其の陸拾:新たな同居人
猫娘、矢桐双葉との戦いによって、彼女に腹を噛み付かれたグレイの傷口は、鈴丸が毛づくろいをして完治されグレイは自分の飼い主の元へと帰って行った。
テイルは、千晶の家の前で黒虎柄のクロミと再会を果たす。
「無事で良かった、テイル……」
「ママ、怖かったよぅ……」
「ママ!?」
クロミとテイルの会話に、鈴丸が耳を疑う。
「テイルは私の娘よ」
「娘!? だって避妊手術したってクロミちゃん……」
「それは出産した後によ」
「何ー!?」
鈴丸は驚愕に頭を抱える。
「何よその反応。コブ付き女に幻滅したわけ?」
「そ、そうじゃないけど……でも初耳で……」
ニャーニャーと鳴いているクロミとテイルへ会話をしている鈴丸を残して、爛菊達三人は家の中へと入って行った。
テイルは生後六ヶ月目に入っている白さば柄の子猫だ。
ある程度大きくなると、母猫は親離れを始める。
なのでテイルは、飼い主も見つからないうちに母猫クロミの元を離れ、野良猫として今まで生きてきた。
ちなみに双葉の世話になっていなかったのは、まだ子猫だったので食用の対象に入らなかったおかげだろう。
それでもやはり、我が子に身の危険が及んで今回、一度子離れしたクロミは本能から娘を助けようとしたのだ。
「それじゃあテイル。後は元気に生きておいき」
「ママ……」
淋しそうに呟くテイルに、咄嗟に鈴丸が口走った。
「うちに来る? テイル」
「え!?」
「良かったら僕のところにおいでよ」
「鈴丸さん……!」
これにクロミは満足そうに頷く。
「いいね。猫又の鈴君に飼われれば、生涯安定だよテイル」
「本当にいいんですか? 鈴丸さん」
「いいのいいの! 僕の元へお嫁においで」
これにクロミは呆れながらも、クスクス笑った。
「結局それが目的ね……鈴君らしいわ」
「お、嫁?」
キョトンとするテイルを後に、クロミは静かに自分の飼い主の元へと戻って行った。
「猫を飼うだと?」
千晶が渋面しながら湯のみを片手に、思わず聞き直す。
「うん。と言うより、僕の彼女として同棲するの」
「子猫一匹くらい、問題ないんじゃない? ちなみにテイルちゃんは妖か何か?」
爛菊が平然と尋ねる。
「うぅん。ごくごく普通の猫だよ」
「じゃあお前が責任持てよ鈴丸」
千晶の承諾が出て、パッと鈴丸の表情が明るくなった。
「良かったね~、テイル!」
「ミャア」
テイルは尻尾の先が二段階に折れた形になっている、いわゆるカギ尻尾を嬉しそうにくねらせた。
テイルという名前の由来は、このカギ尻尾からきているのだろう。
「避妊手術しろよ。数カ月後に仔猫を出産されたら迷惑だからな」
「えー!」
千晶からの指摘に、鈴丸は不服の声を上げる。
「えー、じゃない! お前は外にいくらでもメス猫を孕ませているだろうが! それで満足しろ!!」
「どんだけ猫又候補の仔猫を増やすつもりじゃ鈴丸……」
雷馳は呆れながらも、テイルを自分の膝の上に乗せて背中を撫でていた。
こうして、テイルが爛菊達の飼い猫――正確には鈴丸の嫁――として迎え入れられることとなった。
翌日の嶺照院邸。
嶺照院爛菊になりすましている信州戸隠の鬼女、紅葉はまず朝は年老いて車椅子生活をしている当主へと挨拶。
朝食を終え、茶道でお茶を嗜むと今度は書道、琴のお稽古をして昼食。
食後に当主の元へと、顔見せする。
「旦那様、昼食は終えられましたか?」
爛菊の顔をした紅葉は、車椅子の前に跪くと老人へしとやかに声をかけた。
「ああ、済ませたぞ。愛する爛菊や、食後の余興をやっておくれ」
当主はしゃがれた声で言うと、枯れ枝のような手で白魚のような紅葉の手を握る。
「はい。昨日は三味線でしたので、今日は日本舞踊を御覧くださいませ」
紅葉は言ってふわりと微笑んでみせると、静かに立ち上がりしずしずと部屋の奥へと歩む。
そして控えていた女中から扇を受け取ると、芸者が弾く三味線と歌声に合わせて紅葉は、しおらしく舞い始めた。
彼女の舞を観ながら、当主は嬉しそうに目を細める。
桜の天女かと見まごうほどに美しく、ツバメの如く軽やかに滑るような舞い姿。
彼女が反転すれば、艶やかな黒髪が広がり動きの後を追うように流れる。
まるで小川のせせらぎを彷彿とさせた。
やがて舞い終えると、その場に正座して指先を畳につき、ゆっくりとお辞儀する。
当主の鈍い拍手が、喜びを示している。
「真に素晴らしかった爛菊。おかげで寿命も延びたわい」
「はい……」
紅葉は彼の言葉に笑顔を見せると、しんなりと立ち上がった。
表情豊かな点は、本物の爛菊よりも見事に超えている。
当時、本物の爛菊の人形みたいで死んだような無表情を思えば。
「旦那様、午前中のお稽古事でわたくしは少し疲れてしまいました。部屋に戻ってしばらく休んでも構いませんか……?」
「ああ、良い良い。無理は禁物じゃからな。気が済むまでゆるりと休むが良い」
「ありがとうございます旦那様。それではお言葉に甘えて、失礼致します」
紅葉はお辞儀をすると、しずしずと当主の部屋を後にした。
部屋に戻ると紅葉は、爛菊の姿から本来の自分に戻って盛大な溜息を吐く。
「寿命が延びただと? 迷惑なジジイだ」
紅葉は独り、悪態づく。
「せっかくの休みだ。爛ちゃんを誘って甘味処にでも行くか」
そう言い残して紅葉は、フッと部屋から掻き消えた。
「爛ちゃんはいるかい?」
突然姿を現した紅葉に、リビングでくつろいでいた四人はギョッとする。
「お前……せめて念話を使うとかして前置きしろ」
千晶が呆れながら口にする。
「あら、どうしたの呉葉」
「うん、とりあえずやることやって嶺照院のジジイを満足させたから、遊びに来た」
「お前な。やることやって満足とか、誤解を招くからもっと言葉を選べ」
更に千晶は呆れ果てる。
そんな彼の言葉を受け流して、紅葉は言った。
「良かったら一緒に甘味処に行かないかい、爛ちゃん」
途端、一緒にリビングにいた雷馳と鈴丸が身を乗り出して、挙手してきた。
「わしも! わしも連れてってくれ!!」
「僕も行きたーい!!」
「……相当ヒマしてんだなお前ら……」
紅葉は言うと、溜息混じりで首肯した。
「ああ、まぁ構わないよ。ついといで」
これに鈴丸と雷馳は大はしゃぎした。
「ヤッター!!」
「俺は家にいる」
千晶は一人、冷静に断った。