其の陸拾玖:帰郷の宴
地下牢の階段を抜け、上階へと上がってきた爛菊はそれまでの息苦しさからようやく開放された安心感に、内心芽生えた疑問を千晶達に尋ねる。
「あのっ、千晶様、渚さん、朧、今の司さんはどうして投獄されて……」
だが彼女の言葉を遮るように、千晶がずばりと答える。
「今はまだ、知る必要はない」
この言葉に、爛菊は微妙な表情で彼の顔を見上げた。
「どうせいずれは、司との記憶を取り戻すその時まではな……」
「そう……」
千晶からそう言われてしまっては、これ以上聞き出すこともできずに爛菊は、千晶から視線を下へと落とす。
どうしてかは分からない。
まだ記憶が戻っていないせいか、爛菊は司に対する恐れにも似た胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
すると先を歩いていた朧がふと足を止めて、千晶へと振り返る。
「帝、渚様、某は今から付喪の里へ送る、使いの者への指示に行きますゆえ、今しばらくこの場を離れます」
「ああ、頼む」
「お願いしますよ」
千晶と渚はそれぞれ首肯する。
これを確認して、朧は足早に行ってしまった。
こうして三人で再び歩き出す。
やがて鈴丸と雷馳が待つ部屋の前まで来ると、今度は渚が口を開く。
「では僕は、これから宴の準備の指示に当たってきます。それまでごゆっくりなさっていてください。兄上、爛菊妃」
渚は爽やかな笑顔で言い残して、その場を後にした。
爛菊と千晶は、改めて二人が待つ室内に入る。
「お待たせ。スズちゃん、ライちゃん」
これに座り込んでいる鈴丸がそのままの姿勢で、爛菊へと声をかける。
「妖力吸収してきたの?」
「ええ」
鈴丸の問いに、爛菊は頷きながら答える。
「その司とやらは、何者なのじゃ?」
引き続き今度は雷馳からの問いに、爛菊は戸惑いながら千晶へと顔を向けた。
これに千晶が答える。
「司は俺の実弟の一人で、今しがたここにいた渚とは双子の兄弟だ」
「弟を牢獄に監禁しているの?」
「まぁ、何かといろいろ問題があってな」
鈴丸の驚きを露わにした言葉に千晶は嘆息を吐くと、すだれの上げられた上段の間に上がってドカッと座り込む。
「では、それだけの大物の存在じゃったら、得られた妖力も格段に高いのではないかの?」
「ええ、そうね……」
雷馳に言われて答えた爛菊だったが、どうにも落ち着きなくついにはソワソワし始めた。
「どうした爛菊」
「何だか、体がおかしな感じが……――んっ、んんっ!!」
爛菊が少し力んだ時だった。
ヒョコンと、彼女から狼の耳と尻尾が生えてきた。
「あ」
千晶と鈴丸と雷馳の三人が、同時に声を発する。
「ふぅ。落ち着いたわ。一体何だったのかしら」
まだ何も気付いていない爛菊が、一息吐く。
鈴丸が彼女を指差しながら口にする。
「ランちゃん、耳と尻尾が……」
「え?」
キョトンとする爛菊。
「さすがは千晶の弟の妖力を吸収しただけはあるのぅ」
「え?」
今度は雷馳の言葉に、更に爛菊は戸惑いの表情を見せる。
千晶は一旦おろした腰を上げ立ち上がると、襖の側で立ち尽くしている爛菊の元へと駆け寄った。
「爛菊……お前ついにそこまで妖力が上がったか!」
嬉しそうに声を弾ませると千晶は、喜びの余り彼女を抱きしめた。
「何? 一体どうしたと言うの!?」
混乱する爛菊に、千晶は体を離して言った。
「ついに狼の耳と尻尾を取り戻したんだ!」
これに爛菊は目を瞬かせると、頭に手をやりながら自分の背後を振り返る。
「まぁ……本当だ。耳と尻尾が生えてる。みんなと一緒になったわ!」
獣耳と尻尾を出しっぱなしにしている三人へと、爛菊は喜びを露わにした。
真珠色に艶めいた毛並みの白銀の耳と尻尾が、爛菊の意思に答えて動く。
瞳の色も同じく白銀色になっている。
「この調子なら、もう雲外鏡は必要ないのではないかの?」
「いいや、まだ早い。人間寄りからようやく半妖と呼べるまでになったが、それでもやはり半分は人間だ。異界の穴を潜るのはきついだろう」
千晶は雷馳に答えてから、改めて爛菊の両肩に手を置いてまじまじと見つめる。
「毛色も今までの白から、本来の皇后としての真珠色に輝く白銀になったな。何よりだ」
ふと微笑む千晶に、爛菊も嬉しそうに微笑み返した。
「やはり今宵は、半妖にまでなったお前を祝して宴だ。もう狼の耳と尻尾がある。胸を張って皇后として振る舞ってもいいぞ爛菊。誰もお前が人間だったことには気付かないだろう」
千晶の言葉を聞いて、鈴丸と雷馳は嬉しそうにはしゃぐ。
「わーい! 宴だ!」
「楽しみじゃ!」
二人は一緒になって喜んで見せるのだった。
そうこうあって、始まった宴の時。
五十人ほど収容できる表座敷で酒やごちそうが振る舞われ、笛や太鼓が鳴り響く中を芸者が舞い、大いに盛り上がる。
そんな中で、明らかに不機嫌な人物が一人。
帝である千晶だ。
「何で貴様がここにいるんだ」
千晶はあぐらをかき、頬杖しながらぶっきらぼうに相手へと不服を述べる。
「アッハハハハ! 人狼国で宴が行われると聞いたものだからな」
「どこのどいつだ。こいつをここに呼んだのは!?」
賑わう宴の中、千晶は側にいる天活玉命を指差した。
「まぁまぁ、そう言わずにもっと呑め!」
活玉は絶好調に徳利を彼が手にしている盃へと突き出す。
が、これに千晶は盃を引っ込める。
「誰がお前などの酌を受けるか」
相手はれっきとした神である活玉に、尊大な態度を取る千晶。
それに困り顔の渚が苦笑する。
「では某が」
渚の隣に座っていた朧が、千晶の側へと寄って徳利を手にすると、彼の盃へと酒を注ぐ。
千晶の右には爛菊、左に渚と挟まれる形で座っている。
渚の左隣に朧は座っていた。
賓客としてもてなされている鈴丸は、またたび酒を嗜みながら両脇に太夫を置いて楽しんでいる。
同じく雷馳も甘酒を呑みながら、芸者達から遊び相手になってもらっていた。
「人狼皇后もすっかり体調宜しく、且つ麗しきご様子で……」
活玉が爛菊の元へ寄ると、彼女の手を取った。
「この――!!」
千晶が怒りを露わにしようとした瞬間、活玉が爛菊の手を取ったそれは、別のごっつりとしたたくましい手に掴まれていた。
「失礼。活玉様。爛菊様は人狼皇后のお立場。申し訳ないが例え神である貴方であろうとも、気安く触れないで頂きたい」
朧だった。
無表情に抑揚のない低い声での、まるで威嚇するが如き言葉。
刹那二人の間に張り詰めた空気が流れるが、朧は活玉相手でも一切怯むことなく真っ直ぐ彼の目を見つめている。
これに活玉はふと息を吐く。
「やれやれ。朧、お前がいると何かとやりにくいな」
「恐れ入ります」
笑みを浮かべて従う活玉に、朧はスッと彼の手を放す。
「何であれ、皇后の降誕に改めて祝杯だ! 皆の者もっと大いに盛り上がれ!」
活玉の声高らかな言葉に、周囲から歓声がわく。
「貴様が言う言葉ではないだろう……」
千晶は呆れながら嘆息吐いた。
そんな兄の様子に渚は、クスクスと笑っていた。
こうして、人狼国の宴は夜更けまで行われた。
外では宮殿を取り囲むように、下級狼達が遠吠えで爛菊の再来を歓迎している。
爛菊も満足いくまで宴を楽しんだ。
気が付くと、太夫の膝の上に頭を乗せて雷馳は寝落ち、鈴丸は酔い潰れていた。