其の柒拾肆:母親としての使命
「姑獲鳥の朱夏と申します」
雷馳の紹介を受けて、朱夏は玄関の前で立ち尽くす千晶に頭を下げる。
「お前……稲妻乗りに行ってたんじゃないのか」
千晶に指摘されて、雷馳は事情を説明し始めた。
朱夏からの彼女の事情も間に入れながら。
「成る程。義理の親子か」
雷馳と朱夏の交互に受けた説明に、千晶は納得する。
「良いじゃろう? 朱夏をわしのお母さんにしても」
縋るように言ってきた雷馳に、平然と千晶は答えた。
「それはお前の自由だ。好きにしろ」
「とりあえず、体をお拭きください」
タオルを二枚持って来た爛菊が声をかける。
「まぁ、ご親切にありがとうございます」
朱夏は爛菊からタオルを受け取ると礼を述べた。
そして改めて爛菊は、本邸の方の客間に朱夏を案内する。
丁度良いタイミングで、温かいお茶を鈴丸が運んできた。
「どうぞお茶で体を温めてください」
「お気遣いに感謝致します」
言うと朱夏は湯呑みを手に取り、一口お茶を飲むとホゥと息を漏らす。
「あったかい……お茶なんて久し振り。人だった頃を思い出す……」
「朱夏さんは、姑獲鳥になってどれくらい経つの?」
鈴丸の質問に、朱夏は笑顔で答える。
「二百年くらいでしょうか。ずっと親子の温もりを探して彷徨っていたように思えます。なので、雷馳との出会いは私にとって運命的だったのです。種族も違うし、義理とは言え、是非雷馳へ母の温もりを与えてやりたいと思いました」
これを聞いて、鈴丸は言った。
「僕らはみんな種族が違うんだよ。あ、ランちゃんとアキは一緒だけど。ホント、そこに絆があれば種族なんて関係ないという考えは、僕も賛成」
「それで、家に雷馳を引き取りたいと?」
千晶が静かに尋ねる。
これに朱夏は小さく頭を横に振った。
「いいえ。私には家はありません。雷馳と出会った山が、私の住み処なので。普段は鳥の姿で生活していますし」
彼女の話を聞いて、千晶は唐突に誰にともなくきっぱりと言った。
「俺はこれ以上、この家に居候を増やす気はないぞ」
「大丈夫です。そこまでお世話になるわけには参りません」
「じゃあ、どうするの?」
鈴丸は尋ねる。
「普段は遠くから雷馳を見守り、必要な時に側に参ります」
すると今度は、爛菊がきっぱりと言った。
「それは都合が良すぎます。ライちゃんの母親になるのなら、普段からそれらしい言動をとって頂かないと」
これに千晶はギョッとする。
「つ、つまり……?」
朱夏が爛菊の言葉を探る。
「普段は鳥として生活しているのなら、庭に巣箱をご用意致しますのでそこで生活してください。ライちゃんは人間界では学校に通っていますから、母として全ての学校行事にも参加するべきですし!」
巣箱って……。
内心、密かに千晶と鈴丸は思う。
爛菊の指摘に、朱夏は戸惑ったが。
「そんな……本当によろしいのですか? 私には充分すぎるくらい有難いことです!」
朱夏は間にあるテーブルに、身を乗り出して目を輝かせる。
これに爛菊は首肯した。
「はい。それに学校の宿題も見てもらいます。朱夏さん、勉学の知識はおありでしょうか?」
「ええ! 私はこれでも商家の娘でしたので、本や計算には自信があります!」
「でしたら是非うちの庭においでください。巣箱はこのスズちゃんに用意させますので」
「えっ!? 僕が巣箱を作るの!?」
しかし動揺する鈴丸の言葉は無視される。
「良かったのぅ、お母さん!」
「ええ、雷馳!」
義理の親子の二人は、手を取り合って喜び合った。
「……結局居候とは変わらんではないか……」
爛菊の隣に座っていた千晶は、小さく口の中でぼやいた。
「でも酷いわライちゃん。悲しむ者が誰もいないって。爛はライちゃんの身に何かあったらとても悲しい。二度とそういうことを思っちゃ駄目よ」
「し、しかし、ラン殿には千晶が、鈴丸にはテイルがいるから、てっきりわしはひとりだけじゃと……」
「それとこれとは話は別でしょう!」
爛菊に叱責され、雷馳は萎縮する。
「そ、それはすまんかった……」
このやり取りを見ていた朱夏は、クスクスと愉快そうに笑った。
なんだかんだで結局、巣箱生活は撤回されて朱夏は、爛菊が生活する離れにある空き部屋を与えてもらうこととなった。
こうして千晶の家には、人狼二人と猫又、雷獣、雲外鏡、姑獲鳥と五種族の妖が棲まう家となってしまった。
それにもれなく子猫のテイルが一匹。
二世帯住宅なので部屋はいくつもある。
本邸の方には男衆が、離れの方には女衆と分けられた。
が、離れにある誰も使わない客間には雲外鏡が居座ってはいるが。
何はともあれ、雷馳の身の回りは朱夏が見てあげることとなった。
「おお、そうじゃった。一番大事なことを言うのを忘れておった!」
ポンと手を打って雷馳は、当然のように述べる。
「お母さん、ラン殿はわしの将来の嫁となる身で――」
「調子に乗るなこのクソガキ」
雷馳の頭を、千晶は拳でガンと殴る。
「いきなり訪ねて来たこんな私を、受け入れてくれて本当にありがとう。爛菊さん」
「いいえ。ライちゃんが選んだ方ですもの。どうぞ宜しくお願いしますね朱夏さん」
二人は笑顔を浮かべ合う。
すると今度は爛菊が、ふと何かを思い出したように言った。
「ライちゃん、雨でずぶ濡れだったんだから、お風呂に入って体を温めておいで。朱夏さんも離れのお風呂を使用なさっても構いませんので、どうぞ」
これに朱夏は、何かを閃いた表情で口を開く。
「あら、それなら早速、お母さんと一緒に入ろうか?」
「うむ!」
朱夏の提案に、雷馳は純粋に喜んだ。
こういう素直になった時の雷馳は、やはりまだまだ親に甘えたい盛りの子供だと実感する。
七十年間、今まで一人で生きてきたせいで肩肘ばかり張るようになってしまったのは、雷馳なりの生き抜く術だったのだろう。
「だったら、今回は爛のお風呂場で入りなさい。本邸の方は男専用だから」
爛菊は立ち上がると、狼の尻尾を振りながら朱夏を浴室へと案内する。
その後を雷馳が嬉しそうに付いて行った。
千晶と鈴丸の二人きりになった本邸の客間で、千晶の嘆息が響く。
それにクスクス笑いながら、鈴丸が口を開いた。
「これだけ妖が住むからには、きっと間違いなくこの家は妖気が渦巻いてるよ。だから妖気に引き寄せられてやって来る妖怪に、今後注意しなくちゃね」
「そうだな……」
千晶はぼやくように言いながら立ち上がると、リビングの方へと行ってしまった。
「いやぁ~、すっかり賑やかになったもんだよこの家も」
鈴丸は愉快そうに言いながら、湯呑みを片付ける。
外は相変わらずの雨だった。
ただ、雷はもう収まっていたが。
「お風呂いただきました」
朱夏が雷馳を伴って本邸のリビングへと顔を出す。
「風呂上がりの牛乳じゃー! お母さんは牛乳を飲んだことはあるかの?」
「牛乳……? いいえ。私が人であった頃、牛乳なる物は確か皇室や貴族の間でしか飲まれなかったもの」
「だったら是非飲んでみなよ朱夏さん。体にすごくいいんだよ」
鈴丸もソファーから声をかける。
「それじゃあ……」
雷馳がその間に用意した、牛乳の入ったコップを受け取ると、恐る恐る口にした。
そしてコクリと飲み込んで目を見開いた。
「甘くて風味豊かでとても美味しいわ!」
「じゃろう? わしは風呂上がりの牛乳が特に好きなのじゃ! お母さんも好きになってくれ!」
雷馳は嬉しそうにはしゃいだ。
「盛り上がっているところで何だが、この家に住むからからには決まり事を守ってもらいたい。朱夏、こっちへ来て座ってくれるか」
「はい」
千晶に呼ばれて、朱夏は彼の斜め隣のダブルソファーに腰を下ろす。
その隣には、雷馳が座った。
千晶の隣には爛菊が座っている。
テレビの真正面にあるトリプルソファーだ。
千晶側にはもう一つダブルソファーがあり、そこには鈴丸が一人で座っている。
つまり、朱夏と千晶の間に爛菊がいるわけだが。
「今までこの家の家事全般はこの鈴丸に、下働きとして任せてもらっている。だが、爛菊がうちに来てからは、そうもいかなくなった。なぜなら彼女は女だからだ。つまり、浴室やトイレは特に性別の違いから配慮が必要になってくるわけだ。そこでだ……」
ここまで言われれば、後は何を言おうとしているのかは誰もが予想できる。
朱夏は首肯して口を開いた。
「構いませんよ。私で良ければ、離れの掃除は私が引き受けましょう」
これに爛菊が申し訳なさそうに答える。
「爛は学生だから、春休みが終われば学校にも通わなくてはならなくて……もちろん、休みの日は爛も家事に参加するわ」
すると朱夏は愉快そうにクスクス笑い始めた。
思わずみんなキョトンとする。
そんな中で、改めて朱夏が発言した。
「それは鈴丸君も同じでしょうに」
これにみんなはアッと言う顔になる。
今まで鈴丸が下働きの役目をしていたので、それが当たり前という前提で話してしまっていた。
「大丈夫。この家全ての家事を私が引き受けるわ。離れだけとは言わずにね」
「本当に!? ありがとう朱夏さん! 僕も休みの日は家事を代わるから!」
こうして平日は朱夏が家事を行うことになった。
今まで千晶の独断で帝の立場を利用していたが、こうして住人が増えた今、皆平等だ。
「この規則で決定じゃな。千晶」
雷馳の指摘に、千晶は納得せざるを得なかった。
「アキは今まで通り何もしなくてもいいよ。どうせ何もできないんだから。散らかすばかりで片付かないし」
鈴丸にも指摘されて、その事実に千晶はぐっと言葉を詰まらせるのだった。