5、神聖娼婦と僕2
グロ注意
「もともと神聖娼婦なんてーのは、教会が女を食いたいがために始めた悪習だ。まあでもな、俺だって男だし、禁欲生活がキッツイのはよくよく判るつもりだよ。欲に飢えた奴はなにするかワカンネーから、合法的にヤれる女を作るのは、良くはなくても、最悪じゃねぇ。
ただな、今の教会のお偉方ってのがこれまた頭の可笑しい奴らでよ。薬を使って子を宿すことを拒否する女は穢れであり悪である、っつー認識なんだと。そんな女なんかとヤれるもんかっつってな。
そしたら別にヤんなきゃいんじゃねーかとも思うんだけどよ。それはそれ、これはこれ、なんだってよ。勝手言ってくれるよな。まあ、で、かといって薬を使わなけりゃ、孕む可能性がグンとあがる。
もし孕んでじまったら教会は堕胎することも悪としてるから、発覚したら最後、おろす事もできねぇ。けど、教会のお偉方と娼婦の間に出来た子なんかが生まれちまったら、世論が黙っちゃいねえ。えらいことになる。そんな訳だから、娼館の亭主らも渋い顔だ。もしそういうことがあって、世間が騒いでも、どうせ教会側は旨いこと言って言い逃れてよ、最終的には娼婦が悪いなんて事になるってのが目に見えてる。俺ら、世間一般から嫌われてるしな」
アシュレイさんは皮肉げに口角をあげた。
「それでね、お偉いさん方がその軽い頭で考えたのが、僕のような宦官を作ること。もともと宦官って言うのは男子禁制のお城の後宮とかで働く去勢された仕官のことを言うんだけど…今も何人かいるはずかな。後宮にはどうしたって男手も必要だからね。あ、何で去勢されてるのかとかは、わかるよね」
「男子禁制だから、ですよね」
「そう。何で男子禁制かっていうのは、まあ、言わなくたって判るだろうケド、後宮内の醜聞を防ぐため、ね」
「はい」
「まあ、なんでお偉いさん方が宦官を持ち出したのかっていうと、これがまた勝手な言い草でね教会は同性同士のまぐあいを悪習だとしているわけなんだけど、宦官は男じゃないっていうんだ。男の象徴がないから、って。だからね、シてもいい、問題はないって言うんだよ」
まったく勝手だよね、というナルさんに僕は鼻息も荒く、ふんふんと頷いた。
つまるところ、ナルさんのような神聖娼婦は、生贄なのだ。…神聖って言うのは、もっと何か聖なる物だとか、神秘的なものだと思ってた。
憤りというのは、こういうことを言うのかもしれない。
僕は何だか苦しくなって、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りこむ。目頭が熱くなったけど、泣いちゃいけない気がしたので、ぐっとガマンした。
そんな僕をみて、ナルさんはにっこりして、アシュレイさんはどこかあきれた風に笑った。笑って、くれた。
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「あら、アシュレイきてたの?」
それからしばらくして、女の人が一人談話室に入ってきた。
赤くつややかに伸びた髪にオレンジを帯びた金色の目。僕はアシュレイさんを振り仰いだ。
似ている。とても、すごく、似ている。
「双子…?」
「そう、俺の双子の姉で、ルクレシア」
言いながらアシュレイさんは立ち上がり、優雅に、精錬された所作でルクレシアさんを一人掛けのソファーにエスコートした。
見ほれるほど格好いいその姿に、僕は改めてアシュレイさんの凄さを目の当たりにする。言うなれば、物語の中の王子様とお姫様のように見えたのだ。
惜しむらくは、二人の格好が夜着だったことにあるだろうか。これでタキシードにドレスだったら完璧だった。
僕はつらつらとそんなことを考えてから立ち上がり、一礼する。ナルさんにはなぁなぁになってしまったけれど、僕も一応一般教養の勉強はやっていて
淑女に対する挨拶と礼儀ならば完璧とは言えずとも、失礼に値しないぐらいにはできるのだ。
「お初にお目にかかります。僕はアシュレイさんに教えを請うている、アースと申します」
「ええ、聞いてるわ。素直でいい子で、アシュレイには勿体ないって」
ルクレシアさんは「愚弟が迷惑を掛けていないかしら」とコロコロ笑った。
僕がどう答えようかなとあいまいに笑ったところで、アシュレイさんが口を挟む。
「ルクレシア、悪いんだけど、こいつの勉強にちょっと付き合っちゃくんねーかな」
「勉強? 何かしら」
「人体とかツボの話。いや別に俺一人でも出来るけどさ、女のツボの説明にゃ、女のモデルのほうが判りやすいだろ」
ルクレシアさんは口に手をあてて、ほんの少し目を見開いた。「あらあら、本当にお気に入りなのね」と口の中でもごもごと呟いて、彼女は二つ返事で
了承してくれた。僕はもう一度頭を下げる。「女性には、優しく、ことさら丁寧に。丁寧すぎるって事はない。むしろ過ぎると自分で思うぐらいが丁度いい」とは、アシュレイさんの教えで、僕はそれを出来うる限り遵守していた。僕が使う敬語と同じで、先輩はもちろんのこと、他の従業員にも女性は総て僕が出来うる範囲で丁寧に接している。
そんな僕を皆が皆、老いも若きも男も女も、微笑ましげに見ていたって言うのを聞いたのは、大分後の話。
このときの僕はとにかく周りに慣れようと必死で、勉強についていこうと必死で、生きようと必死で、周りの隠した視線なんて気にしてる余裕は無かった。
僕が今ある状況は、まるで何かの物語のようだけれど、現実で、お姉ちゃんが言ったような正義のヒーローは存在しない。
誰も助けてなんかくれない。
だから僕はこんな世界に落とされた上、何のためらいも無く売られて買われてしまったんだ。
僕はそんな思いを心の奥底にしまいこんで、談話室にて始まった「アシュレイとルクレシアの人体の急所講座~男と女の性感帯~」を受講するため、姿勢を正したのである。
+++
『――― 大儀で、あった』
ビシャッ
僕の視界が真っ赤に染まる。ぱちり、瞬きをした。
その瞬きの間に、声の主は床にドォッと倒れこんだようで、わずかな埃が鉄の匂いを纏ながら舞う。
埃が目に入らないようにもう一度ぱちり、僕は瞬きをして倒れこんだ男を、僕が刺し殺した男を、見た。
雄雄しくも猛々しかった彼の肢体は、わずかに痙攣していて、肺からせり上がってくる空気と、胃からせり上がってくる胃液と、傷口から逆流したのであろう血が混ざり合って、彼の口の端で赤い泡がぶくぶく音を立てている。
それが、まるでまだ、彼が生きているように感じられて、もう一度別の場所をドッと刺した。
衝撃で跳ね、痙攣する男の体。わずかに揺れる、血にぬれた栗色の髪。広がる血だまり。
これだけの出血量なら、確実に死んだだろう。
僕は納得して、立ち上がり、手にしていた剣を感情に任せて、投げ捨てた。
『あ…ああぁああああ!!』
僕の衝動的な叫び声と、嗚咽と、床に転がる剣の音が、僕の脳内に反響する。
何故、と。その言葉しか浮かばない。
敬愛してやまなかった彼を、僕は何故、殺さねばならない。何故、どうして。
『おのれ…アルマクツィート…けして、許さぬ』
ようやく僕の口はそれだけを紡ぎ、僕は投げ捨てた剣を拾い上げた。
戦場へ、向かわなければならい。この剣で、敬愛するアスルーラさまを殺したこの剣で、僕は、奴を、討ち取らなければならない。
そして、僕は、浅ましく生き残り、処刑台へとこの足で登ろう。それが、僕の、罪過なのだから。
ぱちり、僕は眼を開けた。薄暗い部屋の中、隣のベッドではまだアシュレイさんが眠っている。
何か、とてつもなく怖い夢を見た気がするのだけれど。
僕はそう思いながら右手をぐーぱーぐーぱーして、そろりとベッドを抜け出した。ランプに掛けられた暗幕をほんの少しだけずらして、アシュレイさんの迷惑にならない程度に、部屋に光を取り入れる。
ランプの中の小さな光は、電気じゃない。けれど、炎でもない。
光石、という特別な鉱石なのだそうだ。淡く薄緑色の光を放つその石はどこかほたるの光に似ている。
僕はその淡い光をボンヤリと見つめながら、口元に薄い笑みを浮かべた彼を、ナルを思う。歳が近い彼だからして、友達になれないかな、などと思ったのだ。
「寝れないのか」
もぞり、とアシュレイさんが寝返りを打つ。
僕は「ごめんなさい、起しちゃいましたか」と謝ろうと口をあけたのだけれど、アシュレイさんのほうが早かった。
「ナルの事、友達になろうなんて考えは、よせ」
「…どうして、」
「あいつには、教会の息が掛かってる。かかわると碌な事になんねーよ」
「でも」
「聞け。話しかけるなとか無視しろとかじゃねーよ。深入りすんなってこった。でないと」
お前も目ぇつけられるかもしんねえぞ、教会に。
アシュレイさんの、静かで真剣みを帯びた声が、仄暗い部屋の中でいやに耳に響いた。
+登場人物+
ルクレシア:女・アシュレイの双子の姉・赤い髪・オレンジ(琥珀)に近い金の目(23)