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其の陸:爛菊の身代わり



 爛菊は十歳で当主へと輿入れし、約七年間屋敷で過ごしてきたがそれはとても窮屈で、苦痛なものであった。

 その上二十歳を迎えた際には、当主である枯れ果てた容姿の車椅子生活である老人に処女を捧げる為に抱かれるのだという激しい嫌悪感が、爛菊(らんぎく)の心の主を占めていた。

 何とか避ける事はできないか。

 どこか遠くへ逃げる事はできないか。

 どうして自分がこんな羽目に陥る事になったのか。

 しかしそれは、爛菊がこの世に生れ落ちた瞬間から、いや、ひょっとしたら母親の腹の中にいる内から決定していたことだった。

 どういうわけか、嶺照院(れいしょういん)当主が彼女に“爛菊”の名を与え、十歳になった暁には妻として引き取る事が決定していた。

 爛菊を産んだ実の母親はそれに逆らうことは許されず、実の父親は職業上の立場から当主に従うことしかできずに、実の娘を嶺照院当主に嫁がせなければならなかった。

 おかげで厳しい花嫁修業とお稽古事で、十歳までの子供時代を犠牲にしなければならなかった爛菊はいつしか、自分の意見をすることをやめた――。

 十歳で屋敷へと上がった爛菊は、それからも淑女としての躾と習い事で時を過ごし、自分を封じ込めていた心はいつも逃げ道を探していた。

 そんな中での、昨夜の梅の庭園での姿なき千晶(ちあき)との会話の中で、彼女は彼に縋る思いで逃げ道を作った。

 それがよもや自分が通う学校の、担任教師だったとは思いもしなかったが。

 そして彼からのキスにより、前世の記憶と共に本当の自分の心をも解放する事ができ、嶺照院当主から逃げるように今こうして彼の元にいる。

 梅の庭園で自分は妖だと言ってはいたが、まさか担任教師がそうだとは正直驚きではあったが何よりも、自分の前世が蘇ったことと共に自分も妖だったのを知ったことだ。

 だがしかし、今はまだただの人間ではあるが。


 何であれ、そんなこんなでいろんな事が一気に起きた今日一日の出来事を、爛菊はその真っ白な肢体を湯船に沈めながら思いを巡らせていた。

 今頃、嶺照院の屋敷はどうなっているだろう。

 突然爛菊が戻らないことに、きっと大騒ぎになっているに違いない。

 ひょっとするとそのショックで、後先短い当主がぽっくり逝っていれば面白いのだが。

 密かに思いながら爛菊は、クスリと小さくほくそ笑む。


 嫌い。嫌い。大嫌い。あんな窮屈な生活も枯れ果てた老人であり、人間としての自分の夫でもある当主をも。

 全てが壊れて、死んでなくなればいいのだ――。


 だからと言って、実の両親の元にも戻れまい。

 きっと間違いなく我が子でありながらも一度権力者へと嫁がせた娘を、受け入れてはくれないだろう。

 爛菊としても、今更そんな両親を恋しいとは思わず、我が子を老人などに渡した恨みつらみで憎悪に近い感情を抱いていた。

 だから、両親も必要ない。

 今一番信用できるのは、前世の記憶を取り戻したことで自分のもう一人の夫であり妖である人狼の帝、雅狼如月千晶(がろうきさらぎちあき)の方だった。

 爛菊は前世の記憶が戻り、本来の夫である千晶が救い出してくれたことに内心、感謝せずにはいられなかった。

 ある程度少しのぼせそうなくらいに湯船に浸かっていた爛菊は、ザバリと大胆に立ち上がると風呂から上がった。

 濡れた裸体にバスローブを身につけ、腰までの長さがある毛先を直線に切り揃えられている美しいまでの黒髪をバスタオルで拭きあげてから、ドライヤーで髪を乾かす。

 そして人生、生まれて初めて味わう解放感に爛菊は、至福な気持ちの中ベッドで眠りに落ちるのだった。




 本来なら、爛菊は前世の記憶が戻ったのもあり自分の本名である“雅狼朝霧爛菊がろうあさぎりらんぎく”を名乗りたいところだが、学校での混乱を避ける為今まで通り“嶺照院(れいしょういん)”の姓のままで、高校を卒業するまでは過ごすになった。


 翌日。朝の登校風景。

 しかしながら、当然学校の方にも嶺照院家の捜索の手は回っており、爛菊は頭痛を抱えるように人差し指を額に当てて瞑目する。

 彼女を乗せた千晶の車内で、彼も口元を引き攣らせる。

「本当なら担任の俺のところにも連絡があったんだろうが、昨夜はお前との時間を大切にしたくて携帯の電源切っていたからな」

 二人が乗る車は、学校が見える道で校門からずっと離れた位置に停車していた。

 校門の前には爛菊には見覚えのある黒塗りの高級車が停めてあり、嶺照院からの手先らしい黒スーツを着た男達が何人か校内と車を往復している。

「どうしましょう……ご当主の手から免れるには中退するしかないのかしら……」

 すっかり困り果てている爛菊のこの言葉に、千晶が引き止める。

「いや待て。せっかくだからここは妖の力を借りよう」

 そうして千晶は携帯を取り出すと、どこかへと電話をした。

「……――和泉(いずみ)か? ああ、千晶だ。実は俺の妻の件で頼みたい事があってな。嶺照院家に爛菊のふりして入り込ませる存在が欲しいんだ。詳しい事は今度会った時に説明するが、誰か俺の妻に化けられる妖怪にお前から頼めないか? ほら、お前は妖怪は妖怪でも神格化できてるから召喚も容易いだろう。その上その権力で相手の妖怪に命令できるだろうし。人狼の俺では何かとややこしくてあっさり了承を得られそうにないしな。何とか今すぐ頼む」

 半ば一方的に話を終えると、千晶は通話を終了する。 

 それに怪訝そうな顔して爛菊は訊ねた。

「和泉……さん?」

「ああ、昨夜チラリと話した神鹿(しんろく)の妖だ。あいつなら大丈夫。少しだけ車内で待っていよう」

 やがて三分ほど経過したところで、車の前に突然天から地を刺すような一条の光が瞬いた刹那、一人の女性が姿を現した。

 これに気付くと千晶に促されて、爛菊も一緒に降車する。

 その女は青を基調とする着物姿で、両サイドから長い黒髪を垂らした状態で後ろ髪を上にまとめ、かんざしで留めてある。

 女は千晶へと顔を向けると、無表情のまま口を開いた。

挿絵(By みてみん)

「今しがた和泉の命でこの場に参上した、紅葉(もみじ)である。この度はお前からの頼みにより、人狼皇后、雅狼朝霧爛菊に姿を変えて嶺照院家に入り込む任を承ろう」

 抑揚のない口調で言うと、今度はゆっくりとした動きで紅葉と名乗ったその女は、爛菊へと顔を向けた。

「確か人狼皇后は二百年前にご逝去なされたと聞いたが……お前、本当に爛菊の生まれ変わりか。姿かたちは確かにそのままではあるが……」

 そう紅葉が口にしている間、彼女を凝視していた爛菊は何かを思い出したかのように、少しずつ彼女の目が見開かれていった。

「あなたは、呉葉(くれは)……?」





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