其の捌拾柒:謎の気配
「何ゆえお主、千晶と鈴丸を知っておるのじゃ?」
「俺はあの高校で保健医を務めている。奴らには散々迷惑かけられてんだよ」
自分の質問に答えた壱織に、雷馳はハッとする。
「まさかお主が、丹鶴の妖とかいう、飛鳥壱織かの!?」
「よくぞ俺のフルネームをご存知で。やはり俺の美しさは、ガキであるお前にまで知れ渡っているのか」
壱織はしみじみ言うと、前髪を人差し指でサッと払いのけながら、格好つける。
「ガキガキと耳障りな。わしには雷馳という、ラン殿からもろうた素晴らしい名前がある! 学校では、響雷馳と名乗っておるがの」
「ラン殿……?」
雷馳の口から出たその名前に、何か引っかかるものを感じた壱織。
「おお、そうじゃった。ラン殿はお主のことを大相嫌っておったな。何でも超絶ナルシストで究極な潔癖症な点がウザいだとか……それと、傲慢で無礼な性格も」
「何!? もしかしてあの俺の美しさに理解力のない、小娘のことか!」
「ラン殿を小娘呼ばわりしておるのかお主! 彼女は千晶の妻で人狼皇后の、雅狼朝霧爛菊という立派な名前があるのじゃぞ!」
「へぇ~。そういう名前なのか、あの小娘」
ここまで来て、初めて彼女の名前を知った壱織。
「いい加減、小娘呼ばわりはやめぃ!」
注意する雷馳の言葉を聞き流して、ふと壱織は気付いた疑問を口にする。
「ところでケダモノのガキ。お前、雅狼と猫俣とはどういう関係なんだ?」
「ラン殿も含めて、皆わしの同居人じゃ。そうそう、壱織。その“ケダモノ”発言がラン殿のお主を嫌っておる原因の一つでもあるのじゃぞぃ」
「何……? この絶好調なまでに美しい俺が嫌いだと!?」
「だからさっきからわし、言っておるではないか。一体何を聞いておるのじゃお主……」
驚愕を露わにする壱織に、雷馳は呆れ果てる。
「嫉妬からくる嫌悪感か……つくづく哀れな。その朝霧だとか言ったな、小娘は。戻って慰めてやる必要がありそうだな」
「やめておけ。余計ややこしゅうなる。そうした空気が読めぬお主こそ哀れじゃぞ壱織」
「お前に哀れまれる覚えはねぇぞ、ケダモノのガキ――」
「貴様! いい加減ガキ呼ばわりもするな!!」
雷馳は怒鳴るや否や、壱織へと放電した。
「いってぇぇぇーっ!!」
「少しはその傲慢な態度、改めぃ!」
「セーターを焼き払った上に放電までするとは、何て野蛮なガキ――いや、お子様だ!」
「お子様でもない、雷馳じゃ! その“野蛮”発言もやめた方が良いぞ。さて、わしはお主などに構うのも飽きた。早々家に帰らねば、お母さんが待っておる。それではの」
雷馳は吐き捨てるように言うと、帰路に向けてその場を立ち去った。
「雷馳ねぇ。雅狼と関わっている連中には、ろくな奴しかいやしねぇ。さすがケダモノ――」
雷馳の後ろ姿を見送りながら、ここまで言いかけた壱織の脳裏にふと、不愉快そうな表情をしている爛菊がよぎった。
「チッ! しょうがねぇ人狼皇后だぜ。その朝霧とやらは! セーターも焼かれたし、気分悪くなったから今日はもう帰ろう」
壱織はぼやくと、翼を広げて空へ飛び立った。
まさか養護教諭である壱織が勝手に、個人的な理由で黙って帰宅したとは誰も気付きもしない中で、六時限目の体育の授業を受けている生徒達がいる運動場に、一陣の疾風が吹いた。
地上に低く土煙が舞う。
しかしそんな刹那の風など誰も気にせず、運動を続けていた生徒達だったが突然一人の男子生徒が、崩れるようにその場に倒れた。
側にいた他の男子生徒が駆け寄ると、倒れた男子の顔は真っ青だった。
「先生! 顔が青いです! 保健室へ運んでもいいですか!?」
これに教師も駆けつけて、保健室に運ぶ経緯に至ったのだが。
保健室に来たものの、肝心な保健医がいない。
とりあえず立つのはおろか、座っているのも辛そうな状態だったので、ひとまずその男子生徒をベッドに横たえる。
付き添った男子生徒に、保健医を職員室から呼んでくるように言ってから、体育教師は倒れた男子生徒に基本的な質問をしていく。
そうこうしている内に、保健室へとやって来たのは養護助教諭だった。
女の副保健医ではあるが、普段は特別なことがない限りは、事務室にいる。
女副保健医は、基礎的な健康確認をしていく。
そして下まぶたを引き下ろしてみると、男子生徒の下まぶたが白かった。
「これは多分、貧血ね。今まで同じ状況になったことは?」
「いえ……今回が初めてです……」
「でしょうね。男の貧血ってほとんどないから。食生活とか日常生活で最近変わったことは?」
副保健医は尋ねながら、足元に枕を二つ置いて、位置を高くする。
「いいえ……特別変わったことは何も……」
「全く。こんな時に飛鳥先生、どこに行っちゃったのかしら」
副保健医は愚痴りつつ、男子生徒のベルトを緩めシャツのボタンを二つ分開ける。
そして上布団を肩の高さまで掛けてやる。
「三十分くらいこれで様子を見ましょう」
副保健医が基本処置を済ませると、それを確認した体育教師と付き添いの男子生徒は後を副保健医に任せて、授業に戻った。
やがてようやく男子生徒の気力が回復して、ベッドから起き上がれるようになった。
やはり貧血だったらしく、特別重く考える必要はなかったようだ。
一方、教室で授業を受けていた爛菊は、小首を傾げながら自分の席から三列分右斜め前の席にいる鈴丸へと、視線を投げかける。
鈴丸も何かを感じたらしかったが、彼女へと振り向くと無言で疑問の表情を浮かべ、同じく首を傾げた。
千晶は別の教室で生物を教えているので、同じ教室にはいない。
ひとまず今の授業が終わるまで、周囲に神経を張り巡らせていたが、以降何かを感じることはなかった。
そして授業が終わり、鈴丸はすぐに爛菊の席へと足を運んだ。
「多分ランちゃんも気付いたんでしょう?」
「ええ、一瞬だけだったけど……」
「そうなんだよ。僕も一瞬だけしか感じなかったんだ。妖気……」
「やっぱりあれは、妖気だったのね」
「邪気までは感じられなかったから、このまましばらく様子を見ていても大丈夫だと思うけど……」
鈴丸は言いながら、ふむと腕を組むのだった。
下校時間になり、爛菊と鈴丸は千晶が運転する車に乗っていた。
「アキはどう思う?」
「俺も今のところは様子見だな」
鈴丸の質問に、千晶は平然と答える。
「千晶様がそう言うなら、危険性はないのね」
爛菊は彼の言葉に半ば安心して、その身を後部座席の背もたれに委ねた。
帰宅すると、宿題を終わらせてテレビゲームをしていた雷馳が、その手を止めて言い放った。
「今日、下校中に例の飛鳥壱織と遭遇したぞぃ」
朱夏は、リビングで取り込んだ洗濯物をたたんでいる。
「何でまた、雷馳の下校時間に?」
不思議そうな顔をする鈴丸に、千晶が軽く笑う。
「俺が少しばかり、あいつに悪戯してやったんだ。おそらく、そのせいだろう」
「うむ。何やら宙に舞う衣類を追いかけておったようじゃが、わしが一反木綿と間違えて放電して燃やしてしもうたのじゃ」
これを聞いて、更に千晶は愉快そうに笑い声を上げる。
「で、どうだった? 壱織との感触は」
「話に聞いた通りのナルシストで傲慢な輩じゃった。しかしあやつは、阿呆じゃな」
「ブフッ!! 雷馳にまでそう言われるなんて!!」
雷馳の発言に鈴丸は思わず吹き出すと、腹を抱えて笑い始める。
爛菊は、あくまでも壱織の話題に参加することはなく、朱夏が時間を見計らって準備してくれたお風呂に入る為、自分の部屋へと行ってしまった。