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2、荷馬車の中の僕

僕は、一枚の絵画の前に跪いていた。

絵に描いてあるのは、雄雄しくも猛々しい栗色の髪の男で、彼は愛馬に跨りコチラをひたと見つめている。

僕は、この男を敬愛していた。それゆえに、哀悼の意を示さなければならないと心の奥から思ったのだ。

頬に暖かいものが伝うのを感じながら、僕は声を押し殺した。


この男の前で、僕は泣いてはいけない。

この男の前で、僕は弱音を吐いてはならない。

この男の前で、僕は威厳を示さなければならない。


だって、僕は、この男を。この方を。









頬をぬぐってくれている感触に、僕はうっすらと目を開けた。また、夢を見ていた気がする。

途端にガタゴトと電車よりも軽くてうるさい音が、僕の脳みそいっぱいに響いた。

うるさいな、とイヤな顔をする。その途端、皺のよった僕の眉間にごわごわした何か、布みたいなものが押し当てられた。


「…え」


僕はガラガラのガサガサのしわがれ声をもらしながら、布を押し当てている何かを、誰かを、見やる。

ギョロリと空ろに窪んだ薄い茶色の目が、僕を見ていた。

布を宛てる手は枯れ木のようで、ぼさぼさの黒髪は薄汚れている。たぶん、人。浮浪者をもっと酷くしたような。


「おきた?」

「あ…」


僕は、その声を聴いて初めてこの布の持ち主が、女の子であると認識した。

僕よりもたぶん年下の、小さな女の子。そして僕の眉間に押し当てられていた布は、どうやら彼女の服の袖口みたいだった。


「あ、の」


何がどうなってこうなっているのか判らなくて、僕は困惑気味に、ともすれば泣きそうになりながら女の子を見た。

女の子は察してくれたようで眉毛をハの字にしながら左を指差す。

彼女が指した先には、アーチ状の光があった。眩しくて顔をしかめる。

上の部分をちょっとだけ丸くした引越しトラックのドアを開け放って、それを内側から見ているみたいな光景だった。


「君、さっき入れられた。たぶん、あたしと同じ、商品」

「しょー、ひん?」

「君、傷いっぱいだけど、キレイだから、たぶんすぐに売れるよ」

「え、え…?」


羨ましい、と女の子はそれだけ言って、ちょっと弱弱しく笑って、僕の右側に座り込んだ。

僕は、彼女の言葉を口の中でもごもごと反芻させたけど、意味がよくわからなかった。

けれど、"商品"と"すぐ売れる"という単語におぞましい何かを感じて、僕は膝を抱きこんで丸くなる。


ただ、怖かった。恐ろしかった。


物語だったらきっと、都合よく誰かが助けてくれるのかもしれない。

けれど、助けてくれるならもっと早く助けてくれ、と思う。僕の物語にスパイスなんていらないから、早く助けて、と思った。


物語にはちょっとしたスパイスが必要なんだよ。


そういったのはたぶんお姉ちゃんだ。

たとえば、いきなり悪の軍団をバッタバッタと倒すだけじゃあ、物語には物足りないんだって。

悪の軍団にとらわれたお姫様を倒しに行くだけでもまだ足りなくて、そのお姫様がひどい目にあって、あわや、というところで助けるのが、王道なんだとか。しかし僕のお姉ちゃんは、それだけでもまだ足りないんだといっていた。


今はもうね、そんなはーい!お約束~!見たいな展開ってありきたりすぎて面白くないのよねー。

たまにだったら、おおお!ってなるんだけど、こう、主人公もさー、いかにも熱血ー!まっすぐー!いのししー!見たいなのはお姉ちゃんあんま好きじゃないのよねー。なんていうかちょっとひねてるっていうか、世間を斜めから見てるみたいな?

そんな感じのがいいと思うんだよねー。あ、でも現実にいたらぶん殴るかもしんないわーあはははは!


天真爛漫を絵に描いたようなお姉ちゃんを思い出しながら、僕は膝に顔をうずめてぼろぼろと泣いた。










+++












端的に言うと、僕を助けてくれるヒーローは、現れなかった。


僕がぼろぼろと泣いている間に、乗っていた所謂屋根つきの荷馬車は順調に旅を終え、僕はあの女の子と一緒に強面のおじさんに腕を引かれて馬車を降りた。

むっすりと何も言わないその人はけれども僕を殴ろうとか、蹴ろうとかはせずに、僕らを淡々と目の前の大きな建物の中に連れ込んだ。

その建物の1階に当たる部分は壁が無く、柱だけが等間隔で立っていて、その合間合間に大量の木箱やら藁やらが積まれていた。

僕と女の子を引き連れたおじさんは、その大量の木箱などは素通りして僕らを建物の2階へと連れて行く。

抵抗だとかはしなかった。

怖さが勝っていたというのもあるし、なによりも、僕はもうほとんど立っているのもやっとという有様で、もう何を考えるのすら億劫だった。

僕と女の子の間に会話は無い。

お互いにチラチラと様子は伺ったけれど、特に話題にするようなことも無かったし、なにより本当に、もう総てが総て億劫だった。

2階に着くと奥の方の部屋に連れて行かれ、僕と女の子は着ていた服を脱がされた。これにもあまり抵抗しなかった。

というか、あまりの早業だったので、抵抗する間なんてほとんど無かった。

僕らはそのまま少し黄ばんだ色の、ごわごわしたワンピースみたいな服を着せられて、小さな画板を荒く削った手錠みたいなものを手首に嵌めさせられてから、息もつかない間におじさんに連れられて大勢の人の前に立たされた。


「5!」

「8!」

「10!」


わあわあという喧騒といきなり始まった数字の大合唱に、僕は目を白黒させながら、その熱気で頭がひどくクラクラした。

お腹が空きすぎて(馬車に詰め込まれた後も結局何も食べられなかったし飲めなかった)気持ち悪くなったっていうのもあると思う。

とにかく僕が気持ち悪くてクラクラしている間に、僕はまたおじさんに手を引かれて脇に引っ込み1人のおばさんと対面した。


「商品はこちらでよろしいですか?」


おばさんの横に控えていたニコニコと愛想のよさそうなおじさんに、おばさんは「間違いないよ」と頷く。


「ではコチラにサインを…ええ、はい、大丈夫です。…おい、鍵」


最後の言葉は、僕と手をつないでいる強面のおじさんに向けた言葉らしかった。

おじさんはむっすりとした顔のまま懐からジャラリと鍵を取り出して、僕の手首につけられた手錠みたいな板をはずす。

そして僕の手は、おじさんからおばさんへを引き渡された。

おばさんは僕の手をしっかり握って、おじさんたちに背を向けて、廊下を行く。どうやら出口に向かっているらしかった。


「アンタを買った高級娼館"クローディア"のジーラってもんだ。わかんないことがあったら聞いてくれていいよ。ただし口答えはなしだ、いいね?」


若干の早口で言われた言葉に、僕はこくりと頷くしかない。けれどジーラさんはそれじゃダメだった見たいで、僕をチラリと見下ろしながら「返事」と短く催促する。僕は慌てて「はい」とカラカラとしわがれた声で言った。


「そう、返事は声に出す。それが基本だ」

「はい」

「あとは、そうだね、アンタ歳は?」

「えと、この前に10歳になりました」

「ふん、そうかい」


それにしちゃあチビだね、とジーラさんはいらない一言をくれた。ふてくされた僕である。

そんな僕をジッと見つめて、ジーラさんはすこしウンウンとうなったあと「アース」といった。

アース、英語で確か地球を指すんだったっけ。そのぐらい小学生の僕にだってわかる。だけど今ここで出す単語じゃないはずだ。

僕はたぶんいぶかしげな顔をしていたんだと思う。おばさんはニッカシ笑って、僕を指差した。


「アース、わかるかい? 古い言葉で茶色って意味さね。髪も目も濃い栗茶色だから、丁度いいだろ」

「え、え…?」

「アンタの新しい名前さ!」


鈍っいねえ!とカラカラ笑うジーラさんに、僕は、愕然とした。

アースが茶色? どういう意味だろう。地球って意味だと思ってたのは間違いだったんだろうか。


僕の心臓が、ドクドクと音を立てる。

今更になって、僕は僕自身がただの迷子じゃないって、ただの遭難者じゃないって気がついた。

いや、日本じゃないのかもっていうのは、なんとなく思ってた。荷馬車なんて初めて乗ったもの。

でも、まさか、この世界は。


「ジーラさん、あの」

「なんだい?」

「あの、ここって、どこ、なんですか」


震える声を何とか束ねて、僕はやっとこさっとこソレだけを口にする。

もっといろんなことを聞かなきゃいけなかったんだろうけど、半分パニックになった僕の頭じゃ、ソレだけ聞くのが精一杯だった。

ジーラさんはちょっと訝しげにしたけれど「ここは」と口を開く。


「アズガル王国首都サーファティレのロッズゴード商会さ」

「アズガル、王国」

「そう、ミズガルド大陸の西端にある国さね」


僕の心臓が、どくりと波打った。そんな大陸の名前、僕は、知らない。











+++









ジーラさんのお店につくまでの道中、お店専用の荷馬車にて出された約一日半ぶりの食事は、僕の掌に納まるサイズのパンひとつだった。

齧り付いたらカチンと言う音がしたので、僕は涙目になりながら結構強引にぎちぎちとパンを引きちぎり、唾液でゆっくりとぬらしふやかせながら食べることにする。

味とかはどうでも良かった。硬さももうどうでもいい。兎にも角にも、食べ物だった。ジワリ、と目頭が熱くなって、ぼたぼたと涙があふれる。

ジーラさんはそんな様子の僕に、特に何も言うことは無かったけれど、ソッとお水の入った皮袋を目の前に置いてくれた。


「アンタ、これ読めるかい?」


先ほど新たに与えられた、ちょっとごわごわする濃紺のカットソーみたいな服の袖でぐしぐしと涙をぬぐい、むぐむぐと与えられた固いパンを口いっぱいにほおばって、僕はジーラさんから渡された物に目を落とした。

ジーラさんに渡された紙と木板とのあいのこみたいな物にはぐにゃぐにゃした中南米的な文字と、見慣れた数字が並んでいた。

僕は口の中のパンを飲み込んでから、数字を指して「これは読めます」という。ジーラさんは、ふむ、と思案顔になってから、僕から紙のようなものを受け取った。


「そうさねぇ…アンタの仕事は今ンとこ、見習いとしての手伝いと、文字の勉強ってとこか」

「あの、勉強はわかるんですけど、見習いって何のですか?」

「ん? そりゃあ"娼館"なんだから、男娼の見習いさ」

「だんしょーって、なんですか?」


ジーラさんは目をまんまるにして、僕を凝視した。ダンサーの親戚ですか?って聞かなくてよかった。絶対滑ったよね。

それにしても、穴が開くほど見る、という言葉があるけれど、なるほどこんなに見られちゃ確かに穴が開きそうな気はする。

そんなことをボンヤリと思いながら、僕はジーラさんの言葉を待った。

ジーラさんは、ぐぬう、と難しそうな顔をしてから「こりゃ、一般教養もかねえ」なんて口の中でもごもごとつぶやいて、若干疲れたように僕を見やる。


「その辺も含めて、アンタの教育係兼先輩に教えてもらっとくれ」

「え、あ、はい」


僕はきょとんとしてその様子を見ていたのだけれど、後に紹介された先輩にそのことを話したら「あのババア、逃げやがったな…」と酷く不愉快げな顔をされたのだった。

+登場人物+

アース:男・主人公・濃い栗茶色(10)

ジーラ:女・娼館の亭主・薄茶色の髪・紫の目(48)

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