其の柒拾伍:神社を守りし者
夜に浮かび上がる満開の桜を照らす月の光。
金文字で縦に“鹿乃神社”と書かれた看板がかかった、真っ赤な大鳥居。
それらの元で草を食む、数多くの鹿達。
この景色を風流に思わない者はいないだろう。
しかし残念ながら、その光景に歓心を示さない輩もいる。
若者らしき三人の男が、何やら手に物騒な物を持ってやって来た。
夜はどっぷりと更けて、周囲はシンと静まり返っている。
彼らは鳥居をくぐらずに、その脇にある小高くなっている傾斜の緩やかな地形の方へと入って行く。
静寂の中、三人の草を踏む音だけが小さく響く。
「おい、本当に大丈夫かよ?」
一人の若者が誰となく尋ねる。
「大丈夫だって。ここの鹿は人間に慣れまくってるから、何も難しいことじゃねぇし」
別の若者が軽い口調で答える。
「人も誰もいねぇし、バレねぇって! お前だって言ってたじゃん。一度でいいから動く物で試したいってよ」
もう一人の若者が心配している男へと、言葉をかける。
三人は、丁度いい場所で足を止めた。
数頭の鹿が三人の方へと頭を向けたが、恐れる様子もなく特別気にしていない。
「な? ここの鹿はバカだろう?」
「俺達に気付いても逃げないんだな」
「だからここを選んだんだよ」
これに安心を確信した三人は、それぞれ下卑た笑いを浮かべあう。
若者達の、内に秘めていた破壊的殺戮とも言える衝動が、頭をもたげる。
「どうせこれだけたくさんいるんだ。少しくらい減ったって問題ねぇよ」
「それもそうだ」
「よし、構えろ。あの手前にいるヤツを狙おうぜ」
何やらガチャリという、金属音が鳴る。
クロスボウだ。
横向きに構える形の弓矢で、ネットなどで未成年以外なら入手できる玩具扱いだが、そこそこ貫通力はある。
下手すれば充分殺傷能力を発揮する、危険な代物だ。
標的になった鹿はメスのようで角はなく、若者達に横を向いて地面の草を悠然と食んでいる。
クロスボウを持った若者の一人は標準を合わせると、引き金を引いた。
同時に放たれた矢は真っ直ぐに飛んでいき、鹿の太ももに突き刺さる。
キャアという鹿の甲高い悲鳴が響き渡った。
この悲鳴に若者の一人が驚いて飛び上がる。
まるで女性の悲鳴そのものの、鳴き声だったからだ。
「ヤヤ、ヤバくね!?」
矢が刺さった牝鹿の悲鳴で、周囲の鹿まで騒ぎ始めて鳴いている。
思っていた以上に鳴き声が大きく甲高いことに、他の二人の若者も動揺して身を固くし周辺の様子を探る。
しかし誰も人が来ないと分かるや、無意味ながらに達成感からの勝ち誇った表情になって、二人の若者がはしゃぎだした。
「もう一回だ。もう一回鹿を撃とうぜ!」
「ヒャハハハ! おもしれぇー!」
他の鹿は騒ぎ声を上げているが、その場に留まっている。
一斉に逃げ出す様子はない。
「焦ったー!」
鹿の悲鳴で飛び上がった若者も、ホッと胸を撫で下ろす。
「よし。今度はあの、こっちに一番近いヤツだ」
そう口にして標的にしたのは、十メートル離れた場所にいる角が生えかけている牡鹿だった。
「そいつを貸せ! 次は俺がやる!」
先に矢を放った若者の手から、別の若者がクロスボウを取り上げる。
「よし、いくぞ……」
呟くと、若者は躊躇いなく引き金を引いた。
同時に二本目の矢が、鹿に向かって放たれる。
が、矢は途中で突然停止したかと思うと、ポトリと地に落ちた。
これに三人の若者は何が起こったのかと、無言で思考する。
するとすぐ近くで声がした。
「よくも俺の鹿を傷つけたな貴様ら」
三人の若者は飛び上がって驚くと、背後を振り返る。
そこには腰まで長い白髪に、白い襦袢姿の鹿乃静香和泉が立っていた。
彼の寝起きは二重人格並みに悪い。
本来穏やかな言葉遣いが悪くなるのだ。
一方若者三人は、全身白い彼の姿に更に飛び上がり、その拍子にこの緩やかな斜面から下へと一斉に転げ落ちてしまった。
「で、でで、出た……!」
「幽霊!?」
「あわわわ……」
三人は尻もちを突いたまま、口々に言う。
「当たらずとも遠からず。俺はこの神社の神主だ」
月明かりを反射して、彼の青い目が鋭利に光っている。
「ここがどういう場所か知った上での行いだろうな……」
和泉の声はいつもより低く、威圧感が含まれていた。
一歩、二歩とゆっくり歩み寄ってくる彼に、三人の若者も同様に後退る。
「下賤な人間め。相応の覚悟をしてもらおう」
すると少し立ち直った若者の一人が、手の側に落ちているクロスボウを急いで手に取り、和泉へと向けた。
「くく、来るな! 撃つぞ!!」
これに和泉は平然と答える。
「やれるものなら」
夜風で彼の美しい白髪が揺れる。
「このぉっ!!」
クロスボウを構えていた若者は、無我夢中で引き金を引いた。
勢い良く矢が放たれたが、和泉の手前で矢は静止し、先程同様地に落ちる。
「ヒィィッ!!」
「ヤッ、ヤベぇよ!!」
「逃げろ!!」
ついに若者達は慌てふためきながら、その場からの逃走を図る。
来る時に忍び込んだ傾斜には和泉が立ち塞がっていたので、若者達はその隣に立っていた神社の入口である、真っ赤な大鳥居をくぐった。直後。
ドサンという重々しい音とともに鳥居の上から何かが降ってきて、若者達の行く手を塞いだ。
それは一見、巨大な頭部だけかと思われたが、地面に引きずるほど長く乱れた毛髪。
そこから覗く大きな口と鋭い牙。
いかにも頭部から直接生えている、鋭い爪をした鳥のような足。
明らかに人生の中で一度も見たことのないその容貌に、若者達は声を上げる。
本来、普通の人間は妖怪の姿を視ることはできないが、今が深夜であることと、そして敢えて可視化したその妖怪によって、否応なしに彼らの目にその姿が飛び込んできた。
「オ前ラ、神社ニ悪サシタ。許サナイ」
その妖怪は言うと、長い髪をビュッと伸ばして三人の若者を別々に巻きつけ、持ち上げる。
「ババッ、化け物……!!」
「だだだ、誰か……!!」
「助けてくれぇ……っ!!」
若者達は宙で足をばたつかせながら、口走った。
「おとろし。お役目ご苦労」
和泉が悠然と歩み寄ってから、その妖怪に声をかける。
「コイツラ、悪イヤツ、逃ガサナイ」
和泉から“おとろし”と呼ばれた妖怪は、意味深にその鳥のような鋭い爪のある足をゆっくりとした動きで、握ったり開いたりしている。
おとろしは、普段は鳥居の上を住み処にしている妖怪で、不信者や神社に悪さをする者をこらしめる、一種の守護妖怪的な存在だ。
どこの神社にもおとろしは存在していて、この鹿乃神社にも例外なく住み着いているのを、和泉も知った上で黙認していた。
「さて、どうしてくれよう」
和泉は顎を手で撫でながら、おとろしの毛髪に縛られ宙に持ち上げられている、三人の若者へと視線を投げかける。
「コイツラ、苦シメル」
「ふむ。そうだな。一週間くらいの瘴気でも当ててやれ」
和泉の言葉に承諾するとおとろしは、口から黄色い息を三人の若者に吐きかけた。
それにより意識を失った三人を、ペッと乱暴に地面に放り投げるおとろし。
今後一週間、彼らは熱病に苦しむことだろう。
だが寝ているのを邪魔されて不機嫌な和泉は、それだけでは済ませなかった。
「今後、また生き物を虐待したら自分に跳ね返る呪いをかけておこう」
和泉は言うと、軽く人差し指を振るう。
すると小豆ほどの大きさをした黒く光る球体が三つ発生し、それぞれ気を失っている若者達の体内へと吸い込まれていった。
気付くと、矢を受けた牝鹿が和泉の側で座り込んでいた。
和泉は牝鹿の元に片膝を突いてしゃがみ込むと、矢の刺さっている箇所に手をかざす。
すると白い輝きとともにパンと矢は弾けて消滅し、牝鹿の傷口もたちまち塞がった。
これに牝鹿は立ち上がると、確認するかのようにその場でピョンピョン跳びはねる。
そして和泉に向かって一声鳴くと、頭を下げた。
「ありがとうございます。和泉様」
「ああ」
和泉は牝鹿のしなやかな首を優しく一撫ですると、立ち上がった。
「さて。では俺は寝る」
「オヤスミナサイ」
「ああ。おやすみ、おとろし」
こうして和泉は社へと、おとろしは大鳥居の上へと戻った。
意識を失っている三人の若者を、放置したまま。
夜明け頃、ようやく三人は目を覚まし、熱に浮かされた体を引きずるように鹿乃神社を後にして、昨晩あった出来事をそれぞれ三人が周囲に話したが、誰も信じてはくれなかった。
そして一週間、若者三人は死を目前にするほどの高熱に、うなされ続けた。