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7、男娼の趣味と僕

音楽にしようか迷ったんですが…。

「趣味、ですか」

「そう。お前もまあまあそれなりに、高級男娼としての一般教養も勉強も様になってきてるからな。そろそろ趣味の一つや二つ完璧に身につけてもらう。お客との話の種になりゃ儲けモンってやつだ」


ちなみにここで言う"趣味"というのは、本当に僕の嗜好ではなくて、上流階級のお偉方に対して通じる所謂"遊び"である。

上流階級自体を見ると女性なら音楽や乗馬、演劇鑑賞に刺繍辺りが妥当なところで、男性は剣術・馬術などを含む武術に狩りとアクティブな趣味を好む傾向にある。

その一方で骨董品集めや、やはり音楽、演劇鑑賞、チェスなどのボードゲームやギャンブルなどを趣味にする人も多い。ちなみに、刺繍をする男性は滅多にいないようだ。

まあ僕も、僕がちくちくと針を動かして花やら鳥やらをハンカチに縫い付けている姿はちょっと想像できそうに無いし、そういうことなのだろう。


ただ、男娼の趣味となると、アクティブなものがほとんど出来無くなる。


お国のお偉方が足繁く通うこの高級娼館は、情報が集まりやすい。お酒を飲めば普段は口の堅い人でも、何かの拍子でポロリと情報を漏らしてしまうからだ。

それがどんな情報であるのか、どのぐらい重要かなどはさておいて、僕らはその情報をたとえ同じ館に住まう娼婦であっても、自分以外の人間に漏らしてはならない。

必ず自らの胸の内に秘めておかなければならないが、さもありなん、人の口に戸口は立てられない。

故に、僕らは滅多に娼館から出ることは無い。できない、といってもいい。

僕らが一度外にでたならば、命の危険が付きまとう。情報とは勝利の鍵であり、敗北の鍵でもある。

いずれにせよ、以前にアシュレイさんの言った「死人に口はねーからな」ということだ。


まあそういうわけで、外に出なければ出来ないような馬術や剣術、狩りなどが趣味の男娼はいない。できないからね。


そうなると必然的に室内、しかも工房などを使わないような些細な物となる。つまるところ音楽が一番手っ取り早く、趣味にしやすい。の、だけれど。

僕は、ううん、と考え込んだ。

音楽が嫌いなわけではないけれど、ぶっちゃけて言うとあまり興味が無い。興味が無いものを趣味とするのも、ちょっとどうかと思う。


「ちなみにアシュレイさんの趣味は?」

「俺? 俺は調香」

「ちょーこー…?」


僕は一瞬、茶色の甘い物体を思い浮かべたけれど、絶対に違う。


「調律の調にお香の香で調香。文字通りに香りの調律だ」


アシュレイさんは「ちょっとまってろ」といいながら席を立って、アシュレイさんの服がしまってあるクローゼットから数種類の小瓶と細長いパフェを食べる時に使うようなスプーンを、もっとずっと細くしたようなモノを数本、それから小さいすり鉢みたいなものを取り出した。

小瓶は完全密封ではないのか、ほんの少しだけ甘い匂いがもれている。


「こっちの粉末が右から"沈香"、"白檀"、"グローブ"、"ボスウェリア"、"ムスク"、"龍涎"。香りの主な原料だな。で、この小瓶に入ってる蜂蜜とか、こっちのカボネアプリコットの漬物と数種類を掛け合わせて練る。で、出来るのがこれ」


そう言ってアシュレイさんが見せてくれたのは、布を何重にもかさねている小袋に入ったこげ茶色の小さな玉。練香というらしい。

僕は未知の物に興味深深で、顔を袋に近づけた。


「おわっ!まてまて、直接嗅ぐのはダメだ、右手を出せ。そうそう。で、自分に香りが届くように仰いでみろ」


僕は言われたとおりにパッと顔を遠ざけてから、右手を団扇にしてぱたぱたと袋の口の辺りを仰ぐ。

甘い、どこかで嗅いだことのある匂いが僕の鼻を刺激した。


僕はそれが何であるか必死になって記憶をたどって、それは僕の家の、この世界に来る前の家の、春先の庭の匂いだと気がついた。


春先になると、剪定庭師のおじさんがいつも丸く整えてくれる低い木には、表は真っ白、裏は濃い紫とピンクの間の色の甘い香りの花が咲く。

お母さんがこの甘い香りが好きで、お父さんと結婚したときに4本ほど門の横に苗を植えたんだって、と僕はお姉ちゃんから聞いていた。

その花の、名前は。


「白檀、」

「お、なんだ判るのか」


これからこの瓶を順番に嗅がせて匂い当てゲームでもしようかとおもったのによ、とアシュレイさんは面白そうに笑う。

僕もちょっと得意になって「知ってた匂いだったので」と笑った。


「これの他に、匂いの強い花とか木、実なんかを乾燥させて作る室内香(ポプリ)、火をつけて焚く焼香、体に塗る塗香、大掛かりで俺にゃ手が出せないが、水蒸気蒸留法で植物から抽出した精油、精油とアルコールを混ぜて体に降りかける香水なんてのもある。貴族社会で最近の主流はもっぱら香水だな。あいつら新しい物大好きだからよ」


僕はしきりにへぇ、へぇ!と目をキラキラさせた。随分前に流行ったへえへえボタンになった気分だったけれど、少なくとも音楽よりは断然興味がある。たぶんそれは、あの春先の庭の匂いを嗅いだせいなんだろうけど。


…僕は、家の匂いを、家につながる匂いを求めてるのかな?


帰りたいと、思っているのかな。なぜかその辺はとても曖昧で、不思議なことに答えがでない。

お母さんにもお姉ちゃんにもお父さんにも会いたいのに、家に帰りたいのかと自問自答しても、僕は首を傾げるばかりで、明確な答えがでない。

モヤモヤとしたよくわからない感情がただ、僕の内側でぷすぷすと燻っているだけだ。


僕の興味ありげな反応に気をよくしたアシュレイさんが「じゃあお前、趣味として調香やってみるか?」と聞いてきたので、僕はウンウン頷いた。

そうして僕は、一般教養と勉強の他に趣味として「調香」を学ぶことになったのである。










+++










「ああ、それで、白檀の香りがするのね」


3階の談話室にて、ルクレシアさんが面白そうに目を細めた。

こういう顔は本当にアシュレイさんとそっくりだなあ、などと思いながら、僕はルクレシアさんが入れてくれた紅茶に手を伸ばす。

薄っすらと葡萄の香りがしたけれど、お茶は普通に紅茶の味しかしない。不思議なお茶である。

僕が首をかしげると、ルクレシアさんは「面白いでしょう?」とにこにこした。


「フレーバーティって言うのよ。乾燥させた果実の皮をお茶の葉と混ぜて入れるの」

「なんだかお香と似てますね」

「そうね、そうかも」


アシュレイの趣味が趣味だから、影響されてるのね、なんてルクレシアさんは笑ってから優雅に僕の手前に腰掛けた。


今日はなんでも特別なお客様のお相手をしなきゃいけないとかで、アシュレイさんは僕をルクレシアさんに預けて、というか、僕を談話室に残して一人で接客に当たっている。いやまあ、一人前の男娼としては、一人でお客の相手をするのが当たり前なんだけれど。

いつもはお客様のお酌をした後、まあいわゆるエッチなことをする段階になったら、成人していない僕はお客用の部屋に併設している控え室にこもることになっているんだけど…もしかしたら今日のお客様は初めから(アシュレイさんの言葉をかりるなら)"おっぱじめて"いるのかもしれない。


僕はもしゃり、と用意された焼き菓子を食べた。

真ん中に赤いちょっと固めのジャムが乗っているしっとりしたクッキーは、少し甘酸っぱい。


「そういえば、アースはいくつになるのだったかしら」

「あと少しで11になります」


僕がこの館に買われてきたのは10歳になったばかりのときだったから、そろそろ1年が経とうとしている。


1年、1年かぁ。


僕は2つ目のクッキーをかじりながら買われて来てからの1年間を思い浮かべた。

まあほとんどが勉強勉強、日々勉強だったわけだけど。とりわけ苦労したのがお客様への対応だ。

僕はまだ未成年で半人前の男娼だけれども、お客様にとってみたら半人前も一人前も関係なく男娼なわけで、頭を撫でるのはまあよしとして、お尻を触ってきたりだとか不意に抱きつかれたりだとか、向こうの世界だったら青少年なんちゃら条例みたいなのに引っかかるぞってぐらいきわどい触り方をしてくるお客がいるわけで、僕はそれのかわし方だとかいなし方だとかを、文字の書き取り読み取りより先に覚えさせられた。

一番最初にお尻を触られたとき、僕は石像みたいに固まっちゃって、アシュレイさんに救出されたのは、今でも悪い思い出だ。

けしていい思い出にはならない。


「そう、もう1年経つのね…そういえば随分、あなたの髪も伸びたものね」


言われて僕は、肩につく位で切りそろえられた髪を触る。僕的には女の子みたいでちょっとまだ抵抗があるんだけど、この世界の男娼は髪を伸ばす習慣があるみたいで(アシュレイさんもナルさんも、他の先輩も誰一人として短髪はいない。娼婦たちは好き勝手な髪型なのに。)僕はしぶしぶ栗茶色の

若干癖のある髪を伸ばしている。根元数ミリのところにちょっとだけうねりがあるらしい僕の髪は、天然パーマまでは行かないもののいろんなところがぴんぴん跳ねる。

毎日ちゃんと手入れをしてセットをしているのに。

僕がそのことをぐぬぬ、といった具合に語ると、ルクレシアさんはコロコロと笑った。


「私はあなたの髪、好きよ。ふわふわの、耕したての畑みたいだもの」

「…それ、褒めてるんですか?」


ジト目の僕に、ルクレシアさんは大いに笑ったのだった。

時代背景とかごちゃ混ぜしてますね。香水は近代技術なんですが…。まあ、ふぁんたじー世界ですからねー(棒読)

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