報告しましょう
リーデハルトはよく自室に侵入される元Sランク冒険者である。部屋に鍵はついているのだが、災厄級の彼らが一般的な蝶番を破壊できない訳がない。寝惚けた彼らに鍵を破壊されたり侵入されたり。起きたら隣で誰かが寝ていたのは一度や二度ではなかった。
部屋への侵入を禁じたこともあるのだが、その際ミスティとシアンの子ども二人組が扉の前で寝ていた。肝が冷えた。
すぐに呼吸と心音を確かめて生きていることを確認し安堵したが、それ以来侵入を辞めさせることは諦めている。
毛布すら掛けず床に丸まっていたのだ。ぞっとするし心臓に悪い。青年は身内にとことん甘かった。
リーデハルトは目を擦りながら、隣で寝ていた男に視線を向ける。
「おはようございます、ボス」
締まりのない顔で挨拶するルプスは、妙に短い尻尾を音がするほど振っていた。ばたばたばたばたと左右に勢いよく振られている尾を無意識に掴むと、きゃうんと甲高い声で鳴く。完全に仔犬のそれであった。
青年へ向けてぴんっと立った狼耳が、尻尾を撫でられる度にぴくぴくと震えている。リーデハルトが頭に手を置こうとすると、事前に耳がすっと下げられた。
触れずにいると、伺うように片耳だけぴこりと立ち上がる。触れかけると再びすっと下げられる。何度か繰り返すとねだるような目を向けられた。
犬猫にするように耳から頭まで撫で回してやれば、ぐるぐると甘えるように喉を鳴らしている。完全に仔犬のそれである。
「セイントはまだ帰ってきてないのかな」
「わたくしはここにおりますわ!」
疑問を声に出せば途端に扉が開かれた。意気揚々と現れたのは、黒の下地に白金の刺繍が施されたエプロンを身に付けたセイントだった。天空華グラジオラスが描かれたそれは彼女のお手製である。
グラジオラスという花は実際に存在している。しかし現在、俗世に出回っているものと天空華グラジオラスは別物だ。
グラジオラスの由来は古代語で「剣」を意味するグラディウスであり、葉の形が剣に似ていることから名前が付けられている。
天空華グラジオラスも同じで、元々は名前がなく「空想華」や「天空華」と呼ばれていた。その後、葉の形が剣に見えることからグラジオラスと称されるようになったのだ。
実物を見たことがあるのは神話の時代、神に加護を与えられた限られた人々だけだ。
彼らによって天空華グラジオラスは「空気に解けるような淡い大輪の蓮華に似た花を、幾重もの剣が守っている」形だと伝えられている。
リーデハルトの苗字にもなっているグラジオラスをあらゆる私物に刺繍しているセイントは、青年の隣で尻尾を振っている獣を見て眉をひそめた。
「まあ、何という浅ましいけだものでしょう。ハルト様、今夜はミートパイにしませんこと?」
「あァ? 生臭女がほざくなよ。悽女じゃなくて腥女だろうが」
「腹に石を詰められたいのかしら?」
「丸呑みにしてやろうか?」
視線だけで文字通り火花を散らす二人を眺めながら、青年は静かにあくびをしていた。
頭が前後し今にも眠りそうだ。うとうとと船を漕いでいるリーデハルトは、セイントを呼んだ目的をやっと思い出す。
「あ。セイント、昨日はありがとう。ラントには無事届けてくれたかな?」
顔をしかめていたセイントは青年の声にぱっと視線を向ける。蕩けるような極上の笑みを浮かべると、祈りを捧げるように胸元で両手を組む。
「ご安心ください、無事に無傷で届けて参りました。問題も起こしておりません」
どうか褒めてくださいまし、と言いたげな、けれども、使命を果たして当然です、とも言いたげな。何とも複雑な感情に葛藤している彼女の様子に、青年は寝起きの柔らかい笑顔を送った。
「そうか、流石だね。君に頼んで良かった」
「いいえ、そんな、光栄ですわぁ」
頬に手を当て耳まで紅く染めた彼女は、至極嬉しそうに嫣然として身を震わせる。艶やかに微笑む様は麗しく、見る者すべてを虜にしそうな美しさであった。
しばらく褒められた喜びを噛み締めていた彼女は、報告ついでに預かっていた伝言を思い出す。
「そういえば、帝都冒険者ギルド本部のギルド長がお越しです」