其の捌:鹿の妖、神鹿
ちなみに実際は勿論そうではないので、連絡を受けた実の両親も蒼白しながらあわてふためいて爛菊を探していた。
なので嶺照院家には当然そんな言い訳は通用しないが、その辺のところは彼女に姿を変えた紅葉が上手く誤魔化していることだろう。
「よーし。嶺照院君から直々に謝罪を受けたところで、今日も期末テストだから午前中までだな。そんじゃま、後は各自それぞれ頑張れー。以上、本日のホームルームはこれにて終了ー」
そう言い残して千晶は、上履きをパタパタと音を立てながらだらしない歩き方で教室を出て行った。
あんなかったるそうにして、一体どうして高校教師になったのやらとも爛菊は思ったものの、直後に自分がこの学校の学生だからそれを半ば監視する目的も含めて教師になったのかと気付く。
しかしあのやる気のなさは演技というよりも、多分本当に面倒がっているんだろうとも思った。
やがて学校の全ての項目を終えて、生徒達は各々帰り始めていた。
そんな中で建前ではあるがまるで規則のように、爛菊とすれ違う生徒達が声をかけていく。
「ごきげんよう」
「さようなら」
しかしそのような挨拶にいちいち答えていたらきりがないのもあり、そうした状況に慣れたもので爛菊は特別気を使うことなく、無言無感情無表情で素通りして行く。
校門の方では嶺照院の送迎車が待機していたが、それには爛菊に化けた信州戸隠の鬼女、紅葉が乗り込んでその車が門前を立ち去るのをしっかり爛菊はチェックしておいた。
内心、紅葉に感謝しながらそれを校門が見える校舎の窓から、爛菊は見送った。
そうしてある程度生徒数が減ったところで、爛菊は周囲に気を付けながらコソコソと、それでいて素早く教職員の駐車場へ向かった。
すると教師にも関わらず、千晶はもう車の運転席で爛菊が来るのを待機していた。
てっきり教職員としての仕事に追われて、自分の方が待たなければならないのではと思っていた爛菊は内心呆れたが、手間隙が省けたので素直に助手席に乗り込んだ。
「それじゃあ、神社に行くか」
千晶の言葉に、爛菊は返事一つで頷いた。
千晶に爛菊の前世である人狼復活手段を教えたという鹿の妖怪、神鹿。
記憶だけが戻り、人狼の力だけが戻らない謎を爛菊も気になっていたので、今からその予言をした相手にこれから会いに行く事に、意識を高めるのだった。
車を一時間かけて走らせると、広大な敷地と駐車場が見えてきた。
駐車場に車を止めて、降車するが周囲はひっそりと静まり返っていた。
唯一、時々鳥の甲高い囀りが奥の木々の間から響いている。
「神社はこの奥だ」
こうして疎らの木々と青々とした芝生の中を歩いていくと、徐々に生き物の気配を感じ始める。
ふと顔を向けると、そこには鹿がいた。
角のないスマートな鹿だ。
「あ、鹿」
爛菊は当然の事を口にしてそちらへ指差す。それに千晶が首を振る。
「あれはただのメス鹿だ」
やがて進むうちに、次第に鹿の数が増えていく。
まるでどこかの有名公園のようだ。
鹿達は人間の事を一切恐れる様子はなく、悠然と草を食んでいる。
ザッと見るだけでも軽くこの敷地内に百頭以上はいると思われた。
芝生を取り囲むように、小高い丘から山林へと続いている。
そこからこれらの鹿達は下りてきているようだ。
すると石畳が現れ、それに沿って歩いて行くと大きい真っ赤な鳥居が見えてきた。
中央には“鹿乃神社”という、金色の文字であしらわれた看板がかかっている。
「鹿乃神社というのね……」
「ああ。ここにいる鹿全てを神鹿として祀ってあるからな。ちなみに妖怪の方の神鹿はこの先にいる」
二人は更に歩みを進めて行くと、大きくてとても立派な社に辿り着いた。
気付くと、そこの石段に一匹の三毛猫が丸くなっている。
よくよく見ると、尻尾が二本。
「おい鈴丸!」
千晶に荒げた声をかけられて、三毛猫は立ち上がると欠伸と共にうんと長く伸びてから、茶髪の男に変化した。
「ヤッホー! 待ち兼ねたよアキ、ランちゃん」
「待ちかねたも何も、お前を呼んだ覚えはない」
不服とした表情で述べる千晶に、鈴丸は平然と笑顔を見せる。
「いいじゃん、そう固いこと言わないで。面白そうだから来ちゃった」
「来ちゃった、じゃない!」
「爛は構わない。別に猫一匹いたって何の問題もないもの」
「むぅ……それはそうだが……」
爛菊に諭されて、千晶は渋るように呟く。
「参りましょう。爛は一刻も早く神鹿の方にお会いしたいから。おいで、スズちゃん」
「ゴロニャ~ン」
その時カタンと音がしたかと思うと、既に開いている両扉の向こうから一人の若い男が足音静かにやって来た。
美しいまでの真っ白な髪を腰下まで長く伸ばしており、毛先の二十cm程上辺りで一つに束ね、服装は神主の姿をしていた。
黒袍に白袴で頭には繁紋冠を乗せ、手には桧扇を持っている。
その男は凛とした声を静かに発した。
「ようこそ千晶。待っていたよ。おや、鈴丸も一緒か。うちの鹿に蹴られなかったか?」
「ちょっと! どういう意味!?」
鈴丸がキィと束の間怒りの表情を見せる。
それに男はコロコロと笑ってから、すぃと今度は爛菊へと視線を向けた。
まるで冬の湖を湛えたような、透き通った青い瞳が彼女を見据える。
「あなたが人狼皇后の爛菊后妃か」
「はい。お初にお目にかかります。雅狼朝霧爛菊と申します」
爛菊は囁くような口調で述べると、制服のスカートの脇を摘んで軽く持ち上げ少しだけ腰を落として会釈する。
「ここでは何だから、上がりなさい」
神主の男に促されて、三人は社の中へと上がる。
そして勧められるままに三人は本殿の方へと行くと、床に置かれている藁座布団にそれぞれ座った。
「本題に入る前に、自己紹介をしておこう。私は鹿乃静香和泉と申す者。千年にわたりここの鹿達の主をしている。以後お見知りおきを」
「はい、こちらの二人からは勿論のこと、呉葉からも噂は聞いております……ここの神主もなさっているのですね」
爛菊は呟くように口にして、そっと息を呑む。
和泉はその麗しいまでの顔に、無言で美しい微笑を湛えて答えとする。その声も、しっとりとしていてとても柔らかいものだった。
妖怪は人間に祀られて信仰を受ければ受けるほど妖力が増し、時には神格化される。
神格化された妖怪は途方もない強大な妖力を保持する。
本当ならここにいる爛菊は勿論の事、人狼の帝である千晶や化け猫の長の息子である鈴丸、そして信州戸隠の鬼女、紅葉も蔑ろにできないほど、ここにいる誰よりも超最強な存在なのだ。
にも関わらず、紅葉といい千晶といい鈴丸といい、何事もなく平然として気安く扱っている。
しかも妖力が強ければ強いほどその姿を人間も自然に見ることが可能で、おかげで誰も彼を妖怪だとは疑わずに信仰している。
「さてそれで、私が言ったようにしたが后妃は人狼の力を取り戻さなかったと」
「ああ。と言ってもキス止まりだが、この通り記憶しか取り戻していない。もしかしてやはり、その最後まで……肉体的な既成事実を行わなければ無理だとか?」
「いや、別にそこまで至らなくても結構だ」
和泉は閉じた桧扇を顎に当てながら言った。
「へ?」
千晶は不意を突かれたような表情を見せた。