赤色
血臭に満ちた淀む空間に、一筋の光が差し込んだ。金色の目が真っ直ぐに青年を見詰めている。
「……何をしていらっしゃるの?」
公爵の姪であるツィオがそこにいた。
艶やかな赤髪をたなびかせ、ゆっくりと地下室の中央まで歩み寄る。啜り泣く伯父に気付くと目を見開き、絶句して口許を押さえた。
力が抜けたようによろめき後ずさる。漏れ出た声は言葉にならず、弱々しく空気に溶け込んだ。潤んだ瞳が青年を捉える。包帯を巻いた腕が震えている。
「そんな、どうして……」
発した言葉は密やかで、口に籠っていた。普通の人間であれば聞き逃してしまうだろう呟きを、青年は黙したまま聞いている。
どうして、なんで。
ツィオはひたすら疑問を紡ぐ。青年を見詰める瞳が煌めいていた。
何故、そんな。
ツィオが俯き震えている。両手を耳に当てると首を左右に振った。
こんな、どうして。
ツィオがゆっくりと顔をあげる。その表情は儚げで、哀愁に満ちていた。
「……どうして、死んでくださらなかったの?」
小さな唇から言葉が溢れる。どうして、なんで。疑問を呈するごとに金の瞳が輝いていく。
「生き血を捧げてくださるのですか? いいえ、違いますよね。だってあなたの中身、何も無いんだもの。腕のそれは本物かしら? 四肢には血が流れていらっしゃるのね。ああ、良かった。血液がないなら呼んだ意味もなくなるのだもの。おじ様ったら、遊ぶだけ遊んで役目も果たせないなんて、本当にどうしようもない人」
ツィオが振り向く。伯父を見詰める。瞳が煌めき、輝いている。
啜り泣く声が止まり、ひきつれた声に変わった。非難するように、懇願するように。公爵が姪に叫びかける。
「俺は、役目通り呼び出しただろう!? 動きだって封じて、檻に閉じ込めた! これ以上は契約にないだろう!」
「閉じ込めているおつもりなんですのね。おめでたい人。私は血さえ頂ければそれで良かったから、肉体は好きにすればいいと申しましたけれど……切り刻んで切り開いて垂れ流しにさせて……。……どうしてそんなに無駄にしてしまうの? 何のためにあなたを当主に据えたと思っていらっしゃるの? 本当、使えないのね」
ツィオが凍てついた目で公爵を見る。冷めきった声で言葉を紡ぐ。
「別に私、あなたでも構わないのよ、おじ様」
公爵の動きがぴたりと止まった。驚愕で見開かれた目が姪を映している。呼吸すら忘れて姪を凝視している。手足が小刻みに震え、唇が戦慄いている。
憐れなほどに怯え出した伯父に目もくれず、ツィオはリーデハルトに顔を向けると控えめに微笑んだ。初めて出会った時と同じように儚げな笑みを浮かべながら、図々しげな言葉を放つ。
「ごめんなさい。お待たせしてしまったわね。私、美しい人の血が必要なの。ほら見て、この腕」
ツィオが腕の包帯を解く。現れた腕は他の部位とほぼ変わらない白さだったが、よくよく見れば微かな皺が出来ていた。じっくり見つめなければわからないそれを指先で撫でながら、ツィオは眉を下げて瞳を伏せる。悲壮感漂う姿は庇護欲を誘った。
「こんなに醜くなってしまって……おじ様が定期的に捧げてくださらないから……。貴族たるもの、常に美しくなければならないのに……。何のために父を弑して伯父を当主に据えたのか、ご理解頂けてなかったみたい。私、困ってしまいます」
女性は頬に手を当て溜め息を吐いた。憂いに満ちたすべてが退廃的で、言葉にし難い艶やかさを感じられる。
切なげな雰囲気のまま公爵に近付けば、そっと流れ出る血液に触れた。
公爵の顔が苦痛に歪む。見開かれた瞳が裏返り白目を向く。弛緩して床に崩れた肉体に何ら関心を示さず、ツィオはただ血液に夢中だった。
彼女が両手で器を作れば、公爵の流血がそれに注がれていく。意思を持っているかのように血が蠢き、女性の華奢な掌に収まっていく。
両掌に収まった血溜まりを恍惚と見詰めれば、ゆっくりとそこに顔を浸した。血溜まりがずるりと顔に吸収されていく。浸透していくように少しずつ量を減らし吸い込まれていく。
血溜まりが綺麗になくなってから、ツィオは吐息を漏らしながら顔をあげた。元々薄かった腕の皺が消えている。肌に張りができ美しくなっている。
自分の頬をぺたぺたと触っていた女性はにっこり笑うと、黙って見ていた青年に懇願した。
「おじ様も綺麗な顔をしているけれど、やっぱり足りないわ。あなたの血、くださらないかしら」
災厄の令嬢として、高慢で傲慢な女がそこにいた。