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其の陸拾陸:人狼帝と神との争い



「ほぅらワンワン、お座り」

 天活玉命あめのいくたまのみことはやんややんやとはやし立てながら手を叩くと、畳の上に指差した。

「ふざけるな! 俺をその辺の犬っころと同じ扱いをするな!」

 金色の巨狼姿の千晶(ちあき)は、右前足を活玉(いくたま)の頭上へと振り下ろす。

 だが強烈な抵抗を受けて、千晶はそれ以上前足を下ろせず、寧ろ更に力を込めれば込めるほどプルプルと震えた。

 千晶が振り下ろした右前足の真下では、活玉が人差し指一本で彼の足の動きを止めていた。

 そして投げやりな口調で千晶の行動を指摘する。

「誰がお手なんて言ったよ」

「この……っ!」

 歯噛みする巨狼の千晶に、活玉はそのまま人差し指を横に払った。

 これに千晶は左側にある続き間になっている、(ふすま)の方へと吹っ飛ぶ。

 派手な音を立てて襖や壁を破壊しながら、千晶の巨体が倒れ込む。

「クソ……ッ! この俺を指一本で相手するとは……!」

 自分の巨躯のせいで損壊した壁から千晶は、めり込んだ頭を持ち上げて横倒しになった体を起こす。

 その影響で、頭の支えを失った壁が瓦解(がかい)する。

 今度は鋭く巨大な牙を剥いて、活玉に喰らいつかんと襲いかかった。

 だが虚しくも千晶の顎は、ガフンと何もない空間を噛み締めて口を閉じる。

 気が付くと、活玉は千晶の背後で片膝を立てた姿勢であぐらを掻き、盃の酒をチビチビと呑んでいた。

「怒りに身を任せるから、相手の動きが見えんのだ。お前の全力はこんなものではなかろう?」

「黙れ!!」

 千晶は吠えると、その巨大な尻尾をなぎ払う。

 しかし安々と活玉に尻尾を片手で掴まれると、今度は障子がある方へと引っ張られ千晶の巨躯は振り放された。

 部屋を破壊しながら、外にある庭の地面にまるで投げ込まれるようにして、千晶は落下する。

 この衝撃はまるで地面に、力一杯叩きつけられた感じだった。

「ガハ……ッ!!」

 千晶は肺にある息を吐き出し、無呼吸状態になり必死に空気を取り込もうと足掻(あが)く。

 周囲からは悲鳴が上がる。

 爛菊(らんぎく)を抱きかかえている鈴丸(すずまる)もこの様子に息を呑み、雷馳(らいち)に至っては鈴丸の背後に隠れて彼にしがみついていた。

「本当に良い酒の相手をしてくれる」

 活玉は口角を上げ空になった盃をピッと投げ捨てると、座った姿勢のまま突然ふと姿を掻き消す。

 そして気付いた時には、横倒しになっている千晶の横腹にトンと身軽に、片足の爪先で着地していた。

挿絵(By みてみん)

 動きが速すぎて、誰の目にも追いつかない。

 大した力で上体に着地されたわけでもないのに、巨狼の図体は庭の地面にめり込み、そこが大きく窪んだ。

 ついに千晶は巨大な姿を保つことができなくなり、口から血を吐きながらたちまちその身を縮ませて、普通の狼の大きさに戻ってしまった。

「人狼なんだからさ、巨狼じゃなくて二足歩行に半獣半人の人狼姿になっていれば、もっと勝算あっただろうに」

 他人事のような活玉の言葉に、勝算など欠片もないだろうと鈴丸は思う。

「ゴフ……ッ!」

 相変わらず千晶は、口から血を吐き続けている。

 窪んだ地面の中央で倒れている千晶の、傍らに立っている活玉。

「肋骨がイカれたか。さて、次はどうしてくれよう」

 活玉は愉快げに言いながら、金狼姿の千晶へとしゃがみこみ指で突付く。

 直後。

「そこまでです活玉様」

 落ち着き払った低い声が、彼に制止を求めてきた。

 そちらを見ると、一人の黒髪の中年男が手を後ろに組んで立っていた。

 前髪を軽く後ろに流し、肩甲骨くらいまで長い後ろ髪を一つに束ねた姿。

 何よりも灰色の獣耳に大きな尻尾。

 人狼族の者だと分かる。

 無表情の中年男は、ゆっくりと口を開き再度低い声を発する。

「……まったく。都で金色の巨狼が暴れていると聞いて、よもやと思い来てみらば……活玉様のしわざだとすぐに解りましたぞ。うちの大切な帝をあまりからかわないで頂きたい」

 これに活玉は破顔する。

「ハッハッハ! いやはや、俺が神だという理由で一目置かれているのがずっと退屈だったんだ。そんな時にこの活きの良い奴が来たものだから、これは良い遊び相手だと思ってな。随分と魅力的な男を帝にしているな。(おぼろ)

「は……。我が帝は、二百年前にお亡くなりになられた皇后、爛菊様が人間に転生されてしまったことにより、また元の立場に戻すべく必死なのです。どうぞご理解を」

「成る程。だからあの娘は人間寄りなのか」

 活玉は言いながら、爛菊を抱きかかえている鈴丸の方へと視線を移す。

 これに鈴丸の全身に緊張が走る。

「千晶まで倒れてしまった……一体わしらはどうなってしまうんじゃ……!」

 雷馳は怯えながら、鈴丸の背後で小さく口にする。

 まだ意識を失っていない千晶は、ゼェゼェ言いながらも横たわったまま、二人の会話を無言で聞いていた。

「愉しませてもらったぞ。人狼の帝よ。またいつでも俺と遊んでくれ。お前のことが気に入った」

 活玉は言うと、手の平で金狼の彼の体をスイと撫で上げた。

 するとバキバキと音を立てながら、千晶の折れた肋骨が元に戻る。

 健康体になった千晶は立ち上がると、人の姿へと変わる。

「こっちが切羽詰まっている時に何が遊びだこのクソ神がっ!!」

 怒鳴るや否や千晶は、側でしゃがみ込んだままでいる活玉の頭を、拳で殴りつけた。

「いてっ。アッハハハハ! やっぱり面白い男だな」

「いいからさっさと爛菊を治癒しろ!!」

 活玉の胸倉に掴みかかる千晶に、中年の人狼が声をかけた。

「帝、何卒落ち着き願いたもうございます」

「――朧か」

「はい。お久しゅうございます」

 相変わらずの低い声で、口調にも抑揚は全くなく無表情であったが、朧は千晶に名を呼ばれ頭を軽く下げる。

「今は悠長に話している暇はない。爛菊が危ないのだ」

「承知しております。どうか活玉様、(それがし)からもお願い申し上げたい」

 千晶の言葉に、朧も彼に頼んだがその口調には一切の感情がこもっていない感じだった。

「もうとっくに治癒している。体内の瘴気だろう?」

「えっ!?」

 悠然と述べる活玉の言葉に、まだ残っている庭の廊下にいた鈴丸は、腕の中にいる爛菊を確認する。

「本当だ……安らかに眠っているだけみたいだ」

「一体いつの間に……」

 千晶は怪訝な表情を浮かべる。

「彼女の髪に口づけした時に」

 活玉の言葉に愕然とする千晶だったが、すぐに冷静さを取り戻して口内に残る血反吐をペッと庭に吐き捨てる。

「では本当に、俺はあんたから遊ばれていただけだったんだな。チッ、胸クソ悪くて礼を言う気にもならん」

「遊んでもらったから礼はいらんよ」

「フン!」

 愉快がる活玉の言葉に、千晶は両腕を組んだ姿勢で無愛想に鼻を鳴らすと、そっぽを向く。

 少し離れた場所に立っている朧が、ふと口を開く。

「しかし見る限り爛菊様は随分と酷いお姿の様子。今一度、少しの間だけでも宮殿にお戻りを。そちらの、猫又と雷獣の子もご一緒に」

「ああ、そうだな。鈴丸、雷馳こっちに来い。ついでに爛菊は俺が引き取ろう」

 千晶に呼ばれ、鈴丸と雷馳は廊下を下り彼の元へ歩み寄ると、鈴丸は爛菊を千晶の腕に渡した。

 そしておそるおそる鈴丸は、千晶に尋ねる。

「猫又の僕がそちらへ行っても問題ないの?」

 これに千晶は平然と答える。

「安心しろ。俺の賓客(ひんきゃく)として丁重にもてなす」

 二人の会話を他所に、朧は無表情の顔を活玉に向ける。

「では活玉様、これにて失礼致します」

 朧は言うと、彼に頭を下げる。

「おう。また一緒に遊ぼう千晶」

 声をかけられた千晶は、あからさまにそっぽ向いて活玉を無視した。

 店――部屋と庭をメチャクチャに破壊されて、遊女や太夫達は呆然としたままこの場を立ち去って行く彼等を見送る。

 しかし活玉は平然と声を大にして言った。

「よーぅし、酒だ! 飲み直すぞ皆の者!」




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