其の玖拾参:呪いに毒
八本の足の先が人の手の形になっているので、更に八十本の指がわさわさと小さく動いている。
そのうちの一本を今しがた爛菊が切断したが、たかが一本の指ぐらい失っただけで、土蜘蛛――八握脛は全く動じなかった。
とりあえず鈴丸は、基本攻撃を仕掛けて八握脛の様子を見ることにした。
「猫又の火!」
ボウリング球ぐらいの火の玉を、八握脛へとぶつける。
しかし、八握脛は素早く虎の尻尾を動かして、それを地面へと叩き落とした。
「まさかほんまにこないな攻撃で、うちを倒せる思てはりますのんか?」
老女を連想させるような声で八握脛は言う。
「まさか。軽いストレッチだよ」
鈴丸は口角を引き上げる。
「では俺も」
千晶は言うと、両腕を横向きにした形で握り締めた拳をそれぞれ左右の肘側へと構えて、上下に額と腹部の高さに開く。
「真空圧縮」
唱えると同時にそれらの両腕を、胸部の高さで閉じ合わせた。
するとズンと重々しい音とともに、八握脛に空気の圧力がのしかかる。
その重みで八握脛は八本の足の関節を軸に、全身を支える。
目には視えない力が、八握脛を押さえ込む。
「ぬ……ぅぅうううん!!」
呻き声を上げるとともに、八握脛は八つの手の平と七十九本の指先に力を込めるや否や、関節を勢い良く伸ばして全身を持ち上げた。
ドンという音で目に視えない圧力が、分散されることが分かる。
その影響で洞窟の天井から、パラパラと岩壁の欠片が落ちてきた。
「軽い腕試しだ」
千晶がボソリと吐き捨てる。
「せやか。ほなら次はうちの番や」
八握脛は般若のような顔の口元が、不気味な笑みを浮かべる。
これに身構える千晶と鈴丸と雷馳。
白銀の狼姿の爛菊も足を踏ん張り、頭を低くして唸り声を上げる。
直後、八握脛は身を低くしたかと思うと、まるでバネのように天井高く飛び上がった。
みんな一斉に上を仰ぎ見る。
その巨体は刹那、宙に止まったかと思うと、そのまま垂直に地面へ着地した。
瞬間、物凄い衝撃波が八握脛を中心に、周囲へと広がった。
千晶と鈴丸は踏ん張ってこれに耐えたが、爛菊と雷馳は宙に舞う。
雷馳は空中で素早く雷獣本体へと変わり、両手足にある膜を広げて空気の流れに沿って壁の激突から免れる。
爛菊も身を捻ると、岩壁に横向きで着地し、身軽に地面へと降り立った。
「大丈夫か爛菊」
「平気よ」
千晶の言葉に、冷静に爛菊は答える。
すると今度は、八握脛が背中を見せたかと思うと白く太い糸が尻から発射されて、千晶と鈴丸の体に巻き付いた。
自由を奪われる二人。
「千晶様!」
「鈴丸!」
爛菊と雷馳がそれぞれの名を呼ぶ。
「チッ……」
「うわぁ、ネバネバ、気持ち悪い!」
「このままお前らも、姑獲鳥同様繭にしてくれる!」
八握脛の言葉とともに、次から次へと糸が放出されて千晶と鈴丸へ巻き付いていく。
「千晶様! スズちゃん!」
狼姿で駆け寄ろうとした爛菊を、二人同時に制する。
「来るな爛菊!」
「来ちゃダメだランちゃん!」
これに慌てて急停止する爛菊。
「OK。これで分かったよ。やっぱりこの姿じゃ埒が明かないね」
鈴丸は不敵な笑みを浮かべるや、言い放った。
「我が身を包め、猫又の火!」
瞬間、鈴丸は紅蓮の炎に包まれたかと思うと、すぐに消えて蜘蛛の糸を焼き払い自由になった鈴丸が姿を現す。
一方、まだ糸に包まれ続けていた千晶に、鈴丸が声をかける。
「火、貸そうか?」
「ふ……問題ない」
千晶は小さく口角を引き上げたかと思うと、口走る。
「糸を切断しろ。真空斬」
直後、千晶を包んでいた糸が、バラバラと切り刻まれた。
「さすがやな。余計その妖力、欲しゅうなったわ」
八握脛はわさわさと足を動かすと、千晶達へと向き直った。
千晶と鈴丸は互いに視線を交わすと、無言で首肯する。
そして鈴丸が身を捻ると煙とともに、そこには二又尻尾の巨大な三毛猫が姿を現す。
同時に、鈴丸の隣に金色の巨狼も姿を現した。
首の周りから胸元までたてがみがある、猛々しい姿だ。
「この中で一番ちっこいの、わしだけではないか」
いつの間にか鈴丸の頭の上に乗っている雷馳が、ボソリと口走る。
サイズこそ違えど、今ここに巨大蜘蛛は勿論ながら、黄金の巨狼、白銀の狼、三毛猫で金と青のオッドアイの巨猫、そして雷獣が顔を合わせた。
壱織がもしこの場にいたなら、まさにケダモノの集まりだと言うことだろう。
千晶と鈴丸が巨大化したことで緊張感が漂うこの洞窟で、次に仕掛けたのは雷馳だった。
鈴丸の頭の上から八握脛へと滑空すると、放電を行う。
電流が八握脛の体の表面に駆け巡る。
「チッ……こんなもの、ただの静電気や! うっとおしい!」
八握脛は虎の尻尾で、空中を飛んでいる雷馳を蝿のように叩き落とした。
「ぁう!!」
落下してくる雷馳を、爛菊が着地点を目指して駆け出すと背中で彼を受け止める。
「かたじけないラン殿……」
「気にしないで。ライちゃんこそ、平気?」
「うむ……あの尻尾さえなければ空中攻撃が可能なんじゃが……」
「任せて」
爛菊は頷くと、雷馳を背中に乗せたまま八握脛の尻尾をめがけて走りだした。
彼女の意図を察した千晶と鈴丸は、八握脛へと攻撃を開始する。
「ニャアアアアアーオオオォォウゥ!!」
身を低くして高らかに鳴いたのは、巨猫姿の鈴丸だった。
猫の遠吠えが、洞窟内で反響する。
直後、八握脛の動きが止まる。
「むぅ……!?」
猫又の遠吠え――金縛りだ。
黄金の巨狼姿の千晶が、前方にある八握脛の足の根元に喰らいつく。
同時に、普通サイズの白銀の狼姿をした爛菊が、八握脛の虎の尻尾の付け根に噛みついた。
爛菊が何をしようとしているのか察知した雷馳は、彼女の背中から飛び出すと再度、八握脛の上から放電する。
爛菊は先程の指切断同様、牙を突き立てた状態で後方回転を開始する。
人差し指の時と違って、八握脛の尻尾は更に大木のように太い。
八握脛の前足に噛みついた千晶は、顎に力を込めて巨大な牙を深々と突き立ててから、本体との切り離しを始める。
足の根元からは、八握脛の白い血液が吹き出す。
「こ……のおおおおぉぉぉぉーっ!!」
金縛り状態にある八握脛は、声を振り絞ると全身に力を込めた。
ピキピキと、まるでガラスにひびが入るような音がしたかと思うと、引き続き今度はそれが砕ける甲高い音が響いた。
八握脛が鈴丸の金縛りを打ち破ったのだ。
「クソ……ようもここまで!」
八握脛が忌々しそうに呻く。
この中で一番小さい雷獣姿の雷馳は、八握脛の背中に張り付くと直接体内へと電流を放つ。
これには効果があったらしく、八握脛は身悶えする。
鈴丸はそんな八握脛に向かって威嚇した。
「フゥゥゥーッ! シャー!!」
猫又の呪いだ。
だがこれに、八握脛は不敵な笑みを浮かべる。
「貴様の呪い、しかと頂いた」
「!?」
八握脛の声は野太いものに変わる。
どうやら方言を使うときは老女の声だが、そうでない場合は野太い声と、二種類の声を使い分けているようだ。
「この呪いを、毒へと変換する」
八握脛は言うなり、大きく口を開いてから左から右へと頭を動かしながら、息を吐いた。
それは緑色をした毒霧だった。
洞窟内が、毒霧に満ち溢れた。