少年の選択
美しい人形に名前を呼ばれ、少年はぼんやりと考える。
ここまで来るのにモンスターどころかダンジョンのボスにすら会わなかった。それなのに宝物殿だろう最深部のここまで、いとも簡単にたどり着いた。その先にいた美しい青年。
もしやこれは何かの罠ではないか。はたと気付いた少年へ、人形は親愛を込めて笑いかける。
「罠を疑っているのかな。私以外には何もないから、心配しなくていいよ。むしろ何もないから問題なんだけど」
対面する青年はふわふわと柔らかい空気をまとっている。少年は毒気を抜かれながらも、辺りを見回してトラップの有無を確認した。それを特に気にした様子もない人形は、相変わらず親しげな笑みを崩さない。
「迷宮、ダンジョンが魔力溜まりに発生するのは知ってるよね」
突然何だと思いながら少年は首肯する。
「ダンジョンの奥に特別な道具があることも知ってるよね」
宝神器のことだろうか。少年はまたも首肯した。
「その前にダンジョンボスがいることも知ってるよね」
三度首肯する。ダンジョン研究者の間では宝神器の守護者ではないかと仮説を立てられているモンスターだ。
「この迷宮のボスと宝神器が私ね。兼ねてるんだよ、凄いだろう。それでね」
「ちょっと待て」
ん? と首を傾げた青年に男は突っ込まずにはいられない。あまりにも簡単に済まされそうになったが、目の前の存在がこのダンジョンのボスだと。
ならば今ここでいつ戦闘が起きてもおかしくはない。少年は焦燥して、腰に着けたダガーを引き抜き構えた。
人形は男の行動を不思議そうに見ていたが、ああと何かに思い至ったようでひとつ手を叩いた。
「戦うことはないから安心して。私はただここから出たいだけなんだよ」
「ダンジョンボスが外に出る、だと」
それではまるでスタンピード、魔物の大量暴走によるダンジョン外への侵攻と同じではないか。その割にはモンスターがいないが、もしやこの存在が自由自在に召喚出来るのだろうか。ぼんやりしていた思考を振り払い、鋭い目を向ける少年に人形は困った顔をした。
「外に出たい、というよりは契約がしたいのだけれど……どうしようかな」
ふうと息を吐いた青年は、無造作に片手を持ち上げると下へ振り下ろした。
途端に少年の周りの空気が重くなり、体が沈んだ。地響きが鼓膜を震わせ、小さな土塊がいくつも宙を舞う。構えたはずのダガーは、いつの間にか青年の足元に揃えて並べられていた。
地面が割れるほどの重力に、骨の軋む音が混ざる。苦悶に声も出ない少年を見て、人形は慌てて魔力を抑えると重力を弱めた。
「うわやっべ。やり過ぎた」
これだからオートモードは駄目なんだよ。一人呟く人形。
それを聞いたヘレンテは、この人形は意外と口が悪いんだなと思った。
どこにも余裕などないのに、下らないことを思う自分に自嘲する。やっと動かせるようになった顔だけを上げて青年を見ると、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「本当にごめんね。設定が変更できていないから、制御が利かなくて。それでどこまで話したっけ」
「お前が、ダンジョンボスで、外に出ると」
途切れ途切れに告げれば、ああそうだったねと青年は思い出したように続けた。
曰く、ダンジョンボスは自然発生した他のモンスターとは異なる存在であると。
曰く、ダンジョンボスとは宝神器の所有者を選定する存在であると。
曰く、宝神器は人にダンジョン内のモンスターを倒させるための道具であると。
「そのために私も配置されたんだけどね、力が強すぎて。大地の魔力を吸い過ぎてしまって、地脈が変わりかけてる」
魔力溜まりが変質して発生する迷宮。宝神器はその魔力を使用し、能力を維持している。
所持者が定まれば所持者の魔力を使用するが、所持者がいない宝神器は魔力がなければ存在し続けられない。
リーデハルトは配備された当時、地脈の魔力を使用して存在を維持していた。
しかし六柱の手により造られた彼は、多くの権能を持っているが故に、魔力の消費が激しかった。
人にとって便利であるものをという概念で作られた宝神器だが、作成者である女神達は人ではない。その性能や設定は女神達の思い込みによって、微妙に不便な仕様になっていたのだ。
誰かに所有されれば契約によって魔力の消費率を変えられるのだが、初期の段階では設定が自動である。そのためリーデハルトは、いち早く誰かと契約しなければならなかった。
魔力の過大消費でモンスターすら発生せず、ダンジョンの形成も中途半端。このままでは地脈が枯渇し周囲にも影響が出ると焦った彼は、近くにいる人間から所持者に相応しい存在を探した。
そうして見付けたのが、整備士で冒険者の少年ヘレンテだった。
ただの冒険者よりも整備知識のある存在の方が、自分のメンテナンスもしやすいだろうと思ったリーデハルト。可及的速やかに所持者を決定しなければならない彼にとって、その少年はまさに都合が良かった。