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其の柒:それでもやはり高嶺の花



 爛菊の言葉を聞いて、改めて彼女の顔をまじまじと見つめていた紅葉と名乗ったはずの女は、ふと無表情を弛緩させると薄く微笑んだ。

「ふむ。私の本名を知っている上に、その雰囲気を見間違えることはないね。確かに、人狼皇后の雅狼朝霧爛菊がろうあさぎりらんぎくのようだ」

 紅葉は着物の袖から細長い煙管を取り出すと、指先から小さな火を出現させてその先端に火を点けて、煙を口の中で燻らした。

 

 信州戸隠(しんしゅうとがくし)の鬼女、紅葉(もみじ)

 彼女はその大昔に子供に恵まれなかった、とある夫婦が第六天魔王に祈った際にこの世に誕生した妖怪だ。

 呪術を得意とする鬼女で、表向きは紅葉と名乗っているものの、紅葉を産んだ人間の母親からは“呉葉(くれは)”と名づけられている。

 なので本名は呉葉なのだが、過去の経緯から紅葉と名を変えているので、世間一般からは紅葉として認知されているのだ。


「で、何かい。何でも和泉の話だと爛ちゃん、老いぼれジジィに嫁がされて今困ってるとか聞いたけど」

 紅葉に言われて爛菊は、肯定の意味で無言のまま目を伏せる。

「その通りだ。人間として生まれ変わっただけでも最悪というのに、こうしていざ人狼の頃の記憶が戻って登校してみると、どうにも複雑な事になっていてな。おかげでジジィの手先から行方を捜索されていて学校にも通えやしない。よってお前の出番というわけだ。紅葉の呪術で適当にあしらってくれないか」

「爛ちゃんは、それでいいんだね?」

 まるで千晶(ちあき)の言葉を無視するかの如く、紅葉は改めて爛菊に確認を取る。

 彼女に尋ねられて、爛菊は小さく一つ首肯する。

「お願い、呉葉」

 ぽとりと雫のように呟いた爛菊の声音を、紅葉は聞き逃さずしっかり受け取った。

「分かった、そうしよう。 いやぁ~、最初はあの妖怪の分際で神もどきの和泉からクソ生意気に気取って命令を受けて、正直超面倒とか思ってたが、爛ちゃんの頼みなら引き受けよう。クックック……その死に損ないの老いぼれをだまくらかしゃあいいんだね。おまかせあれ超楽勝だよ」

 腕まくりをして余裕そうにウィンクして見せる紅葉に、爛菊は安心した様子で小さく笑顔を浮かべる。

「今度お礼にあんみつ奢るわ」

 途端に紅葉の表情がパッと明るくなった。

「本当かい!? それは嬉しいね! じゃあ、早速行ってくるとしよう」

 こうして爛菊との会話を終了させると、紅葉は身を翻してクルッとその場を一回転した。

 すると、いつの間にか紅葉の外見は爛菊の姿に変化していた。

 そして爛菊に化けた呉葉――鬼女、紅葉は颯爽と校門の前にいる嶺照院の手先の元へと行ってしまった。

「あんみつで貸し借りができるとは……案外安い奴だな」

 呆然とした様子で紅葉を見送った千晶が、ボソリと漏らす。

「呉葉の好物だから……」

 爛菊は言うが、実際に紅葉はこの世に生を受けてから千七十年以上も生きていてうんと年上だ。

 しかしどうやら紅葉は年齢差を気にしない性格らしかった。

 再び車内に二人は戻ると、校門の様子を見守る。

「これで紅葉が今を乗り切ったら教室に向かうといい。それまでここで待機だな……」

 千晶は車のハンドルの上で腕を組み、その上に顔を乗っけた姿勢で嘆息を吐いた。

 こうして、学校以外では紅葉が今後、爛菊に化けて嶺照院家をあしらうこととなった。

 そしてある程度校門前が落ち着いたところで、千晶が眼鏡を取り出す。

「じゃあ行くか」

「その眼鏡……」

 爛菊は一体何の為に彼が眼鏡をしているのか疑問を覚える。

「これは人前で高校教師として誤魔化す為の仮の姿だ。お前が“嶺照院爛菊”としてクラスメイトに接するのと同じようなものだ」

「そう……では爛は教室へ行くわ。ひとまずまた、千晶様」

「ああ、またな爛菊」

 こうして二人は一旦別れると、降車した爛菊は徒歩で校門へ、千晶は職員専用駐車場へと車を発進させた。

 一方、嶺照院の手先をあしらいいなくなった校門の側で紅葉の姿に戻った呉葉が、校門をくぐる爛菊にいってらっしゃいと手を振っていたので、爛菊は目元に浮かべた微笑で応えて紅葉へと手を振り返した。


 ちなみに一度人の子として生まれた呉葉の時は人間に姿が見え、妖怪――鬼女となった時の紅葉の場合は人間に姿は見えない。

 人間の前では、状況に応じて呉葉と紅葉を使い分けているようだった。


 二年A組の教室に入り、クラスメイトと短く挨拶を交わしながら爛菊は自分の席に着く。

 宮家の遠い親族である公爵の嶺照院当主の妻である爛菊が昨晩から、一夜もの間行方不明になっていた騒ぎは、その手先が彼女の捜索にこの格式高い法人学園である高校に乗り込んで来たせいもあり、しっかり生徒達の間にも広まっていた。

 クラスのみんなの目がよそよそしく注がれる中、爛菊は居心地の悪さを覚える。

 今までも上辺や建前だけで接してくる生徒達に嫌気が差していたが、今回は自分の居場所さえないような雰囲気に溢れている。

 しかし、爛菊はどうにかこんな重苦しい不快感を、必死に一人耐えるしかない。

 すると開け放たれたままである教室の前方のドアから、突然聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「言いたい事があればはっきりと彼女に申し出たらどうだ」

 それに一気に周囲は水を打ったように静まり返る。

 すると丁度チャイムが鳴り、同時にその声の主である千晶が教室に入って来た。

 これには更にみんなはギョッとした。

 千晶が定時通りに教室に入ってくることは、今までの間にあり得ないことだったからだ。

 よって半ば慌てふためきながら、教室内の生徒達は自分の席に着いた。

 千晶は教壇に上がると、教卓に両手を突いてザッと周囲に視線を流した。

 専攻が生物なのもあって、校内のほとんどは白衣を着て過ごしている。

 息を飲むようにこの格式高い法人学園に通う優秀な生徒達は、この担任教師の発言を見守る。

 ――が、千晶はわしわしと面倒そうにその金髪でウルフヘアの頭部を掻くと、かけている眼鏡をちょいと押し上げて大層な溜息を吐いた。

挿絵(By みてみん)

「あー、お前らも全員この騒ぎのおかげでもう知っていると思うが、昨夜嶺照院(れいしょういん)君が行方不明になった。しかし結果的に、実のご両親のいる実家の方へご主人に言わずに黙って行っちまったのが事の真相のようでぇ~……ま、大した問題ではなかった。まったく人騒がせな話だろう。よって騒ぎは無事解決。今日もこうしていつもと変わらず、嶺照院君も登校して来たわけだしな。ま、もう気にすんなお前ら」

 いつものようにかったるそうな口調でその述べた千晶の言葉に、周囲からさざなみのような自分達が予想していたのとは違った事に対する徒労の嘆息や、安堵の呟きなどで爛菊の行動に翻弄されたことに少しだけ小さくざわめいた。

 これに爛菊は椅子から立ち上がると、周囲へと視線をめぐらせて静かに口を開いた。

「この度はわたくしごとで皆様にはご迷惑及びお騒がせしてしまった事に謝罪いたします。本当に申し訳ありませんでした。今後はこのようなことがないように、くれぐれも気を付けたく存じます」

 するとそれを了承するかのように周囲から少しずつパチパチと、やがてはクラス全員が拍手をして容認の意を示した。

 学校一の権力者の妻という立場から、苦情や反論を述べる者は誰もいなかった。仮に不満があったとしても、それを告げられるような相手ではないのだから。




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