其の柒拾柒:更なる被害
春休みも終わり、入れ替わって学校が始まった。
雷馳は、小学二年生へと進級した。
小学校に通い始めて、一年生として過ごしたのはほんの一ヶ月程度だったが、雷馳は一年間で習う授業内容を全て覚えてしまった。
本来、妖怪には勉学の知識はほとんどない。
あるとしたら上級妖怪ぐらいだ。
神格化している者、神使をしている者などだ。
雷馳は七十年生きてきた中で、この学校という施設に強い興味を抱いた。
妖怪では経験できない知識が豊富で、提供までしてくれるのだ。
雷馳にとっては、それが楽しくて仕方なかった。
知識が高くなるということは、自ずと妖力も経験値として高くなる。
外見だけでは分からないが、おかげで雷馳の妖力は自分と同じ年である他の雷獣よりかはずっと高くなっていた。
人間の親であれば実に素晴らしい、自慢の子供となるだろう。
ただし、運動能力がやはり人間よりか遥かに上というのもあって、人並みに合わせるのだけが雷馳にとって大変ではあったが。
一度初めての体育の授業で、なわとびを習った時だ。
手加減ができずに雷馳は、自分の感覚で跳んでみた。
するとあまりのスピードに、回転させているなわとびがはたから見ると円の形を描き、ジャンプしている雷馳が空中で止まっているように見えたそうだ。
しまいには、なわとびが放つそのスピードでブーンと音を立てながら縄が当たる地面までもが抉れた。
周囲の様子に気づいた雷馳は、慌てて加減を調整したのだった。
よってそういう意味では、雷馳にとって体育を苦手としていたが、それでも周囲から見ると人並みに手加減しても雷馳は、スポーツ万能に受け取られていた。
二年生になって二日目の登校にて。
昼休みに突如、運動場が何やら騒がしく雷馳も何事かと、その場に駆けつけた。
騒ぎの先を覗き込むと、サッカーのゴールネットがズタズタに切り刻まれている。
反対にあるもう一つのゴールネットも、被害を受けている。
それなりに値が張るだけに、教師まで出てきて大騒動になっている中、雷馳はそっとネットを手で触れてみた。
すると、妖気の残留に気付く。
よってこれは妖怪の仕業だと直感する。
残留妖気自体は、雷馳の妖力よりも低い。
人間や物を襲う妖怪はろくな奴ではないのは確かだ。
自分一人で倒せるかと、雷馳は思案する。
すると今度は体育館からも、騒ぎ声が上がった。
結果、バレーボールのネットとバスケットボールのゴールネットも無残に切り刻まれていた。
それらのネットに触れてみると、やはり同一の妖気が残っていた。
それどころか、どうも妖気の道標があるのに気付く。
どうやら今回の騒動の主は、まだこの小学校に残っているらしい。
雷馳は意を決して、その痕跡の後を辿る。
するとどうやら、卓球教室へと続いていた。
そういえば卓球にもネットがあることを思い出す。
この小学校は、卓球も授業の一つに取り上げている。
雷馳は徐ろにポケットをまさぐる。
千晶から、万一に備えて依り代を数枚、預かっていたのだ。
雷馳は誰もいない教室の引き戸を、ゆっくりと開けて中を覗き込む。
するとそこには、エビのような体に鳥の頭、そして両手がハサミの容姿をした妖怪が、今まさにネットを切り刻もうとしているところだった。
「そこまでじゃ!!」
雷馳は少しだけ開けていた引き戸を、豪快に開け放った。
それに驚いて妖怪はハサミを止めて、彼へと振り返る。
「……お前……僕の兄ちゃんを倒した妖の内の一人だな!?」
「兄ちゃん……?」
雷馳は眉宇を寄せる。
「僕は“網切”。黒髪切りは僕の兄だったんだぞ!!」
「え……っ!」
思わず雷馳は衝撃を受けたが。
冷静に考えると、その黒髪切りは人間に被害を与える存在だったし、母である朱夏もがその犠牲に遭ったのだ。
しかもその弟というこの網切もまた、対象は網ではあるが人間に迷惑をかけているのには違いない。
「人間を襲った貴様の兄が悪いんじゃろう! それにほれ、貴様とてそうやって人に迷惑をかけているではないか!」
「網切の習性なんだから仕方がない。こうすることで妖力を得る必要があるからな」
「学校の備品以外を狙うてはどうなんじゃ!」
「うるさい黙れ! まずはお前を、兄の仇として片付けてやる!!」
飛びかかってきた網切を、寸前のところで体を回転させて避けると、雷馳はその背中に素早くペタリと依り代を貼り付けた。
「やれやれ。それが精一杯かの? 動きが遅いぞ網切」
「クソ……!!」
「人に害を成すとあくまでも言い張るならば、わしはお前を倒すしかない」
雷馳はそれとなく交渉を持ちかける。
すると網切の鋭い嘴がカパリと開く。
「妖怪の立場のくせして、どうしてそこまで人の味方をする必要がある!?」
「それは人と共存しているからじゃ!」
「ふん。くだらない。人など妖怪にとって糧でしかない!!」
「不浄な妖怪め! 同情の余地もないわい!!」
網切のハサミが伸びてきたが、雷馳はそれを払いのける。
「お前を殺せば妖力も一気に高まって、長らくは網を切る必要もなくなるぞ!」
網切は愉快そうに言いながら、もう片方のハサミを伸ばしてくる。
「だからと言ってホイホイ犠牲になるようなわしではない!」
雷馳はそのもう片方のハサミも払いのけた。
「喰らえ! ハサミ乱舞!!」
網切は叫ぶと、物凄い速さでハサミを繰り出してきた。
だが残念ながら、雷馳にはその動きが全て見えていた。
「せっかくチャンスをやったのに、残念な奴よのぅ」
雷馳はヒョイヒョイとハサミ攻撃から身軽に避けながら口にする。
「クソ……、ちょこまかと! おとなしくしていれば楽に終わらせてやる!!」
「阿呆。誰がみすみす殺されようか。寧ろお主が無駄なあがきじゃ」
雷馳は言うなり、片手を上げた。
「雷の鉄槌」
直後、網切へと一直線に上から雷槌が落ちる。
網切は、悲鳴を上げる間もなく炭化すると、塵となって消滅した。
その後には、雷馳が網切の背中に貼り付けた依り代が落ちていて、青白い光を数回放ってから収まった。
どうやらしっかり、網切の妖力を吸収したらしい。
「まぁ、微々たる妖力でしかないが、少しでも多くラン殿に協力できるならばの」
雷馳は床に落ちている依り代を拾い上げると、教室を後にした。
学校が終わり、家に帰ると雷馳は朱夏と一緒に爛菊達の帰宅を待った。
やはり高校生は小学生よりも帰宅が遅いので、もうみんなを待たずに雷馳は自分の足で下校しているのだ。
「今日、お昼に買い物に行って戻ったら、この家の網戸が全部切り刻まれていたの。きっと最初にこの家に来てから、小学校に向かったのね。網切を倒して正解だったわよ雷馳」
朱夏は雷馳の行いを褒めながらも、プリプリと怒りを露わにしていた。
夕方、爛菊達が帰宅すると雷馳は、網切の妖力を吸収した依り代を彼女に渡してから、事情を説明した。
依り代から更に爛菊は妖力を吸収すると、顔を上げる。
「尻尾を体内に仕舞っている時の窮屈感がなくなったわ! ありがとう、ライちゃん」
爛菊に改めて礼を述べられて、自慢気に千晶へ胸を張って見せる雷馳なのだった。