神話が登場しました
リーデハルトはギルド長室で椅子に座りコーヒーを飲んでいた。隣ではギルド長が疲れたように簡易ベッドに座り込んでいる。斜向かいで腕を組むアフトクラトルへ青年は上機嫌に笑いかけた。
「久し振りだねクラトル。元気そうで何より」
「黙れ」
即答である。
「大体貴様あの様はなんだたかだかBランクの有象無象風情に脅され震えるなど笑止我等Sランクは其処の路傍の石ころ共とは根本的に存在価値が異なるのだそれを貴様はへらへらと周りに合わせ流され同調するなど己の価値をわかっているのか貴様の力は我等の中でも最も尊く気高く神成るものであるはずだそうでなければならぬのだそれを貴様は人と馴れ合うばかりで全くもって自覚が足りない貴様は他の有象無象共とは違うのに何故それがわからぬ何故理解しないあんな不埒な恥知らずの実力もわからん底辺に侮蔑され何故否定しなかった何故笑っていられる何故我等の誇りを貶められたのに何故貴様は憤らない貴様なら塵も残さず消せるだろうそれを肩を震わせ涙まで浮かべて何故怯える何故だ何故貴様は己の価値を見出ださないのだ何故貴様は自覚がないのだ何故ここまで一方的に罵られて平然としているのだ何故否定しない何故拒絶しない貴様かそうだから俺はいつまで経っても理想を棄てきれないんだ貴様が一言拒否するならば棄てられるはずのこの望みを俺はどうすればいいんだ!」
アフトクラトルは大分拗らせていた。
尊敬も過ぎれば崇拝となる。崇拝は人を神足らしめる。人を神足らしめるということは、その人間性を否定することと同義である。
彼はリーデハルトの人間性を否定した。盲目なまでの敬愛を捧げ、青年自身の意思を無いものとして扱った。
本来なら簡単に綻び崩れ去る憧憬にも似たそれを、彼は長らく抱き続けた。崇拝した偶像が否定も拒絶もせず、矛盾を内包してもなお輝いていたが故に。リーデハルトに自覚はまったくないのだが、アフトクラトルにとってリーデハルトは己を導く神そのものだったのだ。
「リーデの名を冠し、天空華グラジオラスを戴く貴様が! 何故人の世に紛れねばならぬのだ!」
リーデというのはこの世界において創世神の名前を指す。グラジオラスは神話に登場する神の御座に咲くと言われる花の名だ。
創世神リーデは世界を愛し人を愛し、故に自らの独裁を憂えた。そうしてかの女神は自らの御魂を六つに別つ。
一つは主神に最も近しい慈愛と豊穣を司るリーデカリス。
一つは知恵と芸術を与えた文明を司るリーデエア。
一つは戦いと死、勝利の栄光を司るリーデアナト。
一つはあまねく混沌を司るリーデオス。
一つは正義と平和を司るリーデフォルセティ。
一つは宿命の担い手、運命を司るリーデクラ。
彼女達が愛し、彼女達を癒したとされる天空に咲く華グラジオラス。
創世神を信仰する者にとって名前にリーデを冠する、または姓にグラジオラスを戴くのは一般的である。通常はどちらか一方を適用するが、信心深い信徒の中には名と姓共に神に通ずる名称を組み込む者も多い。
特に世界の北方に位置する国々は最後まで女神が手を掛けた神に通じる国だと言われているため、たいていの者が名前や姓にリーデかグラジオラスを冠していた。
リーデハルトは北方出身ではないし自分の名前に深い興味を持ってはいないのであまり気にしたことはない。しかしアフトクラトルにとってリーデハルトは崇拝する神に等しい存在であり、そんな彼が神の名を持つことはまさしく運命だと思い込んでいた。
もはや誰も聞いていないのに滔々と持論を語るアフトクラトル。熱量と情熱が凄まじく明後日の方向を向いている主張を、リーデハルトはうんうんと頷きながら背景音楽のように聞き流していた。