日差しの中の日常
本作品が2作目となります。
まだまだ未熟ですが、目を通して頂けると幸いです。
西暦530年、ペルシャ
寺院の前で手と顔を清める。そして神への祈りの儀式を行う。その後に履いているサンダルを脱いで寺院の中に入る。
寺院の中は朝早くにも関わらず数人の信者が礼拝をしている、俺も他の信者に混じり室内で焚かれている[聖なる火]の前に跪き、ソノ灰を自分の額と頬に薄く塗り信仰の象徴たる光(火)に対して礼拝を行う。アフラ・マズダーが創り上げた天空、水、大地、食物、動物、人、火に感謝と敬意を表し、今日一日が平穏な物になる事を祈って。
礼拝を終え、兄弟の待つ家に帰る為に賑わい出した早朝の市場を通り抜ける。途中で何度か露天の店主から「寄って行かないか?いい品が在る。」と声を掛けられたが、挨拶と愛想笑いで切り抜ける。今の俺には余計な物を買うだけの金が無いのだ、今日はこれから家畜の世話と叔父の店に行ってそこで働く事になっているからだ。
家に帰ると1つ下の妹が家の掃除をしていた。俺達兄弟の住む日干しレンガ造りの小さな家だ。
「カトレア、弟達は何処に行った?」
玄関から覗き込みながら妹に尋ねる。妹は掃除の手を止め。
「裏で鶏と豚の世話やってるよ。どうしたの?」
「いや、それならいいんだ。俺はいつも通り叔父の店に行ってるから。」
そう言って再び市場に向かう俺の背中を妹の「いってらっしゃい。」が優しく押してくれた。
俺の叔父は市場に店を構える肉屋の亭主だ。
「叔父さん、遅くなりました。」
「来たか、さっさと手伝え!」
叔父は自分の屈強な肩越しに市場の喧騒に負けない大声で指示を出す。
「店の裏に今朝仕入れたラクダが2頭いるから、ソイツを捌いといてくれ。」
「分かりました。」
俺は壁に掛けてあるボウイナイフを手に取り、鞘から出して刀身に刃壊れやサビが無い事を確認してもう一度鞘に戻す。刃を持つものを持ち歩くときは必ず鞘に入れなくては成らない、理由は言わずとも知れてる事だが単純に危険だからだ。
「叔父さんは容赦無いね~。」
裏手に出て、杭に繋がれた2頭のオスのラクダを見て今日の仕事のハードさを改めて認識する。
「どうせコレを昼時までに店に並べろって言われるんだろうな。」
独り言のように呟いていると「昼までにバラして干し肉用に吊るしとけ!」と叔父の声が聞こえてきて「やっぱりね。」と少し落ち込む。
「さーて、殺りますか。」
もう一度呟いて抜け掛けた気合を入れ直し、年上と思える方のラクダの右側面に回り込み、首に手を回す。この時にボウイナイフを鞘から抜き放ち左手に持つ、その後にラクダの視界に入らないように逆手に持ったボウイナイフを背中側から左頚動脈に近づける、そしてラクダの首を挨拶のハグの様に軽く抱きかかえ、手を解く時に近くまで持って来ていたボウイナイフを頚動脈に添えてイッキに切り開く。
「何度殺ってもこの感覚には慣れないね。」
肉を切り裂く感覚は既に慣れている、むしろ解体の技術は相当の物だと自負しているくらいだ。だが問題はソコではない、首を切られて藻掻き、失血により死んでいく姿を見るのが何とも表現しにくいのだ。
放血の間に解体の際、ラクダを吊るす為の三脚とロープ、店の奥にある水を張った樽と空の樽を2つ、片手桶、塩、解体した肉を置く為に柵に干してある毛皮を取りに向かう。
「そろそろ抜けたかな?」
使用道具の準備を終え、砂に染み込んだ血の上に横たわるラクダの腹側にしゃがみ、喉笛の少し下に自分の腰に常時携えているジャンビーヤ(解説、中東~中近東といったアラビア世界で遊牧民が家畜をさばくような日常生活でも利用でき、また成人した証しとして、「ジャンビーヤ」と呼ばれる湾曲したナイフを持つ。)の切っ先を僅かに食い込ませる、獣の皮を通り抜ける感覚を確認した後、首、胸、腹を経由して肛門の手前まで内蔵を一切傷付けずに真っ直ぐ切り開く、そして胸骨と肋骨を接続する軟骨にボウイナイフを突き立てて肋骨を外す作業に取り掛かる。ナイフを肉体から抜き取る感覚以上に肉体から骨を抜き取る手応えは気持ち悪い、肋骨を左手に持ち、右手のジャンビーヤを肋骨の付け根に滑り込ませる、肋骨を引き抜く為に力を加え、まだ僅かに付着している筋肉が無意味な抵抗を見せる、右手のジャンビーヤでサポートして完全に抜き取る。肋骨の剥ぎ取りが終わったら次は骨盤の処理だ、右手で恥骨の中心にボウイナイフを突き立て、左手の腹で柄を叩いて垂直に打ち込む、内蔵に傷を付けないように切り込みを入れた後、縦に割る。
「此処からが面倒なんだよな。」
今日何度目か分からない独り言を乾いた地面に叩きつけ、ラクダの喉元、頭蓋骨の直ぐ下からジャンビーヤを入れて気管と食道を切り、横隔膜、腹膜を切りその後に肛門付近を少し大きく切り出す。こうして一切を傷つけずに内蔵を全て掻き出し、血に汚れた手で用意してある空樽に流し込む。空洞になった腹に片手桶で水を汲み流し込む、肉体を洗浄し、清潔にする。そして一息吐いて傍らにあるロープを取って首を縛り、血と内蔵が抜けて相当軽くなったラクダを三脚に吊るし上げ、皮を剥ぐ、最後に筋肉繊維に沿って部位ごとに剥ぎ取り毛皮の上に並べ、バラ肉は壺に量の塩と一緒に入れて保存可能にする。これで一頭目終了。
「いつも通り上出来だな。」
突然後ろから声を掛けられて振り返ると、店の裏口から顔を出した叔父と目が合ってしまう。
「何時もの様に端肉は持って帰っていいぞ。」
「ありがとうございます。でも、もう一頭残ってますから。」
骨をもう一つの空樽に入れながら顎で残りの怯えたラクダを指す。
「それより店の方はいいんですか?」
「シネラリアに任せてある。この時間からは客が少なくなるからな。」
シネラリアは俺の叔母、女性にしては大雑把で快活な人だ。
「そうですか、ならもう一頭捌くの手伝って貰えませんか?」
叔父は口元を緩めて「良いだろう。」と言って腰に提げているボウイナイフを抜き放つ。
後は一頭目と同じ手順で作業を行う、流石に二人だと苦労する事なく全ての作業を終わることが出来た。解体した肉に塩を塗り込み保存可能にし終え、昼前の乾燥した日差しの中、額に浮いた汗を拭い片付けに取り掛かる。
「この肉は干し肉にしますか?」
片付けも終わったので取り敢えず肉塊たちの処遇について叔父に尋ねる。
「いや、干し肉は在庫がアルから、そのまま店頭に吊そう。」
一回頷いて腿肉を持ち、「よっ」と一声掛けて肩に担ぎ上げ、店頭に運び込む。
「叔母さん、コレは何処に吊るしましょう?」
店頭の椅子に座って帳簿を前に売上を計算している叔母に無駄だと分かっていながら尋ねてみる。
「まだ24だからオバサンはよしてくれ。」
「はいはい、シネラリア、この肉は何処に吊るせばいい?」
叔母は帳簿に顔を向けたまま、コンドルの羽から作ったペンで上を指して「その辺の空いてるフックに掛けといて。」の合図をする。
「やっぱり聞くだけ無駄か。」
叔母は作業に異常なほど没頭する人なのだ、ソレは単純作業といえど変わることはない。そんな事を思い出しながら幾つかあるフックの1つに肉を食い込ませて、梁から吊るす。そして次の商品を持ってくる為に狭い店内でラクダの背筋を持ってきた叔父と擦れ違いながら裏に出る。
店の裏に出た時の眩しさに少しだけ目を細めて、次の商品に手を伸ばす。
「おい!お前に客人だ!!」
バラ肉の入った壺を抱えて裏口の傍まで来た時に店頭から叔父の張りのある声が俺を呼ぶ。取り敢えず返事をして、壺を抱えたまま店内に入る。
「何でしょう?」
俺の問いに叔父が答える。
「それが、兄貴…ユッカの使いの者らしい。」
俺の父、ユッカは強烈な個性と叔父や俺にも遺伝している壮健な肉体を持った巨漢だ。2年ほど前に出稼ぎに出てから金を送ってくる以外、家に寄り付く事が無かったのに、今更何の用だろうか?
「ソレで、俺に何の用でしょう?」
俺は使いと名乗る背の低めの男に問い掛ける。
「此方も急いでいます故、要点だけをお話します。」
男はそう言って、此方の返答も聞かずに話し始めた。
「唐突ですがユッカは先月の仕事中の事故で死亡しました。葬儀は此方で済ませてありますので御安心を。」
親父が死んだ?アレ程の人がそう簡単に死ぬはずはない。叔父も不快そうに眉を寄せた。
「つきましては、此方も人手不足で困っているのです。そこで貴方のような勇壮な若者が来てくれましたら、皆が歓迎すると思います。」
使いの男は「貴方なら、父親の後を継ぐ事がどれ程の価値を持っているか分かりますよね。」と意味深な笑みを浮かべながら小声で囁いた。その後に体勢を元に戻し。
「明日の早朝、此処へ迎えに来ます。ソレまでに友人や家族との別れを済ましといて下さい。」
と言って人並みに紛れて煙のように消えて行った。完全に見失って少しの沈黙の後、叔父が右手で短髪の後ろ頭を掻きながら俺の方へと振り返る。
「で、どうするんだ?あの様子だと断るのは難しそうだが。」
俺は叔父の視線を避ける様に背を向けながら一言。
「明日の早朝、迎えが来る前に俺の考えを話します。ソレまで待っていて下さい。」
「いいけどよ~、妹…カトレアには今日中に話しとけよ。」
叔父の言葉を背に受けながら「まだ昼ですが、先に上がらせて貰います。」と言い、店を後にする、後ろは振り返りたくなかった。足も止めたくなかった。
「おい!忘れ物。」
そんな声が聞こえたが気に止まらない、直後に背中に当たる重量物が止めたくない足を止め、ついさっきまで見たくも無かった後ろの景色を網膜に映してくれた。
「今日の報酬だよ、持って行きな。」
ソコには俺から数歩離れた所に居る叔母と、店先で腕を組んで居る叔父、足元には俺の背中に叔母が投げつけた肉の入った麻袋が横たわっている。俺は一礼して袋を拾う。
「有り難く頂きます。」
叔母は沈みかけの俺の気分を丸事引っ張り上げるような快活な笑顔と声で。
「昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しなさい。貴方にとって、ユッカさんは偉大な存在であったのは知ってるよ、だけど、本当に危険なのは何もしない事。」
そう言って悪戯っぽく笑う。急なことで反応に困っていると、もう一言。
「取り敢えず、美味い肉食って、また明日会いましょう。」
「はい、それでは。」
今度こそ帰路に着く為に一歩踏み出す。叔母の言葉でも断ち切れない不安と一緒に家に帰るのだ。
前作同様、主人公の名前を書かない形式を取っています。
今作品は、主人公の目線一筋ですゆえ、視野が狭いですが、大目に見て下さい。
宗教家の方等で本作品が不快に思いましたら連絡下さい。確認し次第、このサイトより即刻削除いたします。