其の伍拾玖:猫達の反撃
火の中から、愉快げな高笑いが聞こえてきた。
鈴丸は眉宇を寄せると、火の向こう側を睥睨する。
「おいしい……美味しいよ鈴丸。あんたの血が香り豊かに、私の口いっぱいに広がるわ!!」
ある程度周囲を漂う瘴気を焼き尽くした火が、次第に消えていき双葉の姿を露わにした。
「やっぱり百年ものの猫の血の味は違う。その肉もさぞかし美味いんだろうねぇ!」
彼女の言葉に、鈴丸は不快げに自分の腕につけられた、彼女からの噛み傷を一瞥する。
「鈴丸。猫娘がお前の血を飲んで妖力を高めたぞ。まぁ、微々たる程度だがな」
千晶が腕組みした姿に、冷静な口調で彼に教える。
彼の言葉に、双葉をよく見ると猫のヒゲが生えていた。
「ねぇアキ。相手は人間だけど、どう始末をつけたらいい? 殺しちゃっていいのかな?」
いつも笑顔の鈴丸だが、この時ばかりは表情がない。
「それはダメだ。でなければ鈴丸、お前が不浄の妖になってしまう。猫娘は人間だ。しかし家族を殺した挙句数えきれない猫を喰ってきた意味では、せいぜい猫と同じ動きができる“奇病”を持った、しかも今しがたお前の血を飲んで“半妖”になった。始末は爛菊の妖力吸収に任せればいい。どうなるかはその時での結果が、猫娘にとって相応しい最後だろう」
「了解。じゃあアキの指示に従うよ」
千晶と鈴丸の会話を、平然と待っていた双葉。
「別れの挨拶は済んだ? さぁ、またあんたの血肉を味わわせてよ」
「甘いよ猫娘。そう何度もこの僕を味わえるとでも?」
鈴丸は冷ややかに言うと、双葉が噛みついた腕の傷を悠然と舐め、“毛づくろい”を始めた。
すると見る見るうちに傷口が塞がっていく。
「この……っ!!」
双葉は苛立ちを見せると、再び鈴丸へと飛びかかる。
が、瞬間鈴丸が威嚇した。
「シャーッ! フゥゥゥーッ!!」
気付くと、鈴丸は猫耳と二本の尻尾を出現させ、その尻尾を大きなブラシのように毛を逆立てていた。
「う……っ!?」
空中で双葉は胸元をわし掴みにすると、鈴丸から数歩離れた位置に着地する。
「何……? 体の中が、熱い……!?」
「猫又の呪いだよ。お前が今まで食べてきた数だけの猫の魂を覚醒させて、体の内側から猫の恨みつらみを発動させた。お前が得た猫の数ほどだ」
だがここで、双葉はニヤリと不敵な笑みを見せると、何やら優しい声色で囁き始めた。
「猫……猫、いい子。よしよし、いい子にしておいで……可愛い、可愛い、猫……大丈夫、大丈夫よ。いい子でいればお前達は、私と一緒に強くなれる……」
すると、少しずつ双葉の体内の“猫又の呪い”が緩和されていく。
「へぇ~、やるじゃない」
鈴丸の感心する言葉に、双葉は全身を先程の体内熱で汗だくにしながら、軽く笑う。
「私もただ猫になったわけじゃない。しっかり喰うべき猫に安心感を与えて味方にしているのよ」
「何が味方だよ。お前はただの、猫又にとっては大敵の猫娘、奇病におかされてしまった人間なんだよ」
一方、瘴気に苦しんでいたテイルとグレイは、ようやく落ち着きを取り戻した。
「だったらなおさら、鈴丸、お前を喰ってやるよ!!」
直後、グレイが腹を怪我したままの状態で、大きく一声鳴いた。
「ンニャ~オォウ」
これに双葉がそちらへ横目を向ける。
するとグレイに続くように、テイルも子猫ではあったがそうは感じさせないほど、ドスの利いた声で大きく鳴き始める。
「ゥニャ~オォゥ」
「雑魚は引っ込んでろ!!」
双葉は煩わしそうに、テイルとグレイへ怒鳴る。
しかしこれを合図のように、四方八方から猫の低い鳴き声が響き渡り始めた。
ドーム状の屋根の下、周辺がキラキラとたくさん光が瞬いている。
全て猫達の目だ。その数は次々と膨れ上がっていく。
それまでおとなしく傍観していた雷馳が、これには怯える。
「何じゃ、いきなり不気味になってきおったぞ千晶ぃ~!」
雷馳は千晶の上着をつかんで寄り添う。
「大丈夫よライちゃん。周りの猫達はみんな、スズちゃんの味方よ」
隣で爛菊が、テイルとグレイの丸い背中を優しく撫でながら言った。
中には、今まで双葉の家で飼育されていた野良猫もいる。
鈴丸と双葉の騒動に駆けつけたらしい。
周囲はすっかり猫達の大合唱になっていた。
これを双葉が何とか、なだめようとする。
「大丈夫、大丈夫よ猫。可愛い猫、いい子にしておけば私と一緒に強くなれるから……」
しかしいっこうに猫達の鳴き声はおさまる様子はない。
ついには双葉は激昂した。
「うるさい雑魚猫ども!! 今大物の猫を喰おうとしている邪魔をするな!!」
怒りに身を任せ、屋根の下に集まっている猫達に、鋭い爪をたてて襲いかかろうとした時だった。
「ニャアアアアアーオオォォウゥ!!」
一際大きな猫の鳴き声が、双葉の背後で響いた。
ハッとして振り返る双葉。
鈴丸が、悠然と後ろ手に真っ直ぐ立った姿勢で、金と青のオッドアイを光らせて睥睨している。
「う……っ!?」
突然、双葉の体がまったく動かなくなった。
「猫又の遠吠え。効果は相手への金縛り。特に今回は猫達の協力もあって絶対的な拘束力が養えたよ」
「ふ……っ!!」
必死にもがこうとする双葉だったが、言葉すら発することもできない。
周囲では相変わらず、屋根の上にいるテイルとグレイの声に合わせて、猫達が鳴き続けている。
鈴丸は悠然と、二本の尻尾をくねらせる。
「ランちゃん、出番だよ」
鈴丸からの合図に、爛菊がゆっくりと双葉の前まで歩いてきた。
「は……っ!!」
双葉は何をされるのかと、目前の彼女を凝視する。
すると爛菊は、人差し指と小指を立てた手を自分の額に当てた。
そこから、紫色に輝く文字が浮かび上がる。
「猫娘、矢桐双葉。お前の妖力全てを、この爛菊が頂戴する」
彼女は言うとゆっくり、息を吸い込み始めた。
同時に、双葉の全身から青白いもやが発生し、爛菊の口内へと徐々に吸収されていく。
「ヒ……ッ、ヒイイィィー!!」
双葉は悲鳴とともに、彼女の皮膚が黒ずんでいく。
やがて乾燥して黒くなった彼女の肉体が、ボロボロと瓦解していった。
「大、地……お兄ちゃ……ん……」
最後に双葉は、涙をこぼして愛する兄の名を呼んだ。
「ごめ……な……さ――」
双葉の黒ずんだ肉体はすっかり剥落され、後には立ち崩れた彼女の白い骨だけが残されていた。
「哀れな娘……」
そっと小さく呟く、無表情の鈴丸。
周囲の猫達も、ポツリポツリとその場から離れて去って行く。
全て、終わったのだと――。
「この白骨は、矢桐家へ移動させておこう」
千晶は言うと、人差し指を動かした。
すると双葉の白骨は宙に浮き、矢桐家の方向へと飛んでいった。
「殺人を行わなければ、普通の人間に戻れたかも知れないだろうに」
爛菊はこれを見送りながら、静かに呟くように言った。
「これが、妖になるのを望んだ人間の末路か……」
雷馳がふと口にする。
「だからこそ、人間は愚かしい」
千晶は言うと、腹を怪我して動きにくそうにしているグレイへと、手を伸ばす。
が、すぐに猫パンチされてその手を払いのけられてしまった。
「何だ!? 人がせっかく運んでやろうとしたのにっ!」
「ああ、グレイは特定の人物にしか気を許さないんだよ」
鈴丸は言うと、すくい上げるようにグレイを抱き上げた。
テイルは爛菊が抱き上げる。
「無力な上に愚かとは、人間にはなりとうないものじゃな」
雷馳の言葉を置き土産に、四人は帰路へ向けて屋根から屋根へと移動し、その場を後にした。