其の伍拾捌:狂える愛情
妖怪は、満月になると特に妖力が昂ぶる。
満月の時と比べて若干減少するものの、その三日前後はまだ高い妖力を保持することができる。
そんな日のこの夜、更に昼間と比べて高められる妖力。
また、矢桐双葉はまたたびを摂食した。
満月の三日以内と夜の時間帯に加え、またたびが与える興奮作用。
この三拍子が揃った双葉は、いつも以上に強力になっていた。
「ンニャアァーオ」
双葉は一声鳴くと、物凄い速さで鈴丸へと肉薄し、鋭い爪を彼の首へと横に払った。
しかし鈴丸は後方に一歩飛び退き、これを避ける。
「美味しそうな鈴丸。今すぐお前を喰って私も猫又になってやる!」
「悪いけど、所詮人間風情がこの僕に、本気で勝てると思ってんの?」
「お前には分からない! 私のこの気持ちが!!」
双葉は次に前傾姿勢で上から爪を振り下ろしたが、これも鈴丸は悠然と一歩下がって避ける。
しかし彼の髪に少しばかり、双葉の爪が当たったのかハラリと毛髪が小さな束となって、舞い落ちる。
ようやく現場に辿り着いた爛菊と千晶と雷馳の三人。
「ランちゃん丁度良かった! お腹を怪我してるからグレイを避難させて!」
見ると、一匹の灰色の猫がよたつきながら、立ち上がろうとしていた。
腹部から血が滴っている。
「お願い! グレイおじさんを助けて!!」
ニャアニャアと声がする方を見ると、一匹の白さばの子猫が懸命に鳴き声をあげていた。
争い合う鈴丸と双葉から数メートルほどの距離にいるグレイの元へ、爛菊は駆け寄ると腹部の傷を刺激しないよう、優しく抱き上げて子猫の元へと戻った。
「ニャア、ニャア~ン……!」
白さばの子猫は心配そうにグレイへ擦り寄る。
「ニャオン……」
グレイは気にするなと言わんばかり一声呟くように鳴くと、血が溢れる腹部の傷口をペロペロと舐め始める。
「じゃあ教えてよ。どうしてそこまでして猫になりたいのか」
鈴丸は言うと、双葉の片手を掴んだ。
「クッ……! 放せ!!」
「理由を聞くまで放さない」
二人の様子を、とりあえず傍観する千晶。雷馳もそれに倣う。
「全ては大地お兄ちゃんから愛してもらう為よ!」
「大地お兄ちゃん……?」
「私の三つ年上の兄よ! 私達は血の繋がった兄妹だけれど、気付いたら私はお兄ちゃんに恋をしていた! でもね……やっぱりお兄ちゃんは私を妹としてしか見れないって、振られたのよ。辛くて、悲しんでいる私の目の前で、当時飼っていた猫にお兄ちゃんはとても優しかった。そんな光景を見て思った。私も猫になりたいって! 猫になれば大地お兄ちゃんから愛してもらえるって!」
「それで、もしかして……」
眉宇を寄せる鈴丸。
夜風が二人の間を吹き抜ける。
「嫉妬したわよ、猫に! そして思った。猫を食べれば、猫になれるかと。そしてお兄ちゃんの腕の中で可愛がってもらえるかもって。だからお兄ちゃんがいない隙を狙って、飼い猫を殺して食べた!」
「何てことを……!!」
鈴丸は双葉の告白に衝撃を受ける。
いつもと比べて何だか、闇の密度が濃厚に感じる心もとない、月明かりの夜。
双葉の手を掴む鈴丸の手に少し、力が入ったが気にすることなく双葉は話を続けた。
「でもそれを両親に見られたから、殺して二人を裏庭に埋めた。元々親がずっと邪魔だったしね。大地お兄ちゃんと二人きりになる為には。そして思った。今後はお兄ちゃんと二人で一緒に生きていこうって。お兄ちゃんには両親は旅行に行ったと嘘をついた。すると嬉しくなって、何だか体も軽くなった。猫を食べたおかげよ」
ここまで話しながら双葉は、嬉しそうな表情で擽ったそうに肩を竦めて笑った。
「だからこれからもずっと、猫のようになってお兄ちゃんに愛され可愛がってもらう為に、猫を食べ続けた。野良猫を主にね。飼い猫は嫌い。お兄ちゃんみたいに飼い主に優しくしてもらえてるから」
それまで笑顔だった双葉は、“飼い猫”のくだりで不機嫌な表情に変わる。
つまり、妬み嫉みで本当は飼い猫が嫌いであるのが、双葉の中の真実だと分かる。
「弱い猫も嫌い。そういう役立たずの猫は殺したり、病気とかで死んだりした死体はゴミとして捨てた」
これに鈴丸は前日ティッシュ箱に入っていた仔猫の死体を、彼女が抱えていたことを思い出す。
「え!? じゃあ昨日の仔猫達の遺体も……!?」
「ええ、そうよ。弱い猫に情けをかけるだけ、無駄でしょ」
双葉は当然のような口調で言ってのけると、ふと口角を上げて笑う。
「――君って人は……っ!!」
更なる怒りを覚えた鈴丸の言葉を無視して、突然ふと双葉の表情が曇った。
「それでね。ある日小鳥を捕まえたの。お兄ちゃんに猫として自慢しようと思ったわ。その時にもう一度、愛を告白した。でもお兄ちゃんは……大地お兄ちゃんは私を否定した。それが我慢ならなかった。お兄ちゃんの好きな猫に、まだ近付けていない自分にも、そして私を女として完全に否定したお兄ちゃんにも……気がついたら、私の爪でお兄ちゃんを殺していた。私が愛するお兄ちゃんを……!!」
双葉の目から、ポロポロと大粒の涙が零れる。
「でも、おかげで私はお兄ちゃんとずっと一緒にいられるようになったのよ」
涙を流しながら双葉は、この上ない満面な笑顔を見せた。
異常だ。何ていう歪な愛の形なんだ。この娘は最早イカれて、いや、壊れている。
その場にいた全員がそう思った。
ハッと鈴丸は何かを思い出し、尋ねる。
「もしかして、あの紫のふろしきの中身は……」
「お兄ちゃんよ。私の愛する大地お兄ちゃん」
どこか照れくさそうにしながら、双葉は答える。
気が付くと、周囲の空気が澱み始めていた。
瘴気だ。
双葉の感情に反応して、彼女から瘴気が溢れ出したのだ。
「うふふ……だから、私は完全な猫になるの。なるのよ。お兄ちゃんに、お兄ちゃんに愛される為に。猫に、なるの。可愛い、可愛い猫……うふふふふ……!」
目の焦点が合っていない。
まるでカメレオンのように、左右の瞳孔の動きがバラバラだ。
発する言葉も、まるで壊れた発声付き人形のようだ。
「ク……ッ!」
鈴丸は彼女から手を放そうとした瞬間。
素早い動きで双葉は、自分の手を掴んでいた彼の腕に噛みつき、鋭い牙を突き立てた。
「この……っ、人間の分際で!!」
鈴丸は口走ると、自分の手に噛みついている双葉の腹部に片足を当て、蹴り飛ばした。
だが双葉は数メートル先で体を捻って四つ足姿勢で着地すると、鈴丸の血を味わった彼女はまるで発情した猫の鳴き声を上げ始める。
「ア~オン! アオ~ン、ア~オン!!」
「同情の余地なしだね、君は」
鈴丸は双葉に噛まれて流血している手を軽く振ると、ふと小さく口角を上げる。
「この程度の瘴気で、僕をどうにかできると思ってんの?」
すると離れた側面から、爛菊が叫んだ。
「スズちゃん! 私達はともかく、猫達が瘴気で苦しんでる!!」
見ると、テイルが嘔吐しグレイは体を震わせて項垂れていた。
「チッ! 猫娘め……っ、よくも! 広がれ猫又の火!!」
鈴丸が片手を横に大きく払うと、まるで瘴気を呑み込まんばかりに大きな火の海が、空中を舐め尽くす。
その火から守るように、爛菊はテイルとグレイに覆い被さった。