其の陸拾壱:雷馳に襲いかかった災難
甘味茶屋へとやって来た、爛菊と鈴丸と雷馳に紅葉の四人。
千晶は本人の希望で留守番だ。
「わし、甘味処に憧れとったんじゃ! 何せ雷獣国では駄菓子屋が精一杯じゃったからのぅ」
雷馳は店内を、目をキラキラ輝かせて見回す。
土間のような場所に、黒漆で朱いラインが入っているテーブルとイスといった、昔懐かしい和風造り。
約二十人くらいは収容できる広さの店内だった。
「爛ちゃんから話は聞いていたけど、苦労したんだねぇ雷馳は。さぁ、食べたいものをお食べよ」
紅葉は、人間ヴァージョンの呉葉となって周囲の人間からも、目視できるようにしている。
メニュー表に目を通してから店員を呼ぶと、それぞれ注文した。
爛菊は冷やし白玉しるこ。
鈴丸はくず餅、雷馳はぜんざい、そして呉葉は当然白玉あんみつだった。
抹茶と一緒に頂く。
「ラン殿から聞いたのじゃが、やはり本当にオババはあんみつが好物なんじゃのぅ」
「おい誰がオババだこのクソガキ」
呉葉が怫然とする。
「だって、千年以上も生きておるんじゃろう? 足して七十年。妖怪と言えど化石に近い年じゃわい。本性は最早ミイラなのじゃろう?」
雷馳の悪気はない子供らしい純粋な疑問に、呉葉は軽く言い返す。
「ミイラとは何事だい。おまけに化石とまで言いやがって。長生きはその年だけ妖力を強くする。その意味では私は神級だよ。ちなみにこの姿がそのまま本性だ。不老なんだよ私は」
スプーンで突いていた白玉を、言い終えると呉葉は口の中に放り込む。
「まぁ、それは分かるがの。何せ名前も二つあるのも紛らわしい。紅葉とか呉葉とか枯葉とか」
「枯葉はない」
「ゆえに、わしはお主のことを紅葉と呉葉の間を取って、オババと呼ばせてもらう」
「全っ然、間など関係ないじゃないかい」
もはや、雷馳の横暴な態度に、呉葉は呆れる。
この七十歳と千七十歳の年齢の二人が、平行線な言い争いをしているのにまさかそんな年の差があるなどと、周囲の人間は誰一人として知りもしなければ当然考えまで及びもしない。
とりあえず言い争いはしたが、やはりあくまでも千年以上は生きているだけに、呉葉の心は寛大だった。
それくらいは子供相手にささやかなことだと、もうこれ以上敏感になることはなかった。
「じゃあ、今から紅葉はオババに決定ね!」
「お前は認めないよ鈴丸」
斜向かいに座っていた鈴丸が口に出したことに、呉葉は当てつけに彼のくず餅にスプーンを突き立てて、グチャグチャと混ぜながら吐き捨てる。
「あーっ! 僕のくず餅がっ!」
形が崩れたくず餅の惨状を見て、鈴丸はショックを受けた。
やがてそれぞれ甘味を満喫し、くつろぐと店を後にする。
支払いの際、レジカウンターの側に小規模の菓子売り場があり、そこにあったべっこう飴を見つけて雷馳がねだったので一緒に買ってやった。
花の形をしたコロッと小さい、可愛らしい飴だった。
袋に入っていて取り出し口を、ビニールタイラップで縛ってある。
「ふふ……可愛らしい飴じゃのう。こんな形の飴は初めて見たわい。どうじゃ、オババも一個やろうか?」
何ら悪意なく子供らしい笑顔で声をかけられたので、呉葉も穏やかな表情で小さく口角を上げた。
「くれるのかい? ありがとう雷馳」
これに雷馳は嬉しそうに袋から飴を一個取り出すと、呉葉に渡した。
呉葉は飴を受け取ると、親指と人差し指でつまみ上げ太陽に透かして見る。
花形のべっこう飴は、淡く琥珀色に光り輝く。
「こういうのを見つけると、人間も悪くないと思える。妖の世界ではこうした小洒落な代物は無意味だという理由で、存在しないからねぇ」
妖怪にとっては、形など関係なく食べれば皆同じという考え方が、浸透しているからだ。
「呉葉は人間の両親から、人間として生まれて育てられた妖だものね」
「え! ではまさかオババは元々人間じゃったのか!?」
驚きを露わにする雷馳に、答えたのは鈴丸だった。
「違うよ雷馳。オバ……いや、紅葉は第六天魔王によって人間界に生み落とされた、れっきとした妖だよ。だから名前が二つあるんだ。人間用と妖用」
「今お前、私をオババと言いかけたね鈴丸」
呉葉は言うと、鈴丸の後頭部を持っていた細長煙管ではたいた。
「さて、それじゃあ私はそろそろ嶺照院に戻るよ」
「ありがとう呉葉。本当に世話になるわ」
「いいってことよ。じゃあな!」
呉葉は爛菊と言葉を交わしてから、フッと姿を消した。
「さてと。アキは今頃何してるかな。そうだ。三人で誰が早く家に帰り着くか、競争しない?」
鈴丸は後頭部に手を組んだ姿勢で提案する。
「む!? 果たして二人共、わしに勝てるかのぅ!?」
「ランちゃんはどう?」
「ええ、やってもいいわ」
「よーし! じゃあ行くよ? 用意――ドン!!」
鈴丸の合図で三人は一斉に走り始める。
勿論、屋根の上を走るのもOKだ。
しかし、雷馳はべっこう飴が入った袋を、屋根から下の道路へ落としてしまった。
「あっ! 飴を落としてしもうた! 二人ともちょっと待ってくれぃ!!」
だが二人はスピードを落とすことなく、屋根から屋根へと突き進んで行ってしまった。
「は、薄情者め……ラン殿も珍しく本気になりおって……」
雷馳はしぶしぶ屋根から下りると、落ちている飴の袋を拾い上げて二人が行ってしまった方向を眺めた。
「どうせ今からじゃもう間に合わんし、わしはこの飴を持ってるから競争に参加する必要もあるまいて」
こうして雷馳はのんびりと道路を帰路に向けて、歩き出す。
しばらく歩いていると、ふと背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには髪が長く口には白いマスクをした女が立っていた。
「何かご用ですか?」
キョトンとして雷馳は、人間相手用の口調で尋ねる。
するとその女はくぐもった声で言った。
「私、綺麗?」
「……僕にはよく分かりません」
雷馳の言葉に、女はゆっくりと手を持ち上げてマスクを外した。
「これでも?」
その顔には、耳まで大きく裂けた真っ赤な口があった。
これに雷馳は仰天すると、猛スピードで走り出す。
「不細工じゃー!!」
「どぅわれ(誰)がブサイクだコルァー!!」
今までは悲鳴を上げられはしても、ここまではっきりと感想を述べられたことのなかった女――口裂け女は、怒りを露わに雷馳を手に持った鎌を振り上げて追いかけ始めた。
口裂け女の走りは車よりも速い。
だが、雷馳は石につまずいて転んでしまう。
たちまち口裂け女に追いつかれて、雷馳は尻もちの格好で後ずさる。
女は手に鎌を持っていたが、雷馳が手にしていた飴が目に入った。
これに口裂け女は目を輝かせる。
「これはべっこう飴じゃないの! いいわ。これと引き換えにお前の命、助けてあげる。お行き」
口裂け女は雷馳の手元に転がっていた飴の袋を拾い上げると、彼に背を向けその場を立ち去り始めた。
――が。
「それはわしのべっこう飴じゃあぁぁーっっ!!」
雷馳の怒号とともに、口裂け女に雷が落ちた。
ギャッと言う声を漏らして女は倒れると、ピクピクと白目をむいて痙攣している。
「まったく、不細工の分際でわしから飴を取り上げるとは図々しい低級妖怪め」
雷馳は倒れている口裂け女に歩み寄り、再び飴の袋を拾い上げる。と、刹那黙考した。
「……ラン殿の手みやげにしよう」
ズル……ズルズル……ズル……。
何かを引きずるような音に千晶と、先に戻った爛菊と鈴丸が顔を顰める。
「何だこの音は」
「こっちに近付いてくるよ」
鈴丸はテイルを腕に抱いて言う。
「見てみるわ」
爛菊の言葉を合図に、二人も一緒にソファーから立ち上がって窓の外を覗き込んだ。
するとそこには、手に鎌を持ったままうつ伏せに倒れている女の髪をつかんで、引きずっている雷馳の姿があった。
「こやつ、わしを襲っておきながら、その上飴まで取り上げようとしおった。不細工なくせに。ラン殿、このおなごの妖力を全て奪っても良いぞ」
「へぇ、口裂け女じゃない。まだ存在してたんだね。廃れた都市伝説妖怪なのに」
目が点になっている爛菊と千晶を他所に、平然と鈴丸は言った。
昭和時代に一世を風靡した近代都市伝説妖怪である口裂け女の存在は、千晶と爛菊の知識にはなかった。
何であれ、放置していても鎌を振り回している以上子供達に危険を及ぼす妖怪だからと、口裂け女は呆気なく爛菊からの妖力吸収で消滅した。