詠唱ってやっぱり最高
魔法ってなんて素晴らしいんだろう。そう思ったのはもう随分昔のことだったと思う。
あるときは何も無いところから炎を生み出し暗闇を明るく照らし、またあるときはつぶてを飛ばして鳥や魔物を追い払う。そんな光景を生まれたときから目にして来た僕は、その便利さと画期的な存在に魅了されていた。
もはや当たり前となった魔法という存在に、同年代は愚かこの世界の人々は殆ど興味もなく、生活のためや力の誇示の方法としてしか、魔法というものに向き合っていなかったのだが、僕はそんな魔法にどんどん惹かれていったのだ。
あるとき、祖父にこの話をしたところ、僕が魔法に興味を持ったことが嬉しかったのか、魔法についてとても詳しく教えてくれた。祖父がまだ若いときは、魔法も今ほど普及しておらず、その種類も少なかったという。だからこそ、研究者達はこぞってその魔法の謎を解き明かそうと日夜研究にいそしんでいたのだと。
魔法について詳しく聞いたことで、僕は魔法の中で特に興味のある分野を見つけることが出来た。僕はその分野を研究する学部に入学し、俗に青春と呼ばれる数年全てをその研究に費やし、そして今日、晴れてその学部を卒業した。これからは研究で培った知識を元に、外の世界を旅し、より高度な研究をしていくつもりだ。
そう、何を隠そう僕が研究している分野とは――。
「うわ、外の日差しが眩しいなぁ」
降り注ぐ光を腕で避けながら、ものの見事に普通な台詞を呟く。しかし、外の光でこれだけやられるのにも理由がある。
そもそも、魔法研究の学部は何故か地上ではなく、地下に建設されたこれまたとんでもない規模の施設で行われている。学部での数年間の研究生活は常にその施設で行われていたため、僕にとって地上の光は人生における四半世紀ぶりとも言えるのだ。これだけ堪えるのも無理はない。
「あれ、もしかしてイアンじゃない?」
自分の名を呼ぶ声に、何とか額の辺りにだけでも影を作って視界を確保すると、見覚えのあるようなないような、そんなうろ覚えな女性が立っているのが分かった。僕は特に何とも返事を返すことが出来ないでいると、その女性は小走りで駆け寄ってきた。
「やっぱり、イアンじゃん!! あ、そっか、魔法研究学部って丁度今日で卒業なんだっけ?」
「あ、えーと……お、おう久しぶりだな。そうそう、今日で卒業。今地上に上がったところ」
近くで見てもやっぱりうろ覚えでしかなく、とは言え彼女の距離感が名前を聞ける感じではなかったので、覚えているていで話を進める。僕が気付いていないことは何とか隠し通せたらしく、彼女は思い出したかのようにポンポンと話をする。
「イアンは昔から変わってたけど、まさか平均年齢五〇歳越えている魔法の研究学部に突然入学するなんて、やっぱり変わってるよね。私たち世代はみんな戦術科や冒険科に入ったのに」
「そ、そうか? まぁ戦術科や冒険科は人気だもんな」
知らんけど。生まれてこの方魔法以外に大して興味もなかったため、逆に戦術科や冒険科が何をするところなのかよく分かっていない。
うろ覚えな顔の女性は、そのほかにもいろいろ戦術科は楽しかっただの冒険科は華があるだのいろいろ話してくれたが、残念ながら僕の頭の中には殆ど入ってこなかった。去り際に言い残していった話だけ、それだけが耳に残っていた。
「そういえば、戦術科は来週が卒業式で、今日が戦術発表なんだ。ここの先にある広場で魔物と戦って戦術科で培った力を披露するのよ。良かったら見に来てよね!」
来たときと同じように小走りで去って行く彼女を見送りながら、言われたことをぼんやり考えていた。
戦術科ということは、魔物や人間との戦闘術を学ぶ科のことだから、その披露ということは、様々な戦術を用いて魔物を見事に倒すところを披露する場ということだろうか。
「ということは、僕の研究にも役立つかもしれないな」
大してやることも決めていなかった僕は、肩から提げたバッグの中に手を入れ、一冊のノートを手に取った。これまで学んできたことを自分なりにまとめた大切なノートだ。僕はそのノートをぺらぺらと読み返すのが好きだった。何度も呼んできたノートだし、全て自分の手で書いた物だから大体分かっていることのなのだが、これまでの学びがずっしり詰まっており、それを肌で感じられるのが好きなのだ。
僕はノートを片手に、言われた広場の方向へと歩みを進めた。
広場と言われてきたものの、そこはもう殆ど施設のような場所だった。中心に広いスペースが有り、それを囲むように観客席がある。どうやらそろそろ始まるようで、会場のボルテージはピークに達しようとしていた。ようやく空いている席を見つけた僕は、いそいそと腰を下ろして一息吐く。会場の隅には制服を着た学科生らしき人物が数人おり、対峙する正面には四つ足の竜、ドラゴンが立ちはだかっていた。赤黒い鱗を身に纏い、大きな双翼が怪しく揺れていた。
「おいおい、結構本格的なんだな……」
「当たり前だろ、今年の戦術科生は特に優秀って話だぜ。なんでもあのドラゴン程度なら学師会が出るまでもなく、普通生で相手出来るレベルだとか」
「マジかよ……そりゃ見物だな」
目の前にいる息を荒げる男二人が、そんなことを言っていた。僕もあんなドラゴン生まれて初めて生で見て驚いている訳だが、そのドラゴンを同年代の学生が簡単に御してしまうのか。戦術科というだけはあるな。
「今年は剣術、武術はもちろん魔術の天才もいるって話だ……」
「あ、それ聞いたことあるぞ。学師会のトップ、主導格に君臨している女子生徒だよな。とんでもない魔術の使い手で、尚且つ目を疑うほどの美人っていう話だが」
そこまで聞いて、半ば適当に聞いていた僕は反射的にノートを握る手に力が入る。魔法を研究していた身として、魔術には非常に興味があった。
魔術とは、簡単に言えば魔法を使った戦術を指す言葉で、特に第二世代魔法を戦闘に応用したもののことだ。
現在魔法は大きく分けて、第一世代、第二世代、第二.五世代、第三世代の四種類に分類されると言われている。それぞれの世代魔法には○○系という風に更に細分化されており、例えば第一世代であれば、変化系、強化系、移動系。第二世代で言えば駆動系、転移系、反射系、というようにだ。
主に第一世代は生活をより豊かにするために、第二世代はより良い生活に加えてより戦術的な魔法となっている。
と、ここまで言っておきながら、僕の研究分野はすこし違う。世代魔法を研究している訳でも、魔術に関する研究をしている訳でもない。
それでは、僕はいったい何について研究してきたのか、何に魅了されて魔法という世界に没入することになったのか。
それは、他の何でもない【詠唱】だ。
詠唱とは、魔法を紡ぐ言葉であり、魔法そのものをこの世界に顕現するための準備。魔法がどのように発動するのかというと、また難しい話になってしまうので今は置いておくが、詠唱は魔法をこの世界に魔法として出現させるためになくてはならない存在なのだ。
僕はその詠唱に美学を感じてしまったのだ。目で見れば一瞬で分かる凄まじい魔法も、人が紡ぐ言葉によってこの世界に発現する。更に言えば言葉一つ一つに意味の込められた詩のような詠唱文は、そのどれもが無形の美しさを持っており、魔法そのものを詠唱文が表しているようなのだ。
そう、何を隠そう僕は魔法の詠唱について人生の全てを賭けて研究しているのだ。既存の魔法はもちろん、新たな魔法が詠唱文から見つかることもあるというのだから、夢のある世界だ。
「おい、ついに始まるみたいだぞ……」
「あぁ、歴代最高と言われる戦術科生の戦術発表が……!!」
僕はいよいよと迫った瞬間をいつの間にか待ちわびていた。歴代最高の魔術の使い。そんな人が使う魔法詠唱はどれだけ繊細で輝いているのか。それを知りたくて仕方がなくなっていたのだ。詠唱は長いものもあれば一瞬で終わるものもある。その刹那に張り詰めた空気を裂くように言葉が紡がれるのだ。
会場はいつの間にか静寂が訪れていた。そのときは近かった。
次の瞬間、ドラゴンの咆吼が会場中に轟く。それを風切りに、四人の戦術科生が翔んだ。
「「「うおおおおおお、いきなり学師会のトップ、最高の魔術使いのシールプックだッ!!」」」
会場からそんな声が聞こえた瞬間、長い黒髪の女性が突如現れた歪んだ空間に飛び込み、続いて遠く離れた場所に現れた歪みからその姿を現す。それはドラゴンの丁度真上であった。
会場が息のむ。僕も握る小節に力が入る。
「お前を侮っている訳ではないが、時間が惜しい。【詠唱略】でいくぞ」
刹那、ドラゴンの腹辺りの空間がひしゃげ、歪みに耐えきれなかったドラゴンの腹から大量の鮮血が飛び散る。たまらず倒れたドラゴンの姿に、一瞬の静寂は途端に歓声で溢れかえった。
「うわああああああ、一瞬の出来事でぜんぜん分からなかったぞおおおおおおお!!!」
「詠唱略であの威力とかマジで化け物クラスだろおおおおおおおお!?」
沸き立つ歓声の中、僕は一人取り残されていた。
待ちわびていたその瞬間に備えて力んでいた前身が一気に緩み、その反動で屁も出た。
声は出なかった。
詠唱略。
えいしょうりゃく。
「は? え、は?」