其の玖拾肆:偉大なる絆
毒霧に真っ先に敏感な反応を示したのは雷馳だった。
「お母さんが危ない!!」
雷馳は土蜘蛛――八握脛の背中から飛び出す。
丁度その場所にいた為、朱夏とはそう距離がなく直ちに雷馳は彼女が包まれている繭に飛びつくと、朱夏の顔に覆いかぶさる。
普通の猫ほどの大きさしかない雷馳ではあったが、両手足にある皮膜を広げて毒霧の吸気から守る。
「苦しいかも知れんが、辛抱してくれお母さん!」
祈るように雷馳は朱夏の顔にしがみつく。
一方千晶は毒霧の発生に気付くや首を捻り、八握脛の前足を引き千切るやそのまま咥えている足を放り捨てて、一つ大きく吠えた。
「ウォン!!」
すると洞窟内に風が吹き荒れて、充満していた毒霧をたちまち消滅させてしまった。
鈴丸は以前、大百足戦で毒を食らった経験があったのでその辛さが改めて思い出され、まるで八つ当たりのように八握脛の右前足に鋭い爪を叩き落とした。
左側を千晶に今しがた噛み千切られ、両前足を失った八握脛はバランスを崩す。
八握脛の真正面からもろに毒霧を浴びる形となった鈴丸だったが、大百足戦の後に和泉からもらった琥珀を服用したおかげで、毒の耐性は上がっていた。
同時に、後方からも八握脛の白い血液が吹き上がった。
爛菊が、八握脛の虎の尻尾を切断したのだ。
尚更バランスを失い、前のめりの格好になる八握脛。
「くぅ……っ! こうなったら、少しでも妖力を上げて……!!」
八握脛は呻くと、後ろ足を上げて朱夏へと先端の掌を伸ばす。
毒霧が消えてから、朱夏がぶら下げられている太い糸に掴まっていた雷馳が、これに気付く。
「ハッ! 駄目じゃ! お母さんは渡さん!!」
雷馳は叫ぶと八握脛へと放電する。
だがその時、朱夏が目を覚ました。
「ん……うぅ……」
「お母さん!!」
雷馳は放電をやめて、朱夏へと向き直る。
「雷馳……危ないから……お逃げ……」
「イ……ッ、イヤじゃ! お母さんをわしは助けに来たのじゃ……!!」
「でも……私はお前を失いたくないから……私なんかの為に、死んでほしくは、ない、から……」
「わしとてお母さんを失いとうない!!」
「聞いて雷馳……」
「な、何じゃ……!?」
「雷馳……お前は私の大切な宝物よ……!」
直後、朱夏は八握脛の手の中に掴み取られる。
朱夏をぶら下げていた糸が伸縮したが、八握脛は力ずくで自分が紡いだ糸から、繭に包んでいる朱夏を引き千切る。
この衝撃で糸から落下する雷馳。
「駄目じゃ……駄目じゃ! やっと会えたのに……! お母さんと出会えたのに……! お母さんは、わしが守るんじゃーっ!!」
自分の手元から遠ざかっていく朱夏へと、手を伸ばしていた雷馳の脳裏に今しがたの朱夏の言葉が蘇る。
――雷馳。お前は私の大切な宝物よ――
途端、落下していた雷馳が紅い光に包まれた。
「雷馳!?」
「ライちゃん!!」
鈴丸と爛菊がその異変に反応する。
一方、朱夏を掴んでいる八握脛の足に噛みつく体勢に入っていた千晶も、これに動きを止める。
洞窟内に落雷のような轟音が響き渡り、繭に包んでいた朱夏を今まさに口の中へ運んでいた八握脛も、思わず動きを止めた。
紅い光に包まれながら、雷馳は地面へと着地する。
それと同時に、パシンと雷馳の全身から紅い光が弾け飛ぶ。
その光の中から現れたのは。
後ろ足がもう一対増えて、狼姿の爛菊よりも一回り大きくなった、六本足に二又尻尾の雷獣の姿だった。
巨大化した千晶と鈴丸よりかはまだ小さかったが、先程までの普通の猫くらいと比べれば大きい方だ。
雷獣は大きく口を開けて顎を引くと、甲高い音とともに口内から紅いエネルギーが球体となって盛り上がっていく。
そして口一杯に大きくなったかと思うと、その球体エネルギーを発射した。
一直線を描いて、周囲に電流を帯びながら真っ直ぐと、八握脛へと突っ込んでいく。
まるでプラズマ砲にも似たそれは、八握脛が朱夏を掴んでいる足を焼き切り、左腹部から右胸部へと斜め方向から八握脛の体を貫通した。
「ギャアアアァァァーッ!!」
悲鳴を上げる八握脛。
八握脛の切断された足と一緒に、落下してくる繭に包まれている朱夏を千晶が身を翻して背中で受け止める。
六本足になった雷獣――雷馳は、その間にある皮膜を広げコウモリのように羽ばたかせた。
今までただ滑空することしかできずにいたが、今度は自分の思い通り自由に飛び回ることができる。
雷馳の双眼は、青紫色の光一点になっていた。
千晶は朱夏を爛菊に預けると、雷馳の動きを見ながら鈴丸へと声をかける。
「よし、このまま一気に叩き込むぞ!」
「了解!!」
巨狼と巨猫の二人は、八握脛へと突進していく。
「おのれ……おのれええぇぇぇー!!」
八握脛は老女と野太さの二重の声で叫んだ。
「朱夏さん、大丈夫?」
爛菊の牙でようやく繭から開放された朱夏は、コクリと頷く。
「え、ええ……」
そして空中を飛び回る雷馳を見上げてから、言った。
「あれが雷馳の本来の姿……」
「いいえ。今までは小さくてカワウソとムササビを合体させたような、愛らしい姿だった。今突然、ああなったのよ」
「突然……」
朱夏は爛菊の言葉を繰り返しながら、息を呑んだ。
空中に飛び立った雷馳は、二又に分かれて平たく大きなフサフサの尻尾を、大きく頭部へと仰け反らせる。
すると尻尾の先端からまた紅い球体が出現したかと思うと、そこから数本の紅い雷が発射された。
「そう何度も食らうか!!」
八握脛も残った足で立ち上がると、正面に大きな蜘蛛の巣を張って紅い雷を防御する。
電流が蜘蛛の巣に沿って流れ、分散される。
だがここで、千晶が八握脛の足に噛みついて引きずり倒す。
「く……っ!!」
八握脛はまたもや、先程までの腹ばいになる。
そこへ賺さず鈴丸が、八握脛の般若の顔面めがけて、連続猫パンチを与えた。
何せ自分と比ではない大きさの巨猫から繰り出されるパンチだ。
鋭い爪に加えてその威力に、八握脛の顔面はズタボロになる。
その間に、再び雷馳が大きく口を開けて、最初の紅いプラズマ砲を放った。
左斜め上から、八握脛の胸部に突き当たると今度は、まだ貫通していない内に雷馳はバクンと口を閉ざした。
瞬間、八握脛の体内で一気に電流が暴走した。
自分達まで感電しないように、千晶と鈴丸はその場から背後へと飛び退く。
「ギイイイイヤアアアアァァァァー!!」
二重の声が絶叫すると、一瞬固まってからゆっくりとした早さで炭化し、八握脛の全身が瓦解していく。
同時に狼姿の爛菊の額に、紫色の一文字が浮かび上がった。
妖力吸収の合図だ。
これに爛菊は地面に足を踏み込むと、大きくそれでいてゆっくり吸気する。
瓦解していく八握脛から青白い靄が発生し、爛菊の口内に取り込まれていく。
やがて全てを吸気し終えると、爛菊は本能的に勝利の遠吠えを放った。
「ウオオオォォォーン……!!」
洞窟内に響き渡る中、八握脛から放たれていた数個の火の玉が、ポツリポツリと消えていく。
真っ暗になる前に、人の姿に戻った鈴丸が入れ替わるように数個、火の玉を発生させた。
千晶も人の姿に戻る。
一方雷馳は、地面に着地すると繭から開放されてすっかり自由になった朱夏の姿を確認してから、その場へバタリと倒れこむ。
みるみるうちに小さくなり、以前の雷獣姿になったまま気を失う雷馳に、朱夏が駆け寄った。
「雷馳!!」
消滅した八握脛の腹部があった場所から、無数の髑髏が転がり出てくる。
「これが八握脛の妖力の源だ」
「なるほど。それで髑髏が雷馳と朱夏さんの前に現れたわけね」
千晶の言葉に納得する鈴丸。
大量の髑髏の数に、どれほど八握脛が強かったのかが窺い知れる。
これだけの数の人や妖を喰らった証拠だ。
「ねぇ……さっきの雷馳って、雷獣の成長した姿だったよねぇ? まだ完全体と比べれば小さい方だったけど」
「ああ。多分、一時的な進化だろう」
尋ねてきた鈴丸に、千晶は首肯する。
「雅狼さん! 雷馳がっ! 雷馳が!!」
また猫ほどの大きさに戻った雷獣姿のままの雷馳を、朱夏が涙ながらに抱きかかえて千晶へと訴えて来た。
「大丈夫。必要以上の妖力を使いすぎて、今はその激しい疲労感から眠っているだけだろう」
「今夜はきっと、心配で眠れないわね。朱夏さん」
白銀の狼から人の姿に戻った爛菊が、朱夏の元へやって来て彼女の腕の中にいる雷馳の横顔を、軽く指先で突付く。
「何はともあれ、こうして朱夏さんが無事で良かった」
「爛菊さん……」
そうして女二人は微笑みあった。
「でも――あの一時進化した雷馳、おそらくこの中で一番最強だったよね……」
鈴丸がポツリと口にした。