命狐
ごめんなさいね、急に泣きだしたりして。大丈夫よ、ええ。
どうしても気になります?そうですね少しお話しましょうか。
あれはまだ私が小学生の頃、五・六年生くらいだったでしょうか。
祖母が大きな病にかかりました。
ある日両親が話しているのを聞いてしまったのです。
まだ祖母は六十代だったと思いますが「もう長くは無い」、とね。
大変ショックでしたよ、ええ。なんせとってもやさしい祖母で、ある時母親に叱られますでしょう。すると必ずやってきて私の味方になってくれる。
どんなときでも、そうでしたね。今思えば私はとってもずるい子だったんです。
当時そこまで『人間の死』というものについて理解はしていませんでしたが、両親や祖父の悲しむ姿を見てなんとなく分かりました。
大好きな祖母がいなくなってしまう、と。
あの頃は今のように医療技術が進んで病床と言えば病院でいろんな機械に繋がれて……なんて事はなく、家にお医者様が毎日やってくるだけで、
もちろん延命治療なんてありませんから、祖母は日に日に弱っていくだけでした。
その年の冬のある日、私は風邪をこじらせて学校で熱が出てしまったんです。
もちろんその日は早退する事になりました。ふらふらになって保健室から教室に戻り、そんな私の姿を見て友達が代わりにカバンの準備をしてくれた事を覚えています。
友達のおかげで準備は素早く終わって後は親に迎えに来てもらうだけだったのですが、
丁度その時期両親二人とも仕事が忙しくて、どうしても仕事を終えて迎えに来ることが出来なかったんです。
仕方が無いので担任の先生に送っていただき、なんとか家に帰ることが出来ました。
その時熱が三十九度近くあったと思います。私はまたおぼつかない足取りで朝のままの布団に倒れこみ、眠りにつきました。
額の冷たさに目を覚ますと、なんと目の前にはもう体はボロボロのはずの祖母がいるではありませんか。
「おばあちゃん何してるの、休んでなきゃ」
私がそう言うと祖母は、
「多恵ちゃんが心配で休んでなんかいられないよ」
と、微笑みました。私の額に乗っけられたタオルを取り替え、
「もうすぐお正月だねえ。もう最後かもしれないから、お年玉たくさんあげようねえ」
と言って祖母は部屋を出て行きました。
両親からもう長くは無いと聞いていたにもかかわらず、心のどこかで祖母は元気になると信じていた私は、その言葉を聞いて涙が止まりませんでした。
母に叱られた時とはまったく違う、初めて経験するような涙でした。
その時思ったのです。思ってしまったのです。
「自分は早く死んでもいいからおばあちゃんに長生きしてほしい」と。
そう思った時、誰もいないはずの廊下から足音のようなものが聞こえてきました。
タッタッタッタ……
音の間隔から、人で無い事は分かりました。四足歩行の動物の足音です。
しかし私の家では犬も猫も飼っていませんし、もちろん飼ってることでクラスの人気者になるような珍しい動物も飼っていません。
だんだん音が近づいてきて、ススッと襖が動く音がしました。
恐る恐るそこを見ると、大きさは中型犬くらいで体は茶色いけど四本の足は黒い、見たことも無いような動物が私を見ていました。
すると更に近づいてきて、
「お嬢さん、お嬢さん。私がその願い叶えて差し上げましょうか」
と話しかけてくるではありませんか。しかも願いを叶えてくれる、と。私は高熱も忘れて答えました。
「願いって、おばあちゃんのこと?」
「ええ、もちろんそうですとも」
「本当に、本当におばあちゃんを助けてくれるの?」
「本当です。お嬢さんの、おばあ様に対するその気持ち、誰が裏切ったりするものですか」
「本当ね!ありがとう!今すぐおばあちゃんの病気を治してあげて」
「今すぐにでもして差し上げましょう。しかし大事な事を忘れてもらっちゃ困ります」
「大事な事?」
「そうです、大事な事。あなたはさっき何と仰りましたか?」
「えっと、私はすぐに死んでもいいって……」
「正解です」
「じゃあ……私死ぬの?」
「いやいや、勘違いしてもらっては困ります。今すぐ死ぬという訳ではありません」
「どういうこと?」
「『寿命』を少し頂きます。それをお嬢様から頂いて、私がおばあ様に渡すのです」
「『寿命』って?」
「人がもつ生きていられる期間といった所でしょうか。つまりお嬢様もいつか年をとられ、死ぬときが訪れます。それをほんの少し早める事になりますが先ほど申した通り、今すぐ死ぬという訳ではありません。ずっと、ずっと先の事です」
「つまり私が80歳まで生きれるのが70歳になるって事?」
「そういうことでございます」
「な〜んだ、それならいいわ。それくらいでおばあちゃんが元気になるなら」
「取引成立ですね。ではこの二つの指輪の一つをお嬢様の、もう一つをおばあ様の左手の薬指にはめて、『命狐』と三回唱えてください」
「左手の薬指ね、分かったわ」
そう言うと、その動物はフッと消えて、私は急に体のだるさが戻ってきて、再び眠りにつきました。
次の日目が覚めると熱は完全に下がっていて、枕の横には二つの指輪が置いてありました。
私はまるでサンタクロースからの贈り物を見つけたように喜びました。
あれは夢では無かったのです。私は早速祖母の元へ向かいました。
部屋を覗いて見ると、祖母は眠っているようでした。チャンス、と私は思いました。
素早く一方の指輪を言われたように自分の左手の薬指にはめ、もう一方を祖母の指にはめました。
これで大好きなおばあちゃんが元気になるんだ。そう思うと今度は嬉しくて涙が出てきました。
涙が止まるのを待って、私は教えて貰った言葉を唱え始めました。震える声を聞いて今までに無いほど自分が緊張してるに気がつきました。
「命狐」
ドクン
(自分の寿命でおばあちゃんは助かる)
「命狐」
ドクン
(これでいいんだ。おばちゃんが助かるんだもん)
そして私は三回目を唱えようとしました。その時です。
「多恵ちゃん、それはいけないよ」
祖母が今まで見せた事無いような真剣な表情で私の手を強く掴みました。
「いけない、それはいけない。多恵ちゃん、それ『命狐』だろう?あいつが、あいつが多恵ちゃんの所にも来たんだね……」
私は驚きました。祖母が命狐の存在を知っていたからです。
「おばあちゃんの所にもね、来たんだよ。昔ずっと昔、多恵ちゃんくらいの時にね、おばあちゃんのおばあさんが病気でもう助からなくてね、どうしても助けたくて取引しちゃったんだよ。だからおばあちゃんが今こうなってるのはそのせいなんだよ」
私は何を言っていいか分かりませんでした。
「その時は『どうせ年とったら十年くらい変わらないだろう』と思ってたんだよ。でもね……」
祖母は泣いていました。
「本当に……おばあちゃん馬鹿だよねえ、多恵ちゃん。多恵ちゃんと会って今生きたいなんて思ってるよ……自業自得なのにねえ……」
「だから多恵ちゃん、多恵ちゃんにこんな思いさせたくないんだよ。ごめんねえ。おばあちゃんが馬鹿な事したから多恵ちゃんにまでつらい思いさせて……」
私も泣きました。大きな声で泣きました。窓を割ってお母さんに押入れに入れられたときより、大切なぬいぐるみを川に落としてしまったときより、歯医者さんに歯を抜かれたときよりもずっとずっと大きな声で泣きました。ただ、泣いてしました。二人で泣いていました。
祖母はお正月にいつもより多めのお年玉をくれた後すぐに亡くなりました。
あの指輪もいつのまにかどこかへ行ってしまいました。
そんな事が以前あったんです。
それを思い出してしまって。
……だからあなた、そんなに泣かないでください。
ありがとうございます。私をそんなにも愛してくれて。