向上している段階なのだ。
リーデハルトの見た目が神話の女神に似ていようが、四十年以上経っても姿が変わらなかろうが大きな話題にならないのは、冒険者という職業が冒険者になってからの信頼を重要視しており、それまでどのように過ごしていたのかは関係ないからである。
どこで産まれ育ったのか、青年には答えられない。産まれた時から彼は今の姿のまま、変わることはない。
しかしその心は、思考は。人と過ごす内に変化していく。
「拾ってきた時、質問は受けなかった?」
「冒険者間で詮索はマナー違反だろ。暗黙の了解ってやつだ。ギルド職員に取り立てたのは先代だしな。俺の管轄じゃない」
溜め息を吐いて肩をほぐす男を見やる。
随分と年を取った。出会った当初はまだ少年と呼ばれる年齢であったのに、今や還暦を過ぎている。額には皺が刻まれ、目の影が濃くなった。
冒険者ギルドの職員になってからダンジョン探索や討伐依頼を受けなくなり、現役時代より体力は衰えているだろう。
最近では深呼吸するだけで咳き込むほどに老いている。
「ますたーも、人なんだね」
小さく呟かれた言葉を、人間のヘレンテが聞き取ることはなかった。