表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/71

胎内

 リーデハルトはヴリコス公爵に目を向けると、その場にそぐわない穏やかな笑みを浮かべてみせた。

「いいよ。全部、奥の奥まで見せてあげる」 


 立ち上がった青年はローブのあわせに指をかける。結び目をほどけばとさりと足元に落ちる。飾りボタンのついたチェック柄のジレを脱ぎ、青みがかったドレープブラウスをはだけさせる。

 アウターを脱ぎ捨てれば体にぴったりと張り付いたインナーが晒された。濃紺のそれは青年の肌の白さをより引き立たせている。


 恥じらいも躊躇いもなく投げ捨てられた衣服が床に散らばる。タイトパンツに脹ら脛までを覆うジョッキブーツ姿になった青年は、そっと下腹部に手をあてた。

 臍の下から押し込むように腹を押し上げる。ゆっくりと、時間をかけて、見せ付けるように。指先で腹をなぞり胸へとたどる。下腹部から鎖骨の中心まで白い指を滑らせる。


 みしりと軋む音が鳴る。滑る指先を追うように、白く薄い肉体がひび割れていく。

 臍から胸にかけて肉が開く、肉が裂ける。亀裂が走り深淵が開かれる。なぞるように辿るように、華奢な指先が上へ上へと進む度、胎の内が開かれる。

 左右に拡げられ奥まで覗く深淵に浮かぶは、赤黒い一つの魔方陣だった。


 胎内に刻まれた魔方陣が点滅する。明暗を繰り返し、浅黒い靄が広がっていく。這いずるように引き摺るように、地面を覆う靄が形を成す。


 胸の内で、きちきちと声がこだましている。さざめくように、さんざめくように。胎の中から、きいきいと鳴く声が聞こえている。


 無数の羽音を響かせて、無数の触手を動かして。あるいは無数の脚を蠢かせて。現れるは蟲。千も万も及ばない夥しい蟲が床一面を覆い尽くす。

 檻を抜けて侵食する。男の足元までたどり着き、その足先から這い登る。


 公爵は慌てて脚衣を叩き、払い、足元の蟲を踏み潰す。だが数は一向に減らない。魔方陣から靄が流れる。淀んだ空間に際限なく蟲が現れている。

 苛立たしげに蟲を睨み付けていた男は、かっと目を見開いた。瞬間視線の先が煙を立てて蒸発する。黒く埋め尽くされた床に一瞬の空白が出来るが、すぐに夥しい数の蟲に覆われた。


 青年が嘲るように嘲笑うように、大きく口を開いて舌を出す。挑発に怒るヴリコスは、しかし意図に気付き蒼白となった。

 舌に刻まれた魔方陣が黄金に輝いている。浮かび上がるようにゆっくりと召喚されたのは、魔方陣と同じ大きさの雀蜂。黄と黒に彩られた腹が反り曲がり、公爵へ向いていた。


 長い針から透明の液体が落ちる。煙を上げながら床が溶けた。畳まれた羽を伸ばし飛び立つ。低くも小さな羽音が響く。見せ付けるように、けれども捕らえられないほど速く羽ばたいている。

 一直線に向かうのは、標的と化した公爵のうなじだった。


 格子状の檻の隙間は小さいが、召喚された雀蜂が通るには大き過ぎる。

 顎の動く様が見える。二本の触覚が動く様が見える。三つの単眼と二つの複眼が男を捉えている。茶色と透明の四枚羽を動かして迫ってくる。

 男が息を飲む。空気を飲み込み喉が鳴る。飛ぶ雀蜂を睨み付けるが、じぐざぐに動いて公爵の視線からひらりと逃れた。羽音が部屋に反響する。飛び回る姿に焦点が定まらない。

 不利な状況を理解した公爵は震える足を動かして、外に出ようと走り出す。だが、雀蜂に比べ何と遅いことか。


 瞬き一つの合間にうなじへ取り付いた。いくつもの棘が生えた六本の脚が、男の肉に食い込んでいく。強靭な顎がうなじに食らい付き、肉を食む。男が悲鳴をあげた。

 転がりながらも引き剥がそうと、ヴリコスは手を伸ばす。掴まえようとした指先を食いちぎられ、絶叫した。


 悶え苦しむ公爵は、しかし雀蜂とってただの餌でしかない。鋭い毒針から液体が滴る。首筋にかかると一瞬で肌が爛れた。


「離せ! 俺は、こんな所で……!」

 こんな所で死にたくないと男が喘ぐ。苦しむ息を声にして吐き出す。だが無情にも、やけにゆっくりとした動作で毒針がうなじへと突き刺さった。


 公爵の体が一度だけ跳ねた。もがいていた手足が急速に力を無くし、床に落ちる。悲鳴をあげていた口から血混じりの泡を吹き出している。


 それでも男は死んでいない。否、死にたくないと願ってしまった。

 どれだけ苦痛に襲われようと、どれだけ激痛に苛まれようと。人のための道具の前で、真実、心から。死にたくないと思ってしまった。

 啜り泣く男から飛び立った雀蜂が、青年の足元に着地する。顎の噛み合わせる音と、肉を食む音が続いていた。


 青年は黙って見詰めている。男を。靄を。蟲を。空間を。暗闇の中で思い出したように瞬きを繰り返す。耳を済ませる。


 頭の奥で、きちきちと声がこだましている。さざめくように、さんざめくように。深い底から、きいきいと鳴く声が聞こえている。

 檻の中には、至るところにばらばらの遺体が転がっている。檻の外では、男の嘆く声が聞こえている。足元の靄は凝り、血溜まりのように赤黒い。流れていく靄は蟲となり、漣のように揺蕩っている。


 真っ暗な空間に光が差し込む。暗闇に慣れた目が金色を捉える。

「……何をしていらっしゃるの?」

 そこにいたのは、公爵の姪であるツィオだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ