其の捌拾弐:こっくりさんの正体
「キャアァァーッ!!」
教室中に悲鳴が響き渡る。
さすがにこれはまずいと、側で傍観していた男子生徒達が国分を取り押さえる。
「クックック……そうだ。このまま我を保健室へと連れて行くのだ……アッハッハッハ……!!」
両腕を男子生徒から支えられ、片手からボタボタと流血させながら、国分は愉快そうに高笑いした。
そして彼女を抱えて保健室にやって来た男子生徒の一人が、問答無用に引き戸を豪快に開け放った。
「飛鳥先生!」
「なっ! 何だ!?」
壱織は驚愕とともに、マッサージチェアから飛び起きる。
「国分の様子が変なんです! 自分でカッターを手に突き刺してこの通り、血だらけで……!」
「妖気……」
必死に早口で述べる男子生徒の言葉に、壱織は小さな声で呟く。
「クハハハ……! 貴様、鶴か! 喰ったらさぞかし美味で高い妖力も手に入りそうだな」
「一体何をしたんだお前ら」
壱織はゆっくり立ち上がりながら、付き添った男子生徒二人へと尋ねる。
「俺達じゃなくて、この国分を含めた三人の女子が、こっくりさんをやってたら……俺達はただ見ていただけで」
「こっくりさんとは、また古い遊びをよくもまぁ今の御時世でやったもんだ。分かった。後は俺に任せてお前らは教室に戻れ」
壱織に言われて、男子生徒二人は国分を保健室に残して立ち去った。
だが入れ替わるように、今度は鈴丸が姿を現す。
「なんか、すっごい邪悪な妖気を感じて来てみたんだけど」
すると国分がこの上なく不気味な笑みを浮かべて、鈴丸へと顔を向ける。
「ほぅ。今度は猫か。一気に二種族の獲物にありつけるとは……思っていた以上にここは、妖が集っているな」
「正体を明かす前に妖気だけで種族を言い当てる辺り、それなりに妖力のある妖だね」
「ああ。こいつは狐だ」
「狐かぁ!」
壱織の言葉に、納得したように無邪気な笑顔を見せる鈴丸。
「おい、ところでお前! その汚らわしい人間の血でこの教室を汚すな!」
「あくまでも潔癖症なんだね……」
狐の憑いた国分へ怒鳴り上げる壱織に、鈴丸は苦笑する。
「おっと、これは失礼……」
狐は言いながら、その国分の手から滴る血を、舐め拭う。
「ちなみに俺は美しいだけで戦闘向きじゃあねぇが、お前はこの邪悪狐を倒せるんだろうな」
「さてね……やってみないことには分からないけど、相手にはなるよ」
そうして鈴丸は、猫の耳と二又の尻尾を出現させる。
「この保健室をこれ以上汚されちゃあ迷惑だからな。亜空間の中でやってくれ」
壱織は言うと、パチンと指を鳴らした。
すると周囲がまるで、包まれるように茜色に染まる。
もうそこには今いた保健室ではなくなり、どこまでも続くだだっ広い空間だった。
「これ、壱織がやったの?」
「ああ。俺たる者、これくらいできなくてどうする」
鈴丸の問いに、壱織は気取った様子で答える。
気が付くと、いつの間にか壱織の背中から翼が出現していた。
さすがは五百年以上生きている妖は、能力の規模が違うなと鈴丸は内心密かに思う。
更にふと国分を見ると彼女からも、狐の耳と三本の尻尾が出現していた。
「三尾の野狐か」
鈴丸は呟くようにそう口走る。
きっと千晶も妖気を感じたはずだから、彼が来るまでの間だけでも持ち堪えればいいだろうと、鈴丸は判断する。
「では先に、その戦闘意欲剥き出しの猫を喰い殺してから、ゆっくりと鶴を味わうとするか」
「だそうだが、お前負けるなよ?」
「任せといてよ」
壱織と鈴丸は言葉を交わす。
「我を相手にしたことを後悔することになるぞ猫。身の程を知るがいい!!」
そうして飛びかかってきた三尾の野狐を、片手を地に突いた状態でトンと鈴丸は地を蹴って身軽にバク転して避けると、その背後に着地する。
「やりにくいな」
鈴丸はボソリと呟いた。
何せ人間の肉体に憑依したまま三尾の野狐が相手にしてくるので、鈴丸としてはどう反撃したら良いものかと考えあぐねていたのだ。
千晶はともかく、鈴丸は除霊する術をまだ持たない。
しかも女子の体だ。
下手にアザや傷などを付けたくないのが、鈴丸の本音だ。
更に飛びかかってきた三尾の野狐に、半身を捻って避けると大きく後ろへとジャンプして下がり、距離を置く。
「ちょこまかと!!」
三尾の野狐は国分の声を借りて唸る。
そして野狐は、ゆらりと三尾を動かした。
唯一、野狐の本体の一部だ。
鈴丸は身構える。
「貫け!!」
野狐は言うなり一本の尻尾の先を、鈴丸に向けて伸ばしてきた。
どうやら尻尾の先を硬質化し、突貫できるようになっているらしい。
しかしこれは鈴丸にとってはチャンスだった。
人間の肉体ではなく、本体への直接攻撃が可能だからだ。
再び半身を捻ってそれを避けつつも、ガシッとその尻尾を掴むや、グイと自分の方へと引き寄せる。
そして彼に引っ張られてよろめく野狐のその尻尾の付け根に、鈴丸は鋭い爪を振り下ろした。
「ギャン!!」
野狐が悲鳴を上げた時には、既に尻尾は切り離されていた。
「ほら壱織。戦利品。マフラーにでもして使いなよ」
鈴丸は笑顔で言いながら、離れた場所で傍観していた壱織へと、その野狐の尻尾を放り投げた。
「ヒィィッ! やめろ汚らわしい!!」
壱織は鳥肌を立てながら、自分へ飛んできた尻尾から逃れる。
その尻尾は、吹き出した血の重みでベチャッと虚しく地に落下した。
「よ……っ、よくも……っ! よくも我の大切な尻尾を……!!」
「僕を猫だからと甘く見てるからだよ――」
怒り狂う野狐を後目に、そう悠然とした態度で口にする鈴丸だったが。
気が付くと鈴丸は宙に浮かんでいた。
残り二本になった尻尾を、野狐は素早く鈴丸の背後から両肩に突き貫いて、高々と持ち上げていたのだ。
「三百年以上生きている我を、貴様こそ甘く見ているからだ」
国分の顔で野狐は口角を上げると、ブンと壱織の方へめがけて鈴丸の両肩を刺し貫いている二本の尻尾を、力強く振り払った。
「え!? ちょ……っ! ぅわっ!!」
壱織は避けきれずに見事、鈴丸を真正面から受けて一緒に倒れこんでしまった。
「う……いててて……ゲェッ!! ケダモノの汚らわしい血が、この美しい俺にベットリと!!」
壱織は喚きながら、自分の上に覆い被さっている鈴丸を、乱暴に押し退ける。
「いったぁ! ホントこういう状況にも関わらず、あくまでも自分のナルシーと潔癖症を持ち出すなんて、ムカつく奴だなぁ! 次はお前をあの野狐に突き出してやろうか!!」
鈴丸は痛みと怒りに顔を顰めながら上半身を起こす。
壱織も上半身を起こしてから、鈴丸の言葉に即答する。
「無理! 俺は戦闘向きじゃねぇから!!」
「だったらさっさと僕の肩を治療してよ!!」
鈴丸は二又の尻尾の毛を逆立てながら、壱織へと怒鳴りつけた。
「わ、分かった……!」
壱織は青ざめた顔で自分の上半身に付着した、鈴丸の血を見ながら首肯すると改めて自分の翼から羽根を一枚――。
「そんなまどろっこしいことせずに直接しろよな! 戦いの最中に呑気にしている時間なんてないんだからさ!!」
激痛で脂汗を滲ませながら鈴丸は強引に壱織の両手を掴むや、自分の穴の開いている両肩に無理矢理押し当てた。
ベチャリとした生暖かい感触に、壱織は絶叫する。
「ギャアァァー!!」
これには思わず野狐までビクリと驚いてしまった。
どうして無傷の鶴の方が悲鳴を上げているのかと。
だが同時に、たちまち鈴丸の両肩の傷が塞がっていった。
涙目で自分の両手についた鈴丸の血を、白衣に必死で擦り付ける壱織。
「よし! サンキュー壱織!」
鈴丸が肩をグルグル回しながら立ち上がると、突然どこからともなく、狼の遠吠えがこの茜色をした亜空間に響き渡った。