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其の捌拾伍:小さな親切、大きなお世話



 それにしても。

 保健室にて、編み物をしていた手を休めてから壱織(いおり)はデスクで、ふむと腕組みをする。


 あの雅狼(がろう)の妻だとかいう半妖の小娘。

 この美しすぎる俺に対して一切怯むことなく、平手打ちにしてくれたよな。

 本来ならあまりにも美しすぎて、手を上げることも(はばか)られるだろうに。


 そう思いながら壱織の手には、いつの間にかコンパクトミラーがあった。

 鏡に映る自分の顔を、右に左にと角度を変えながら見惚れる壱織。


 人間は虫ケラよりも弱い下品な生き物ではあるが、この美しい俺を見る目は確かだからそこは認める。

 よって誰もが俺に憧れ、心惹かれるのはこの際理解できる。

 だがしかしだ。

 どうしてあの小娘ただ一人だけが、この俺をまるで気にも留めない? 

 あの小娘が俺に対して取る言動は、まるで下等生物を見下げるそれと同等。

 これほど世にも美しい俺が、僅か一人からでもそういった反応をされるのは、決して許されるべきではない!

 全知全能、宇宙万物あらゆる全てに愛でられるのが、この俺の存在のはずだ!!

 ケダモノが相手というのが不本意ではあるが、あの小娘にもこの俺の美しさを思い知らせてやろう。


 ここまで考えて壱織は、はたと気付く。

「何て俺は優しく親切なんだろう。ある意味では、俺はなんと罪深い……」

 独り気取って呟きながら、今日は何も起こらずに安らげる保健室の平穏な一日を、心地良く過ごす壱織だった。

 自分からは行かず、向こうから来るのを待つ。

 でなければ相手が自惚れかねないからと、改めて壱織は編み物の続きを開始した。




 ――放課後――

「なぜだ! なぜあのケダモノは来ねぇんだ! いつもなら昼休みにあの小娘を伴って来ていたのに!!」

 壱織が言っているケダモノとは、鈴丸(すずまる)のことだ。

 いつもなどと言っているが、爛菊(らんぎく)と鈴丸が二人揃って保健室に来たのは一度だけ。

 他には千晶(ちあき)と鈴丸が中にいる時に、その二人を訪ねて爛菊が一人で来たくらいだ。

 すると突然、壱織はハッとして動きを止める。

「もしかしてあの小娘……俺のあまりの美貌に恐れをなしているのか……!?」

 どうやら壱織は自分のことになると、何でもプラス思考なところがあるようだ。


 教えてやらねば。俺は愛でられはしても恐れられるような美しさではないことを。


 丁度その時、ふと窓の外を見ると庭園になっている外を、爛菊が職員用駐車場に向かって歩いていた。

 咄嗟に壱織は声を発する。

「おい、そこの小娘!」

 壱織は掃き出し窓を開けるや、ズカズカと彼女の元へと歩み寄る。

 が、二人の間には二メートル程の距離があるのは、壱織が自分の半径一メートル内に人を入れないところと、爛菊もまたこの不愉快な相手に近寄りたくなくて、同じく距離を保ったからだ。

「……」

挿絵(By みてみん)

 爛菊は無言のまま、不愉快そうな表情で壱織を睥睨している。

「お前から平手打ちを食らった原因である、俺が口にした言葉だが」

「……」

「つい本音(・・)が出てしまっただけで(・・・)、決して悪気はない」

 これに更に爛菊の表情は険しくなる。

「まさかそれ、謝罪のつもり?」

 すると今度は、壱織が眉宇を寄せた。

「どうしてこの俺が謝る必要がある」

「だったら今すぐ爛の前から消えて」

「だから悪気はなかったと……」

 言いかけている壱織の言葉が終わらない内に、素早く爛菊が遮った。

「でも本音なのでしょう」

「ああ、俺は素直だからな。嘘はつかな――」

「今すぐ、爛の前から、消えて!」

 ついに爛菊が声を荒らげて、自分の意見を強調した。

「な……っ!」

 たじろぐ壱織。

 

 何だ、何なんだ。この小娘が放つ気迫は!?

 この俺の美貌を改めて前にしても、一切怯むことも感激することもないとは!

 あり得ない。あり得るわけがない!


「お前はこの俺を見て何とも思わないのか!?」

「……何を?」

 彼女の抑揚がなく無関心げなこの言葉に、壱織は衝撃を受けた。

 暫しの沈黙の中、壱織の胸にある思いが去来する。

「お前は哀れな娘だな。この俺の美しさを前にしても何も感じないとは。無知とは罪だ。今後自分の為にも、美的感覚を養え小娘……」

 壱織はこの上ない同情の眼差しで、爛菊を見つめた。

 だが、爛菊は無反応だった。

 最早、怒りを通り越してこの究極のナルシストバカに、呆れ返っていたのだ。

「あなたみたいな人が、とても人間に恩返しができるとはこの際、思えないわね」

「何を言う。この俺の存在こそが既に恩返しだ。現に女子生徒達は喜んでいる」

 すると鈴丸が、校舎の方から走って来た。

「ごめ~ん、ランちゃん。お待た、せ……?」

 そうして爛菊と一緒にいる壱織に気付く。

「あれ、珍しい組み合わせだね」

「突然この保健医に声をかけられたのよ。本当、迷惑」

「俺は単に俺の意見を伝えたかっただけなのに、この小娘ときたら理解力が乏しくてな」

 壱織の全く悪気のない本音に、爛菊はギラリと眼を白銀色に光らせて壱織を睥睨した。

 そんな二人の様子に大体の状況が解かった鈴丸は、呆れた口調で壱織へ指摘する。

「あのね壱織。お前のそういった思考が、ランちゃんに対して失礼に当たるんだよ」

「なぜだ? 俺はこの美貌をこの小娘に教えてやってるが、どう失礼なんだ?」

「壱織こそ判断力がまるでないよ。その傲慢な態度である限り、一生君はランちゃんから理解してもらえないね」

 鈴丸と壱織の会話に、爛菊は盛大な溜息を吐いた。

「もういいわスズちゃん。爛はこんな男に全く興味ないから。さっさと帰りましょう」

「な……っ!?」

 歩き出した爛菊の言葉に、激しい衝撃を受ける壱織。

 “こんな男に全く興味ないから”

 この言葉が、壱織の脳裏で繰り返される。

 そうして立ち尽くしている壱織に、鈴丸は声をかけて爛菊の後を追った。

「じゃあね壱織」

 しかし鈴丸の声は、ショックを受けている壱織の耳には届いていなかった。




 なぜだ。

 俺のどこがそんなにあの小娘の癇に障ると言うんだ……?

 

 自宅に帰ってから壱織は、風呂場で湯船に浸かりながら考えていた。

 彼の自宅は十五階建てのマンションの最上階。

 2LDKで一人暮らしをしている。

 壱織らしく塵一つない室内は広く、白黒を主にゴージャスにあしらわれている。

 ベッドルームも白黒を基調にしているが、枕だけが赤いのはひょっとして鶴の頭を意識してのことだろうか。

 (ひのき)の香り漂う入浴剤を使用している湯の中で、突然彼の脳裏にある考えがよぎった。

「そうか……さてはあの小娘、この俺の美貌に嫉妬しているんだな……?」

 壱織はそう勝手に結論付ける。

 

 仮にも人狼皇后たる者が、俺より見劣りしているようではプライドが許さないってわけか。

 ケダモノの妃たる立場だから、この超絶美しい俺の存在を嫌がってんだな。

 だがそれは仕方がねぇことだ。

 何せあの小娘は所詮、ケダモノでしかないのだから。


 独り納得しながら、壱織は満足そうに短く笑う。

 そうと自己解釈すると、壱織はふと爛菊に同情を覚える。

「しょうがねぇ女だな! じゃあこれからは、あの小娘を慰めるように接してやるか。何て優しいんだ俺は」

 壱織はバスタブから豪快に立ち上がると、背中に出している翼を羽ばたかせて水滴を飛ばした。



 一方、千晶宅では。

 鈴丸から話を聞かされて、皆リビングで呆れ返っていた。

「バカだな」

「バカよね」

「馬鹿者じゃな」

 千晶(ちあき)朱夏(しゅか)雷馳(らいち)がそれぞれ口にする。

 これに鈴丸の膝の上にいるテイルも、一声鳴いた。

「ニャア~ン」

「あのナルシストさには、思い出すだけでも虫酸が走る」

 爛菊は不快げに言うと、手に持っていた湯呑みに口をつけるのだった。




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