運搬
「ハルト様がお手を煩わせる必要はありませんわ。わたくしがラントのギルドへ捨てて参ります」
セイントは崇拝するリーデハルトへ自分が荷物を運ぶことを提案した。金色の大きな瞳を潤ませ、胸元で組んだ両手が豊満な双球を押し上げている。ベールに隠れていたブロンドの髪が落ちて頬にかかる。神に仕えるがごとき清貧な姿は貞淑な修道女のそれであった。
セイントの思考は単純だ。信仰する神であるリーデハルトの意向に沿うか否か、それが彼女の行動選択の基準である。
敬仰する青年が不躾にも勧誘しようと声をかけた男を許すならば、セイントもまたその男の罪咎を赦す。恭敬する青年が腕を食んだ獣を許すならば、セイントもまたその獣の罪業を赦す。
青年が気にも留めていない事柄ならば、先手を打ってその行き先を塞ぐものを払う。
彼女がリーデハルトに心酔する理由は助けられたから、それだけだ。それだけが彼女にとってはすべてだった。
セイントが災厄の力を手に入れたのは他のSランクと異なり、生まれつきではない。元は清楚で高潔で、人よりも少しばかり熱烈に唯一神を信仰していただけの修道女であった。
欲を持たず質素でストイックに修行に励み、異教を信仰する存在は哀れで過ちであると考える。そんな思考を持っていたが故に、彼女は任命されたのだ。宗教家として唯一神を布教せよと。邪教を信じる者達を救済せよと。
神からの使命だと授けられた言葉に、セイントは喜んで従った。災厄の力を手に入れたのは、植え付けられたのはその時だ。
神の意思であると飲まされた魔核は心臓に根をはり、彼女の力となった。神の意思であると与えられた宝神器であるグローブを両手にはめられ、外すことを禁じられた。
手を汚し身を汚し、それでも信仰する神のためにと心を殺した彼女に待ち受けていたのは救済ではなかった。
人々に自らが信仰する宗教こそが邪教であると定められた。人々に彼らこそが悪魔であると決め付けられた。
神のために、信仰する宗教のために。身を粉にして働いた彼女を仲間は糾弾した。彼女こそが諸悪の根源であると。異教徒を嘲り手にかけたのはすべて彼女の独断であると。
魔女ではないかと水に沈められた。魔女であると火炙りにされた。魔女として磔られ石打たれ、白杭に胸を貫かれた。
同じ信者として生活していたシスターは皆、己の私財を奪い去った。神の言葉を賜ったと指示した司祭は、己の身体を汚した。心も肉体も捧げ信仰していた神は、己を一度も助けてはくれなかった。
十字架を背負い壊れて死に逝く己を皆が見捨てる中、彼だけが手を差し伸べてくれたのだ。
悪魔だと定められた自分。魔女だと決め付けられた自分。それを救う所業は確かに大罪であった。それでも青年は顔色一つ変えずに言ったのだ。
――生きたいなら一緒に来ないか?
命を救い、傷を癒し、居場所を与え、新たな人生をくれたのは。
血に染まったグローブを褒め称え、汚れた肉体を綺麗だと賛辞し、壊れかけた心を直してくれたのは。
信仰していた神ではなく、人でなしの青年だった。
悪事に身を浸した己を救ってくれた彼が為すのなら、その悪逆を肯定しよう。血に染まった己を助けてくれた彼が望むのなら、その悪辣を支持しよう。
災害級として正邪を理解し得ないSランクの中で、セイントは善悪を知っている。倫理を持ち合わせている。規律も規範も具有している。その上で悪虐に恭順する彼女は、病んでいる災害級の中で最も狂っていた。
リーデハルトが不敬な男をラントのギルドへ届けると言うのなら、自分が代わりに行おう。わざわざ青年が手を煩わす必要はない。
ルプスと違って、彼女は男を殺したいから追いかけた訳ではなかった。男が神の行く末を邪魔する可能性があるから、追いかけて殺そうとしただけだ。
ここまで心身ともに追い詰められたなら、今後崇拝する青年の道を妨げはしないだろう。何より心酔する彼が無事に送り届けるよう願うなら、傷一つ付けず運搬してみせるくらいの分別が彼女にはあった。
「そう? ならお願いするね。ありがとうセイント。頼りにしているよ」
リーデハルトはそうセイントに伝えると、荷物のように持ち上げていたイルを彼女に渡した。代わりに蹲るルプスを抱き上げると転移を使ってその場から掻き消える。
残されたセイントはイルを赤子のように大切に抱き抱えると、ラントの冒険者ギルドまで駆け出した。その表情は喜色に満ちていた。
崇敬する神のごとき青年に礼を述べられ頼りにされている。これ以上歓喜することがあるだろうか。命を賭して果たしてみせるとも。
彼女にとっての使命とは、文字通り命を使うことすら躊躇わない責務なのだから。
その後Sランクに無傷で届けられた職員に、ラント冒険者ギルド本部が騒然となった。しかし彼女には関係ない。すぐさまギルドを辞し、リーデハルトへ報告に向かった。
目を覚ましたイルはラントのギルド長から何があったのか説明を求められたが、全身を震わせ蒼白になりながら黙秘を貫いた。彼がその日の出来事を語ることは生涯なかった。