76 退院前日の夜の一コマ・・・か?
のりちゃんと入れ違うように珪が顔を覗かせた。
「待っていたよ~、珪。さあ、行こう。すぐ行こう」
私はベッドから降りると珪の腕を掴んで、エレベーターホールのほうに引っ張っていった。
「おーい、舞。いきなりなんだよ」
「キャンに電話してほしいんだけど」
「キャン? ああ、あいつな。今日は仕事を休んでいたぞ」
「えっ、うそ。なんで」
「子供がインフルにかかったんだと」
「え~、本当。とにかくかけて」
そうして珪がキャンの番号を出して発信にすると、携帯を渡してくれた。
『はい? どうしたの珪』
「私よ」
『舞子? どうしたの』
「キャンが来ないから心配で。子供がインフルかかったんだって?」
『あ~、そうか、珪ね。そうなの、悠馬がもらってきちゃったわ。他の二人にうつさないようにしないとね』
「キャンも気をつけてよ」
『うん、ありがとう。だから明日舞子はうちに来ちゃダメよ』
「了解。寄らないよ。・・・でも、データどうしよう」
『旦那が帰ってきたら家に届けておくわよ。そういえばノートをごめんなさい』
「いいよ、そんなのは。じゃあ、お大事に」
『ええ。ノートも届けておくから。ありがとう』
会話を終えて珪に携帯を返した。珪の顔を見たら視線を逸らされた。
ん? なぜに視線を合わせないようにするのだろう?
微かに頬が赤い気がするけど気のせいだろう。
そう思おうとしたら珪の呟きが聞こえてきた。
「ほんと、俺のこと男扱いしてないよな~」
「珪?」
疑問を込めて名前を呼んだら、もっと視線を逸らされた。おかしいな? 私、何かした?
「何でもないからな」
「本当に?」
「ああ。ところで明日は何時になったんだ」
「そう、それ。10時頃には会計の計算ができるとかで、それ以降なら退院できるんだって」
「じゃあ、10時までに来るよ」
「うん、お願い。それでね、旦那がお金を預けたいから、このあと家に来てくれって言ってたの」
「浩輝さんが? じゃあ、丁度いいや」
「何が丁度いいの?」
「えっ・・・あっ・・・いや、大した用じゃないんだ」
何故かしどろもどろになる珪。怪しいけど、問い詰めるのはやめておく。
「ところでさ、昨日渡したあいつらからの手紙。読んだのか」
「あー・・・まだ読んでない」
「どうして」
「だってさ、読むと返事を書きたくなるじゃない。メールが出来ない状態で読んでも仕方ないじゃん」
私の言葉を聞いて首を傾げる珪。でも、何か納得することがあったのか、一つ頷くと言った。
「それもそうか」
「今日皆に何か言われたの」
「まだ言われてないよ」
「そう?」
「ほんとだって。舞が退院するのが明日だってことと、携帯を持ち込んでないことは、皆も知っているからな」
フウーム。それならいいか。それよりも、昨日から妙に落ち着いたな、珪よ。一昨日に何があったのだろうか。・・・私と珪の仲だ。聞いてしまおう。
「ところで珪さんや。一昨日は何があったのさ」
「ストレートだな、おい」
「今更オブラートに包むような間柄じゃなかろう」
「まあ、そうなんだけど」
そう言って珪は溜め息を吐いた。
「別にさ、変わったことはしてないんだよ。あのあと近くの店に移動して皆で話しをしただけさ」
「話ねえ。落ち込んだ皆をキャンと慰めていたとか?」
「・・・まさか見ていたなんてことはないよな」
「見なくても想像がつくでしょうが。で、美那ちゃんは泣いたの」
「・・・泣いてなかったな」
「やっぱり。あれは私に対する標準装備か」
「装備ってわけじゃないだろうけど、舞に対する甘えだよな」
「ま~ね。長男の嫁って大変だからね~」
「そう、だろうな。親戚が多いってグチってたから」
「へえ~、珍しい。皆に言ったんだ」
「美那子も舞に言われて思うところがあったんじゃないのか」
そうなんだろうな、と思った。グチを言える私が入院中だし、昨年末に集まらなかったから溜まり過ぎたのだろう。
「えーと、他には何かあるのか」
「ん~、ないかな」
珪が話しを切り上げたそうにしていたから、私も軽く考えて他はないと伝えた。
「それじゃあ、俺は帰るよ」
「わざわざありがとうね。明日もよろしく」
「おう」
そう言って珪はエレベーターのボタンを押した。すぐにエレベーターがきて扉が開いた。中には誰もいなかったし、珪以外に乗り込む人もいなかった。扉が閉まる前に珪が視線をそらしたままぼそりと言った。
「舞、もう少し自分の行動をかえりみような」
それと共に自分の左腕を右手で指さした。意味がわからなくて首を傾げたら、珪の視線が私の首の下辺りをみた。・・・あっ! と思った時にはエレベーターの扉が閉まり珪が乗ったエレベーターは下降を始めていた。
私はそれを見送って・・・口元がひくつくのを手をあてて押さえたの。
・・・本当にバカなんだから。言わなきゃ役得だろうが。
・・・うん。もう少し行動に注意しよう。うかつに男性の腕を抱きしめない様にしないとね。
病室に戻ると日誌に今の出来事を書き込んだ。・・・よし。これは闘病記に入れるのは確定ね!
この後は歯をみがいたりトイレに行ったりして、寝る準備を整えた。消灯時間になったらテレビを消して、おやすみなさ~い。




