其の伍拾伍:ねじれた愛の形
「それと先程あの家の前に立っていて気付いたんだが――」
「腐臭でしょう? 人間の」
千晶の言葉の後を、爛菊が続けた。
「ああ、やっぱりお前にも臭ったか」
「わしには分からんかったのぅ……」
雷馳は小首を傾げる。
「おそらく死後三週間ってところかしら」
これに千晶は首肯してから、重苦しい口調で述べる。
「さっきの人の話が事実なら、おそらく両親も兄ももう死んでいる」
「双葉さんが殺したってこと……?」
「ヒェェ! 親や兄弟殺しは禁忌じゃぞい!!」
妖の世界では、家族殺しは最も邪悪だとされている。
「人間の家族がいるのなら、矢桐双葉も人間かも知れない」
「もしくは信州戸隠の呉葉と同じ妖混じりもあり得るわ」
「その妖の血が覚醒したのかの?」
「うむ……とりあえずもうしばらくはあの娘、監視する必要がありそうだな」
双葉は昨日と同じように、中身がたくさん詰まった買い物袋を手に、周囲の猫達に笑顔を見せながら家の中へと入って行った。
内心、爛菊は思う。
やはり千晶が動くだけで一気に相手の情報が増えると。
そういう意味では、鈴丸ではまだ未熟だったようだ
勿論、自分も含めて。
昨日、グレイの案内で向かいの家の屋根から様子を窺っていた時も、死臭がした。
だが、まだ人間寄りの爛菊にとって距離感もあったせいか、微々たるものだった。
しかし先程、双葉の家を目の前にしてから、ようやくはっきりとした。間違いないと。
「妖気も感じるが、周囲の猫と同化して上手に妖気を消している。寧ろ妖気を猫の気配で誤魔化しているから、俺にも気付かれにくかった」
千晶が淡々と口にする。
しばらくして、双葉が家から出て来た。
「気配を消せ。あの娘に俺らの監視を気付かせるな」
千晶に言われて、爛菊と雷馳は気を抑える。
すると双葉は、四足姿勢になったかと思うとひょいひょいと、自分の家の屋根へと跳び上がった。
そしてそのまま家の庭にある木に飛び移ると、爪研ぎを始めた。
これを終えて再び屋根に戻ってくると、猫のように背伸びする。
傍らには、家から出て来た時に持っていた丸い形をしている、紫色のふろしきがある。
そのふろしきの結び目を解くと、なんと中から頭蓋骨が出てきた。
これに三人は目を見張る。
「お兄ちゃん、今日もお日様ポカポカでいい天気だよ。一緒にひなたぼっこしようね」
双葉は微笑みを浮かべると、その頭蓋骨の並んだ歯にそっとキスをした。
「大好きよ大地お兄ちゃん。愛してる……」
双葉は手にしていた頭蓋骨を、広げているふろしきの上に戻すと、その傍らで猫のように丸まった。
「あのふろしきには、お兄さんの頭蓋骨が入っていたのね。だから昨日スズちゃんに尋ねられた時、あれほど怒ったんだわ」
「しかしあの娘、兄とやらの頭蓋骨に接吻しよったぞ……」
「動きはまるで猫そのものだが……何か引っかかる」
爛菊と雷馳と千晶は、それぞれ口にする。
「猫……猫、大地お兄ちゃんが大好きな、可愛い猫だよ……いい子でしょう……?」
丸まった姿勢で、目前にある兄だという頭蓋骨の頭部を、指先で優しく撫でる。
表情はとても嬉しそうだ。
「今分かる限りだと、双葉さんのお兄さんはもう死んでいるけど、それでも離れられないくらいの、妹の立場にも関わらず愛する兄の骨を持ち歩いている……と、解釈すべきかしら?」
「そういうことになるな」
「兄弟姉妹がそれぞれの異性で愛しあうことは、昔からあることじゃが……まさか殺して頭蓋骨を持ち歩いてまでと言うのは、相当歪な愛の形じゃのぅ……あの娘が、愛しているにも関わらず兄を殺したのじゃろうか」
「さぁ……爛には兄弟姉妹の仲で愛しあうのは、理解できない」
「だが昔はよく見られる光景の一つだった。特に百姓などの田舎の平民の間ではな」
三百年以上生きている千晶の言葉には、説得力があった。
「でも死の臭いが、彼女の手にしている兄の頭蓋骨からだったのは解かったけれど、それ以外にもする腐臭の原因はあの家から直接してくる」
「それが問題だ」
爛菊の意見に、千晶は首肯しながら言った。
腐臭は、人間に気付かれない微々たるもので、狼である千晶と爛菊だからこそ探知できる臭いだった。
よって雷獣の雷馳にも、気付けなかったのだ。
「しかも二人分の腐臭だ。おそらくはあの娘の両親のものだろう」
すると、遠くから別の気配が近付いてきた。
これには千晶は勿論、爛菊と雷馳も気付いて五階建てマンションの屋上にある、階段室の陰へと三人は隠れる。
確認するまでもなく、その気配が鈴丸のものであると分かったからだ。
もしここで、鈴丸に内緒で双葉の様子を探っていたことが知られると、彼の怒りに触れるだろう。
尤も、千晶は別に平気ではあるが。
双葉は鈴丸の気配に跳ね起きると、急いで頭蓋骨をふろしきに包み隠す。
どうやら鈴丸は、千晶が用意したまたたびの酔いから覚めたようだ。
「双葉ちゃーん! 見て見てこれ! 君にプレゼント持ってきたよー!」
鈴丸は声をかけながら双葉の元へ辿り着くと、手にある物を見せる。
「……これは何?」
「僕の友人がくれたの。またたびの葉っぱだよ!」
それはまだ擦り潰さずに残しておいて、キッチンに置きっぱなしにしていたものだ。
「良かったら、双葉ちゃんと味わおうと思って。最高に昇天できるよ」
まるでマリファナやコカインなどのドラッグみたいな言い方をする鈴丸。
だがまたたびは、猫にとってドラッグではなくアルコール程度の効果しか発揮しない。
双葉は鈴丸からまたたびの葉っぱを一枚もらうと、それをクンクン匂い始めた。
そして目の色を変えるや否や、ムシャムシャと食べ始める。
「僕は妖なのもあってまたたび効果からもう覚めちゃって馴染んじゃったけど、双葉ちゃんはど、う……――」
「ニャアァーオゥゥ」
突然大声で一声吠えた双葉の様子に、鈴丸は目を丸くする。
すっかり興奮した双葉が、四足歩行で屋根の上を端から端へと駆け回ったかと思うと、今度は喉をゴロゴロ鳴らしながら鈴丸に顔を擦り付けてきた。
「猫ね……」
「猫じゃな……」
「……」
口々に呟く爛菊と雷馳を他所に、千晶は無言を決め込む。
何やら黙考しているのだ。
「ふ、双葉ちゃん……っ、いくら何でも大胆だよ。僕ですら猫の姿に戻っちゃったのに、人の姿でこんなに甘えてこられちゃうなんて……」
鈴丸は頬を紅潮させながら、とりあえず甘えてくる双葉の頭や喉元を撫でてやる。
「むむっ、これはもしや、子供のわしが見てはいかん展開に発展しそうかの!?」
雷馳が両手を頬に当てて口にした言葉に、爛菊もギョッとして雷馳を見下ろす。
だが改めて顔を上げ、鈴丸と双葉の監視を続ける。
直後、双葉は鈴丸の顎元から擦り上げるように頭を持ち上げると、そのまま彼にキスをした。
「キャー!!」
同時に赤面しながら声を漏らす爛菊と雷馳の二人に、千晶が叱責する。
「うるさいぞ静かにしろ」
「ふ……双葉ちゃん……」
驚いた表情を見せる鈴丸に、耽溺する双葉は囁いた。
「ふふ……鈴丸、美味しそう。早く食べたい」
「えっ!?」
彼女の言葉に更に鈴丸は驚愕する。
それもそうだ。
まだ恋愛対象までには発展していない双葉が、欲情して誘ってきたのだから。
しかし彼女は、続きを口にする。
「でも、まだよ。まだダメ……可愛い……可愛い、いい子になってからじゃなきゃ……」
「双葉ちゃんは、十分可愛いよ?」
「でも、まだ弱い……強く、ならなきゃ……」
妖艶に微笑むと双葉は、紫色のふろしきを抱えるやその場から素早く屋根伝いに、立ち去ってしまった。
鈴丸は、双葉の家の屋根で呆然と彼女を見送っていた。