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其の肆拾玖:怪しい人影



「うわぁ~、痛そうだねぇ~!」

 一度笑いを収めた鈴丸(すずまる)が、千晶(ちあき)の背中についた爪痕を見て口にする。

「今の爛菊(らんぎく)の妖力程度なら、これくらいの傷は簡単に治癒できる」

 言いながら振り返った千晶の左頬に、赤々とくっきりした手形がついているのを見て、またもや鈴丸は大きく吹き出して大爆笑を始めた。

「ブフゥッ! も……やめてアキ……っ! 僕の腹筋崩壊させる気!? アハハハハハ!!」

「誰が好きこのんでお前を喜ばせる為に、わざわざこんな目に遭うものか」

 不機嫌そうに千晶は吐き捨てる。

「ラン殿、泣いておらんかったか!? わし、ちょっと行って見てくる――」

「お前が首を突っ込む必要はない。ガキが恋愛事情に口出しするな」

「何じゃと!? わしはラン殿を心配しているだけじゃ!」

 爛菊の後を追おうとした雷馳(らいち)の前を、千晶が立ち塞がる。

「ガキがいちいちでしゃばるな。お前は鈴丸と一緒に夕飯の買い物にでも行って来い」

「むぅ……」

 千晶から冷ややかに言われて押し黙るしかない雷馳が、背後の鈴丸を振り返ると彼は可笑しすぎて涙を流しながら、床で笑い転げていた。


「爛菊、入るぞ」

 千晶はノックして声をかけてから、爛菊の部屋のドアを静かに開ける。

 彼女はベッドに腰を掛けた姿勢から、上半身を倒して顔を伏せていた。

「爛菊、何か誤解があったようだから……その、疑問や不満があるなら聞かせてくれないか」

「……」

 しかし爛菊は相変わらず顔をベッドに伏せたまま、鼻をすすっている。

 千晶はベッドへ歩み寄ると、彼女の傍らに腰を下ろした。

「あの女子生徒は、今度行われる生物学シンポジウムのレポートにチェック入れてくれと言ってきたから、それに付き合っただけだ。決して男女の仲で二人きりになったわけじゃない。大体俺が、人間の女を相手にすると本気で思っているのか? 俺は鈴丸と違うぞ」

「でもあの子は千晶様に異性として、好意を寄せているようだった」

 爛菊はベッドに顔を伏せたまま、くぐもった声で言った。

「そうなのか? 道理で妙にフェロモンが匂ったわけだ」

「そんなことを言うのはやめて! 不潔だわ!」

「ああ、それはすまなかった。だが、狼として鼻が利くことだけは解ってくれ。お前もいずれ俺が言ってしまったことを、解かる時がくる」

 するとしばらく沈黙が続いてから、ようやく爛菊はゆっくりと顔を上げて上半身を起こした。

「ええ……ただ、こんな気持ちになったのが初めてで、爛も動揺してしまって……呉葉(くれは)が言うには、嫉妬らしくて……それで、千晶様の言葉一つ一つに敏感になってしまったの……」

 爛菊は涙を拭いながら言った。

「嫉妬してもらえるとは嬉しいな。男冥利に尽きると言うものだ」

 千晶はふと微笑むと、彼女の艶やかな黒髪を優しく撫でる。

「ごめんなさい千晶様。背中と顔、痛かったでしょう?」

「大丈夫。気にするな……俺はお前だけを愛しているぞ爛菊」

「爛も……」

 二人は見つめ合うと、仲直りの口づけを交わした。



 鈴丸と雷馳は、気分転換に家々の屋根を渡り歩いて買い物先へと向かっていた。

「いやぁ~、おっもしろかったなぁ~! クスクスクス」

 鈴丸は家での爛菊と千晶のやり取りを思い出しては、まだ愉快そうにしている。

「あんな男にラン殿を任せておいて大丈夫なのか、この先不安じゃ」

 雷馳は鈴丸の後に続いて、次の屋根へと飛び移りながら口にする。

「ところで雷馳、今夜のご飯は何が食べたい?」

 鈴丸は背後の雷馳へと振り返って、後ろ歩きをしながら後頭部に両腕を組んで尋ねた。

「わし、デミグラスソースたっぷりのふわとろなオムライスが食べたい!」

「OK~。じゃあ今夜はオムライスで決まりね」

挿絵(By みてみん)

 以前鈴丸が作ったのを、雷馳は大変お気に召したようだ。

 雷馳の希望に答えた直後、そのずっと向こうで何かが建物の間を横切った。

「ん?」

 思わず足を止める鈴丸。

 お決まりのようにこれにぶつかる雷馳。

「何じゃ、どうしたんじゃ鈴丸」

 突然立ち止まった鈴丸を、雷馳は不思議そうに彼の顔を見上げる。

「今、何か人影が見えた」

「む? ここは屋根の上じゃぞい」

「そうだよね。でも、確かに見えたんだよ。間違いない、あれは人影だった。行ってみよう雷馳」

「ち、千晶がおらんのに大丈夫かの!? 万が一妖怪じゃったらわしらだけでは始末に負えんやも知れんぞ!?」

「へーきへーき。大丈夫だって!」

 そう答えた鈴丸は、既に雷馳を飛び越えて元来た屋根を速度を上げて戻り始めていた。

「ま、待ってくれぃ鈴丸!!」

 雷馳は大慌てで彼の後を追いかけた。


 人影が見えた場所まで戻ってみたが、もうどこにもその姿は見当たらなかった。

 だが、後を追おうにも途切れてしまっていたが、微かに妖気が残っている。

「この感じ……――猫だ」

「猫?」

 鈴丸の意味深な言葉に、首を傾げる雷馳。

「僕と同じ感じがする。でも微かだからもしかして、まだただの猫から最近猫俣になったのかも知れない」

「じゃとしたら、鈴丸と年端は変わらぬのではないかの?」

「うん……きっとそうだね……」

 雷馳の言葉に、鈴丸は遠い目をして呟いた。

 猫は百年生きたら猫俣となる。

 百十七歳の鈴丸も、十七年前まではただのオスの三毛猫だったのだ。

 それを思うと、鈴丸は奇妙な親近感を覚えずにはいられなかった。

 仕方なくまたデパートへ向かったが、鈴丸は後ろ髪を惹かれる思いだった。

 その場を去って遠ざかっていく鈴丸達を、離れた建物の影から窺う人影があった。

 腕の中には、一匹の猫が抱かれている。

「ンミャ~オゥ」

「よしよし、いい子ね……」

 鳴き声を上げる猫の背中を優しく撫でながら、人影はそっと囁いた。



 買い物を終えて、家に帰ると爛菊と千晶は二人揃ってリビングにいた。

「あっれぇー? 何、もう仲直りしちゃったの?」

「当然だろう」

 買い物袋を手にしている鈴丸に、千晶は悠然と答える。

「チッ! 残念じゃのう。あわよくばラン殿をわしの妻に迎えようと思ったのに」

 雷馳も自分が持てる程度の買い物袋を持って、稀薄(きはく)気味に吐き捨てる。

「ふふ、ありがとうライちゃん。気持ちだけ、受け取っておくわ」

「ずっと思っていたんだけどさぁ、雷馳って熟女好きなの?」

「……何ですって……?」

 これに反応した爛菊の、鋭い睥睨(へいげい)が鈴丸に向けられる。

 しまった、と鈴丸は剣呑さを覚えると同時に、雷馳からの抗議により爛菊の怒りの一手から逃れることができて、思わずホッとする。

「違わい! わしはラン殿だからこそじゃ! 他のおなごには興味はない! ラン殿だけが特別なのじゃ!!」

「諦めろ。爛菊は元より俺の妻。他の女に興味を持った方が無難だぞ」

 千晶は言うと、まるで雷馳へ見せつけんばかりに隣に座る爛菊の頭を撫でる。

 鈴丸は雷馳と千晶のおかげで先ほどの失言をあやふやにしてしまおうと、そそくさとキッチンへと向かった。

 冷蔵庫の側に買い物袋を置き、食材を取り出そうとした時だった。

 鈴丸はハッと顔を上げる。

「さっきの猫の気配だ!」

「猫? 今更何をそんなに敏感になっているんだ」

「わしは見損ねたんじゃが、どうもそれが人の形じゃったらしい。新たな猫俣が誕生するやも知れんだとか」

 不思議がる千晶に、鈴丸が説明する。

「僕、行ってくる! 雷馳、食材冷蔵庫に入れておいて!」

 鈴丸は言うなり、キッチンの窓から飛び出して行ってしまった。





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