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癇癪

 声がこだましている。さざめくように、さんざめくように。ひきつれたような笑い声が聞こえている。

 青年の傍らにある魔方陣が点滅し、這い出るように一人の老爺が姿を現した。


「ヒ、ヒヒ、ヒ、懐かし、なあ、ヒヒ、ヒ、怨めし、なあ」


 息を吸い込むような笑い声は嗄れており、呪詛の言葉を吐いていた。


 老爺の顔には包帯が巻かれている。首も、腕も、足も、衣服から覗く全体が包帯で覆われていた。所々露出した皮膚は染みだらけで、深い皺が刻まれている。折れ曲がった姿勢を使い込まれた杖で支えていた。

 老爺はリーデハルトを見遣ると掠れた笑い声で問いかける。


「さて、御前よ。アレは如何する。ヒヒ、(たお)せば、宜しいか、のう」


「従えないのなら救えないからね。エフィメラの好きにすればいいよ」


「ヒヒ、相、解った。やれ、出て来やれ。御前がお望みだ」

 老爺が一度杖をつくと、部屋を覆うほど大きな魔方陣が鳴動した。


 まるで揺蕩う炎のように、透明の翅を持つ蟲が現れる。三つの単眼と一対の複眼が頭の大部分を占め、ツィオの姿を映していた。触角はごく短く、前翅は大きく発達している。後翅は小さく鱗片状になっていた。


 エフィメラに召喚されたそれは、蜉蝣だった。

 命を燃やして生きる哀れな蟲。その寿命は至極短く、たったの一日しか生きられない愍然たる蟲。


 蜉蝣はエフィメラの命令に従って、前翅を大きく羽ばたかせる。風圧の衝撃で青年を閉じ込めていた檻の柵が壊れた。赤黒い靄が払われて、床に転がっていた遺体が部屋の隅へと押しやられる。


「いや、来ないで……! 気持ち悪い……っ」


「ヒ、ヒッ、ヒヒヒッ、どの口が言うておる。その口か、(ぬし)の口か。やれ、愉快よなあ、浅ましなあ、ヒヒッ」


 ツィオの赤い長髪が風に弄ばれる。拒絶するように腕を突き出し目を煌めかせれば、集めた血液が盾のように女を覆い隠した。金の瞳が一層輝いている。


 魔方陣の大きさに比べれば遥かに小さく、それでも部屋の三分の一を占める蜉蝣は、華奢で細長い前脚をツィオへと伸ばした。

 前肢がツィオに触れた途端、一気に女の皮膚がひび割れる。張りのあった肌が垂れ下がって皺だらけになり、まさしく萎れた花のように枯れていく。


 蜉蝣の触れた一部分だけが命を奪われていた。一部分だけが老いて、見目の美しさと掛け離れていく。


 美しさを求めた女は耐え難い光景を目前にし、絶叫した。もはや盾すら解いて血液を自身の肌に浸していく。

 それでも老いは止まらない。乾きは止まらない。それはさながら、吸血鬼に血を奪われた亡骸のようだった。


 蜉蝣が動く。女に、ツィオに触れていく。血が奪われる。命が奪われる。水分が奪われて、瑞々しい美しさが失われていく。


 女が嘆く。女が怒る。赤い髪を振り乱し、長い爪で掻き毟る。噛み締めた唇が千切れ血が溢れ出す。血走った目が大きく見開かれ、瞳孔は小さく鋭く狭まっていた。

 女は叫ぶ。女は狂う。赤い髪を引きちぎり、長い指に絡まった。開かれた唇が裂傷を拡げ血が溢れ出す。目頭から目尻まで赤い涙が盛り上がり、頬を汚してこぼれ落ちる。


「どうしてこんなことをするの!? 私が何か悪いことをした!? 私はただ、美しくなりたかっただけなのに! もう一度褒めて欲しかっただけなのに! 何で私がこんな目に合わなきゃいけないの!」


 ツィオの怒りに青年は沈黙していた。その瞳は凪ぎ、僅かな感情の揺らぎさえ感じさせない。口角は緩やかに上がったまま、穏やかな笑みを称えていた。場違いな雰囲気は女の怒りを増長させる。


「何よ、何なのその目は! あなただって同じじゃない! Sランクだなんて良いように言われて、その実ただの人殺しじゃない! 貴族でもないくせに! 何が違うのよ、何も違わないでしょう! 人殺しのくせに、犯罪者の集まりのくせに、何であなた達は許されて私はこんな目に合わなきゃいけないのよおお!」


 血を滴らせながら女は怒り狂う。

 リーデハルトは笑った。純粋に、柔らかく。難題に挑戦する幼子を見守るように、道に迷い狼狽える子に順路を教えてやるように。仕方ない子に接するように、優しげで温かく笑っていた。


「許されてなんかいないよ」


 青年の言葉に女は止まる。開ききった瞳孔が青年を捉えていた。


「彼らと君の違いを教えてあげようか」


 笑う、嗤う。和やかに。指折り数えて諭すように。口許に手を当てて、小首を傾げて鮮やかに。場にそぐわぬ可愛さを称えて愛らしく微笑む。


「それはね、私が愛したか否かだよ」


 青年はその場から動かない。貼り付けた笑みが妙に寒々しい。ちぐはぐで整然とした人形が、真っ直ぐに女を見詰めていた。

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