3、男娼と僕
この世界の娼婦ってそういうものなんだなあ程度の認識でお願いいたします。
僕の先輩兼教育係兼ルームメイトは、僕より一回り歳の離れた赤い髪のお兄さんで、名前をアシュレイという。
男の人なのに長い髪のその人は、同性の僕から見ても超絶にイケメンだった。
ただし言葉遣いがちょっと荒くて、そのせいでちょっとばっかり怖い印象を受けるのが玉に瑕かなと思う。
「いいンだよ、私生活ぐらい。客の前じゃぁ、そりゃぁそりゃぁしおらしく演ってんだからよ」
ハン、と皮肉に笑うアシュレイさんに、僕は「はあ、そうなんですか」という他ない。
ちなみに僕だったらおそらく、そんな使い分けはムリだ。
今はまだ僕指名のお客さまはいないのだけれど、僕は誰彼かまわずとりあえずは敬語を使うことにしている。
先輩にも他の従業員さんにも、同様に、だ。
礼儀として、目上の人には絶対に、敬語…ああ、敬語わかんないか。そうねえ、ですます口調って判る?
そうそう、それ。まあそれで話すといいんだって。アンタはまだガキンチョなんだから使わなくたっていいだろうけどさ。お姉ちゃんみたいに就職するときに役に立つよ。ま、いずれにせよアンタにゃ早い話かー。
そういっていた就職活動1年目のお姉ちゃんは、ちょっと楽しそうにため息をついていたっけ。
お姉ちゃんはきっと、僕が10歳にして就職したなんていったら、ビックリして腰でも抜かしちゃうかもしれない。
就職活動っていうのは、ものすごく大変なんだぞって言ってたし。
まあでも、お姉ちゃんは僕の就職先についてあまりいい顔はしないかもしれない。お母さんなんて、卒倒しちゃうかも。
僕の就職先は高級娼館"クローディア"の男娼である。
である、なんてえらそうに言ってみたけれど、つまるところ僕はエッチなことをしてお金を貰うお仕事に就いたわけだ。
といっても、僕はまだ10歳なので、後最低3年間(この国の成人は13歳なんだって)は行儀見習い、いわゆる修行期間として、勉強をしながら館に住まわせてもらうだけだ。つまるところただ飯食らいのガキンチョなわけである。(食事は朝昼2回支給され、夜は先輩にくっついてお酌をしながらおつまみのお零れを頂いているので、ほんとのホントにただ飯食らいだ。)
ただし、その勉強、これがまた「お仕事です」といっても差し支えの無い程度には覚える量が半端ない。
僕はとりわけコチラで使われてる文字が書けないし読めないから、なおの事らしいんだけど。
「まあお前、ちゃんとしゃべれちゃいるんだから、そのウチ何とかなンだろ」
「ですかねぇ」
そう、僕が今しゃべっている言葉は、日本語じゃない。そのことを理解したのは、お店についてジーラさんからアシュレイさんを紹介されてからだった。
たぶん、その頃になってやっと、僕は連日のパニックからちょっとだけ抜け出せたんだと思う。
そもそも、一日目はしゃべる相手がいなかったし、あのガリガリの女の子とも余り言葉は交わさなかった。
僕に木手錠(というらしい。ジーラさんが教えてくれた)を掛けた強面のおじさんも、むっすりしたままでしゃべりはしなかったし。
ジーラさんは僕にいっぱいしゃべってくれたけど、僕はパンとお水を食べることに夢中で、しゃべらなきゃいけない質問以外はずっとパンを噛んでいた。
そういう理由もあって、僕はごくごく自然に、まるで日本語をしゃべるように、全然しらないこの世界の全世界共通語である"アーマ語"をしゃべれるという事実を気づいて受け入れるのに、半日ほど掛かった。
気づいてからは、なんでしゃべれるのかものすごい気になってたんだけど、なんかもう、どうでもいいかなって。寝て起きてルームメイトのアシュレイさんに「おはよう、よく眠れたか坊主」と声を掛けられたら、なんだかもうどうでも良くなっちゃったのだ。まあ「しゃべれるからしゃべれるんだし、いっか」と悩むのを放棄しただけなんだけどね。
「それにしてもお前、数字だけはもう教えることねーよな」
僕が計算した練習用の帳簿をみて、アシュレイさんはうんうん、と頷いた。簡単な足し算と引き算なら、3日前まで現役小学生だった僕にとってお茶の子さいさいなのである。僕はちょっと得意になって「ありがとうございます」と笑った。
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お昼を挟んだ午後は、一般教養を交えた男娼の決まりごとを実地で覚えていく授業になる。
エッチなことをする、のではなくて、先ずは男娼がすべきこと、していること、心得などの解説だ。
アシュレイさんと僕は、勉強するために使っていた僕たちの自室から出て、娼館へと続く廊下へと足を向けた。
僕たち男娼や娼婦が"自室"としている"お客入室禁止の部屋"は、表通りに面した娼館の真裏に別棟として存在し、3階部分同士が屋根のある橋の様になってつながっている。別棟に窓は無く、ただ、白いのっぺりした箱がででんとそこにあるような錯覚を、僕は覚えた。
何故窓がないのか聞いたところ、お客との逢引を防ぐためだという。娼館とつながる廊下が3階にあるのも、似たような理由である。
「いいか、俺らは客商売だ。当然お客に愛想は振りまくし、好かれようと努力しなきゃいけない。お客には心身ともに気持ちよくなってもらって、気持ちよく財布の紐を広げてもらって、気持ちよくお帰りいただくのが俺らの義務で職務だからだ」
「はい」
「ただな、まあなんていうかさ…お前、一般的に男娼や娼婦がどう思われてるか、わかる?」
「え?…ええと、えっちっちーな人?」
一拍の間があり、とてつもない笑い声が響いた。アシュレイさん爆笑である。大爆笑である。
廊下ですれ違う他の先輩方がギョッとするも、アシュレイさんをみると「なんだ、あいつかー」という顔をして去っていく。
ちょっと、すみません、止めに入るとか無いんですか、スルーしないで助けてください。お願い。
「いやお前グフッ…あってる! あってるけどさ!! えっちっちーて!」
「…」
笑いながら息も絶え絶え。憮然とした僕は悪くない。
「あー笑った…で、なんだっけ」
「一般的に見た男娼と娼婦についてです」
「ああ、うん、そうそう。まあ、大体お前の言ったのであってる。淫乱、売女、淫売に下賎、悪口にゃ事欠かない。まあ己の体を売りモンにしてる上に、薬使って子供ができねーようにしてるからな。自然分娩推奨の教会にも睨まれてると来たもんだ。ただ、あいつらは時と場合によっちゃ『神聖娼婦』なんて胡散臭ぇ称号を与えてきやがるから…ああ、この話はまた今度だな。まあ、俺が言いてぇのは俺らは世間一般人にとって目も当てらんねー嫌われモンってことだ、ウン。まあそんな扱いだからよ、中にはえらい物言いのお客がいるんだ。ソレこそ俺らはただの突っ込めるだけの人形だ、なんて公言しやがる客もいるし、中には、同情心を愛情と勘違いして、俺らを無理やり連れ出そうとする奴だっている。ソレを未然に防ぐために俺らの寝床にゃ、窓がねぇのさ」
僕は目を丸くした。
「連れ出す…って、お店をやめさせるって事ですか?」
「そう。娼婦なんてクソみてぇな職業はやめて、俺ンとこ来い!幸せにしてやるから!ってな」
「幸せに、ですか」
「うん。大体そういう無茶苦茶しやがる7割の奴が"幸せにしてやる"って口説き文句を使う。他にパンチの効いた言葉はねえのかっつーぐらいな」
「ふうん…あ、で、そういう場合ってどうするんですか? お店って辞められるモノなんです?」
「ウチの場合、女亭主のジーラに金を積めば、辞められる」
「お金」
「そう。金だ。お前は確か、商会から買われて来たんだったな」
「はい」
「うん、状況次第だが、最近買われたお前ですら、最低でもジーラ姐さんがその時に払った金の一千倍は積まなきゃ、辞めさせてくれねーな」
「いっせん…」
「最低でも、な。考えても見ろ、俺らはそこら辺の一般人より断然いい服を貰ってるし、夜着にしたらその辺のお偉方と似たようなモンを与えられてンだ。まあ当たり前だよな、俺らは"高級娼婦"。相手にするのはその辺の一般人じゃなく、国の中枢にいる上の人ばっかりだ。ソレ相応の格好をしなきゃなンねぇ。勉強だってそのためだ。言葉遣いにしろ所作にしろ、失礼があるなんて以ての外どころか、その場で打ち首の可能性もある。
相手が専門的なことで話を盛り上げようとしてくる場合だってある。その時に相手の話を理解できないようじゃ、興が殺がれてちまうだろ。その場合、良くて指名が無くなる程度、最悪やっぱり打ち首だ。だから、場合によっちゃ勉強のために専門の教師も雇う。
後はそうだな、商品である俺らが健やかであるように食事だって上流階級とはいかないかもしれないが、ずいぶんいいモンを食わせてもらってるし、水仕事は一切やらせない。手が荒れるからな。」
僕はひとつ頷いた。この娼館には、娼婦と男娼以外にも従業員が沢山いる。
ソレはコックさんだったり、洗濯物をせかせかと運ぶメイドさんだったりといろいろだった。
僕は、僕らがそれらを持ち回りで担うのかと思っていたけれど、どうやら全然違うらしい。
「それらを加味した結果、一人の娼婦ないし男娼が辞めた場合、えらい損害がでてくる。それが、最低買った金の一千倍の理由。ま、大体の奴はその金額を目の当たりにして諦めてくれらァな。自分ン家が立ち行かなくなる」
ウンウンと納得する僕に「まあ、なんにせよ」と口を開きながら、アシュレイさんは足をピタリととめて、その長く赤い髪をフワリと躍らせながら振り返り、笑う。
「国のお偉方とまぐあう俺らはな、一生ここからでらんねーよ。出たら最後、死ぬだけだ。死人に口はねーからな」
その笑い方はとても奇妙にゆがんでいて、僕は、ただ、彼の細められた金色の瞳をジッと見つめることしか出来なかった。
+登場人物+
アシュレイ:男・赤い髪、琥珀に近い金色の瞳・アースの先輩件教育係(23)