其の玖拾捌:諦めは心の養生
授与所の建物から外に出ると、参拝者達がワッと爛菊達へと迫ってきたが和泉を含んでいるからか、まるで彼女達四人を守るように鹿達が取り囲んで参拝者達を阻んだ。
そのまま本殿までの道のりを、鹿達が付き従う。
和泉にとっては毎度のことらしく平然と歩を進めていたが、集団に追われた経験のない爛菊は居心地が悪い。
壱織だけが集団を意識してか、一つ一つの仕草に格好をつけてその度に狙い通り、歓声が上がった。
だが参拝客達が付いて来れるのも拝殿まで。
その先には本殿があり、関係者以外は入れない。
社殿へと入る四人を見届けてから、鹿達も役目を終えたように散っていった。
「ありがとう、お前達」
和泉もまた、鹿達に声をかけてから奥にある本殿へと歩き始める後を、爛菊達は付いて行く。
本殿内に入ると和泉は人数分の円座を用意する。
「早速本題に入りたいところだが、まずは自己紹介を軽くしてもらえるかな? 丹鶴の妖さん」
和泉も円座に腰を下ろしてから、スィと壱織へと美しい碧眼を向けた。
「よく俺がすぐに丹鶴だと解かったな」
「だてに今の立場になったわけではないからね。ちなみに私は、神鹿の鹿乃静香和泉と申す者。ご覧の通り、この神社の神主をしている」
「フン……俺はご理解の通り、丹鶴の飛鳥壱織だ。こいつらと同じ学校で保健医を勤めている」
「おばあ様はお元気でおられるかい?」
リンとした涼しい声に穏やかな口調で和泉が尋ねる。
「えっ! あんた、俺のおばあ様を知ってんのかよ!?」
壱織はギョッとした様子で尋ね返した。
「ああ。昔からご縁があってね。親しくさせて頂いている」
これを聞いて壱織は口ごもる。
壱織にとって祖母は、いくら鶴の恩返しをした存在とは言え身内にはとても厳しいので、苦手としているのだ。
そんな祖母の知人となれば、無礼な態度は控えねばならない。
もし祖母に知られてはこっぴどく叱られてしまうからだ。
初めはいくら和泉が自分より美しかろうが、所詮はケダモノだと内心で嘲笑していたのだが彼の立場を知った以上、慌てて気持ちを切り替える壱織だった。
途端におとなしくなった壱織の様子を不思議に思いながら、爛菊はタイミングを見計らってゆっくりと口を開く。
「あの、今回訪ねて来たのには実は……」
「ああ」
和泉は答えて手に持っていた桧扇で軽くポンと自分の手に打つと、上半身を低く屈めて幼児姿の千晶と視線を合わせる。
「いやはや、見事にちんちくりんなお子になったな千晶よ」
悪戯っぽい眼差しを向けながら、閉じた桧扇で千晶の額を小突く。
「チッ!」
千晶は苛立ちを露わにその桧扇を手で払いのける。
「それで? どうしてこんな愉快な状況に陥ったのかな?」
和泉はニコニコと笑顔を見せて、悪びれる様子もなく尋ねてきた。
これに答えたのは千晶自らだった。
「夫婦水入らずで老舗の温泉旅館に行ったんだ。すると五~六歳くらいの幼女が現れて、一緒に遊ぼうと言ってきたのを断ったらこの始末だ。おそらくは特徴からして座敷童子だと思われるが、妖力を一切感じなかった」
「妖力を感じない座敷童子……? 成る程、心当たりが一つある。その子は名乗らなかったかね?」
「あ……名前は、コノハナと」
今度は爛菊が答える。
これに和泉は柔らかい表情を浮かべたまま、無言で大きく首肯した。
「ふむ、此花か。それなら納得いく」
「お前、そいつも知っているのか」
千晶が幼い声で指摘する。
「ああ。此花は私同様、神格化した座敷童子だ」
「神格化って……って、あんたも神格化した存在なのかよ!?」
驚愕する壱織に、和泉は微笑む。
「おかげ様で」
「……!!」
祖母の知人の上に神格化の立場であると知って壱織は、愕然とした。
妖怪の神格化は稀だからなのもある。
「通りで妖力を感じなかったわけだ。自分の妖力を完全に消していたってことか。これで妖力封じの業も頷けるな」
千晶はぼやくように言った。
「私は千年妖怪を経て神格化した立場だが、此花はわずか四百年で神格化した妖怪だ。それだけ座敷童子への人間からの信仰心が強かったからだ。勿論、全ての座敷童子がそうではない。此花だけが特別、熱烈な信仰心を受けたからだよ」
「千年妖怪……」
和泉が語る中、小さく口の中で呟きながら壱織は改めて、彼に対して瞠目していた。
「しかし此花にとって神格化は皮肉なものだった。あの子は元々はあの宿屋が昔ただの住居だった時に、口減らしされた地縛霊だからだ。その霊を鎮めようと祀られたのが座敷童子・此花の始まり。やがてあの場所が宿屋になってから小規模な鎮魂祭を行うようになり、それが幸運の座敷童子が憑いているとされて次々と宿泊客からの強い信仰心に変わり、此花を神格化させた。よって此花は尚更あの場所から離れられなくなった」
ここまで語った和泉の話に、爛菊は思案しながら口にする。
「つまり、地縛神――ってことかしら?」
彼女の言葉に、和泉はゆっくりと頷く。
「その通り。だが人の目にあの子は視えない。あの場に縛られて此花はずっと孤独だっただろう。妖力を消していたのはまだ神格化して日の浅い此花を狙う、不浄の妖怪から気配をくらます為と思われる」
「じゃあ千晶様を幼児化して妖力封じをしたのはなぜ?」
すると和泉はクッと喉を鳴らした。
「単純に腹いせだろう。一緒に遊んでくれないことへのな」
和泉は平然と述べると、口元に広げた桧扇を当て愉快そうにコロコロと笑った。
「腹いせ……」
「相手は座敷童子なだけに……」
「道理だな……」
千晶、爛菊、壱織の順で口にする。
「あの子は年齢を操る能力を持っていてね。お前を妖力封じにしたのはその術を破られないようにだろう。しかしお前の妖力の高さに体の大きさが伴っていなくて、封じられても溢れ出る妖力が無理矢理凝縮されているはず。何か特別な変化はなかったかね?」
笑いを収めると和泉がふと尋ねてきた。
「高熱で倒れたのを、こちらの飛鳥先生に助けてもらったわ」
「成る程。君は治癒能力を持っているんだな」
「まぁ、だから保健医になったのもある」
そう答えた壱織ではあったが、実際は祖母から強迫的に助言されたからと言うのもあった。
「じゃあお前は俺の幼児化を解除できないのか?」
「神格者の術を別の神格者が解くのはとても大変な手間と時間がかかる。ここは素直に此花から解いてもらった方が早いぞ」
千晶からの疑問に、そう言葉を返す和泉。
これに爛菊が呟く。
「そう……」
この様子を見て和泉は別の方法を口にする。
「もしくは、生粋の神ならば容易かろうが」
この言葉に、千晶の脳裏に勝ち誇った笑みを浮かべる天活玉命の姿がよぎった。
「断っ然、無理だっ!!」
怒りを露わに声を荒げると千晶は、その小さく短い両腕で爛菊を抱きしめた。
傍からはしがみついているようにしか見えなかったが。
「どうなさったの? 千晶様。そんなにムキになって」
異界で活玉から治癒してもらった爛菊は、気絶していたので面識がなかった。
その彼女に活玉は手出ししようとして千晶を激怒させたのだ。
本人は軽い冗談だったのだが。
「では此花を宥めてやるのだな。そうすれば素直に術を解いてくれる」
和泉は扇をパチンと閉じると、クスリと笑った。
「で? 何で俺まで?」
温泉宿にて、壱織が口元を引き攣らせる。
「相手はガキだ。人数が多いに越したことはない」
千晶は壱織の足にしがみついた格好で冷静に答える。
「ハァーッ!? お前、自分がしたことだろうが! てめぇのケツはてめぇで拭けっ!! それとも何か? ちみっ子坊やはママの手を借りないと無理でぇ~す、ってか? 朝霧がいるだろう。朝霧にママの代役を――」
ガブリ!!
「いってぇぇーっ!! こっ、こいつっ、俺に噛みつきやがった!! このケダモノめっ!!」
「あなたが余計なことばかりベラベラ言うからよ……口達者なこと」
千晶に噛まれた手を振る壱織に、爛菊が呆れ果てているとふと視線を感じて、そちらへと顔を向けた。
そこには赤い鞠を抱きしめて、寂しそうにこちらを見ている此花の姿があった。
「此花ちゃん。こっちへおいで」
優しい笑顔を浮かべる爛菊に、此花はパッと表情に喜色が差す。
爛菊の手招きに嬉しそうに駆けて来た。
「このお兄ちゃんも遊びに混ぜてって」
「えぇっ!? 何をお前まで勝手に――っ!!」
「何して遊ぶ?」
「手毬唄ぁ~!」
屈みこんで尋ねた爛菊に、嬉しそうに此花は答える。
これに壱織が賺さず口を開く。
「あー、残念だなぁ! お兄さんはもう大人だから手毬唄は――」
「じゃあ子供なら良いのかの?」
「え゛っ!?」
ギクリとする壱織に、千晶がしたり顔を浮かべた。
「ふっ、馬鹿めが」
気付いた時には此花の鞠が壱織の体にタッチしていた。
こうして壱織ももれなく二~三歳の幼児と化したのだった。