其の肆拾捌:不機嫌な彼女
学校での昼休み時間。
この時の爛菊はいつも図書室に引きこもっている。
教室は騒々しいのでそれから逃れる為と、読書をする目的もあるからだ。
空き時間は大概爛菊は、読書をしている。
嶺照院にいた頃の流れで、周囲と関わることのなかった彼女には、友人と呼べる相手がいないままだ。
一方、この学校に通い始めてまだ間もない鈴丸は、教師や生徒ともども周囲から大人気で今日もみんなとサッカーなどをして、楽しんでいる。
しかしこの日の爛菊は、どうにも読書をするという気分にはなれなかった。
さて困った。
この彼女にとって億劫なほど長い昼休みを、だったら一体どうやって過ごせば良いものか。
そしてハタと思いつく。
信州戸隠の鬼女、紅葉――呉葉――を呼び出してどこかの一角でお喋りでもして過ごそうと。
今現在の爛菊の唯一の女友達は、結局人間ではなく妖怪ではあったが、前世の頃からとても仲良くできる友人である。
周囲に人間が多くいたりすると、紅葉は鬼女として姿を現すので人間から見えなくなる。
だがしかし、本来人間である両親から育てられた理由から、母から与えられた本名、呉葉として現れれば人間の目でも彼女が見えるようになる。
爛菊はしばし黙考してどちらとして接しようかと逡巡した後、別に開き直って周囲に生徒がいようが構わず相手にすることにした。
この学校にはオシャレな食堂兼カフェテラスがあり、昼休み時間も自由に利用できる目的もあって自動販売機も設置されている。
爛菊は図書室を出ると、カフェテラスに向かいながら呉葉に念話を送る。
“呉葉、少しの間だけ話し相手になって。カフェテラスにいるから”
“了解”
すぐに呉葉からの短い返事が届く。
爛菊が学校にいる間だけ、普段は彼女に化けて嶺照院を誤魔化している呉葉は、自由に行動できる。
こうしてカフェテラスに向かっていると、ふと二階の渡り廊下で千晶の姿を見つけた。
図書室は一階にあり、そこからカフェテラスに向かうには外にある別の渡り廊下を通らなければならない。
丁度その渡り廊下へ出たところで、右手の方向にある二階の別の渡り廊下に、千晶が立ち止まっていた。
一体何をしているのかと少しだけ様子を窺っていると、どうやら隣に女子生徒が一人、一緒にいた。
思わず爛菊は耳を澄ます。
十メートル程離れていたが、今までの活躍により妖力もアップした爛菊は聴覚も鋭くなっていた。
どうやら女子生徒は生物学のレポートの件で、生物学担当の千晶に相談に来たようだ。
しかしこの女子生徒は頬を紅潮させ、時折口元をほころばせながら千晶に寄り添っている。
心音も早鐘を打っているのが聞こえる。
爛菊はすぐに理解した。
この女子生徒は、彼が普段学校でだらけた姿を見せているにも関わらず、千晶に好意を寄せている。
女の直感だった。
どんなに誤魔化しても千晶の顔は格好良い。
よくよくチェックを入れさえすれば、彼の魅力が分かる女子がいるということだ。
だがどうやら千晶は、この女子生徒の好意に気付いていないようだ。
女子生徒がレポートをエサに、生物学室で二人きりで千晶にサポートしてもらおうという魂胆なのも、会話の中で聞こえてくる。
これに、千晶は平然と受け入れて女子生徒と一緒に、生物学室がある方へと行ってしまった。
自分以外に千晶の魅力に惚れた女がいようとは。
しかもたかが人間風情が。
爛菊の中に複雑な怒りにも似た感情が芽生える。
こんな気持ちは人間に生まれ変わってからは、初めてだった。
そんな自分に爛菊は動揺する。
爛菊は思わず今のシーンは見なかったことにしようとばかり、急ぎ足でカフェテラスに向かった。
――が。
「おやおや。どうしたぃ爛ちゃんともあろう者が、戸惑いを表情に露わにして」
呉葉には爛菊の動揺がバレバレだった。
着物姿に纏め上げた後ろ髪に簪を挿している呉葉の姿は、この学校内では一際目立っていたが爛菊の関係者だろうと、誰も彼女の存在を指摘してこない。
二人は自販機で買った紙コップの飲み物を前に、テーブルを挟む形で向かい合って座っている。
「え、あ、そ、そう……かしら」
いかにも心ここに在らずといった様子で、爛菊は口ごもる。
「何かあったんだろう? 良かったら話、聞こうじゃないか」
「う、うん……」
しばらくの沈黙の後、ようやく爛菊はポツリポツリと呉葉に話し始めた。
ある程度、彼女の話を聞き終わって全体像がはっきりしてきたところで、呉葉は理解する。
「つまり爛ちゃん、それは嫉妬じゃないのかぃ?」
「嫉妬……? この気持ちが、そうなの……?」
爛菊は不安そうに呟くと、右手の拳を左胸にそっと押し当てる。
「ああ、そうだよ。まぁ爛ちゃんの前世での時、千晶は爛ちゃんに一途だったからそれを引き継いで爛ちゃんが嫉妬を覚えるのは、きっと今回が初めてで解せないのさ」
呉葉は言うと、テーブルに肘を突き頬杖をする。
「何だか、スッキリしなくて気持ち悪い。一体どうやったらこの気持ちを消せるの?」
「簡単な事さ。話を聞く限りでも普段の千晶の行動からも、あいつがよそ見するとは考えられないからね。今日家に帰った時にでも、直接本人に確認してみればいいよ」
「早い方がいい。いつまでもこんな気持ちを抱えていたくないから」
「だったらタイミングを見計らって千晶を捕まえるこったね」
すると昼休み終了を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「ま、爛ちゃんが心配することではないのは確かだろうよ。そんじゃま、私はもう行くよ」
「ええ……話し相手になってくれてありがとう呉葉」
「いいってことよ。今更な仲でもあるまいに、礼は不要だよ。じゃあ頑張りな」
呉葉は笑顔を見せると、爛菊の前から手を振りながら去って行った。
それを見送って、爛菊も教室へと戻った。
ところが、その後千晶を捕まえるタイミングを窺っていたが、周囲の生徒が気になってなかなか行動に起こせなかった。
午後の授業を終えて帰りのHRの間、爛菊からの眼をギラギラさせて自分を睥睨してくる彼女の視線に、千晶はわけも分からずに怪訝な表情を時折爛菊に向けることしかできなかった。
なので帰路での車内で、千晶は助手席に座る爛菊に尋ねた。
「どうした爛菊。何やら珍しく不機嫌そうだが」
「千晶様……昼休憩の時は一体何をなさっていたの?」
「ん? 普通にいつも通り教師の仕事だが、どうしてそんなことを聞く」
「どうして? 千晶様こそそのような遠回しな言い方」
このどこか爛菊の刺々しい様子に、何やら不穏な空気を感じ取り後部座席に座っていた鈴丸は、興味津々にニマニマしてくる。
雷馳も一緒に隣に座っていたが、まだ何のことだか気付いておらずに車窓を眺めている。
「遠回し? 何のことだ」
「それはご自分の胸に手を当ててお考えになったらいかが?」
「???」
以後、車内前部は重苦しい沈黙が続く。
やがて家に到着するなり、まだエンジンも完全に切られてもいない車内から、外へ出る爛菊。
閉められるドアも荒々しい。
ここでようやく雷馳も爛菊の異変に気づく。
「ラン殿、何かあったのかの?」
「……まさか、もしかしてあの事か!?」
千晶も今頃彼女が何を言わんとしているのか気付いたらしく、エンジンを切るなり慌てて降車し既に家に入ってしまった爛菊を追う。
「雷馳、今から見ものだよ」
鈴丸がウキウキしながら雷馳を促して、いそいそと玄関へ向かった。
「そういえば、やけに発情期の女子生徒のレポートを手伝ったことが関係あるのか!?」
「何ですって!?」
リビングでそう声をかけてきた千晶に、爛菊は驚愕を露わに振り返る。
「ああ。どうもメス臭いにおいがプンプンしていたから、おそらく生理前なんだろうと特別気にしなかったが……」
途端、みるみる爛菊の頬は紅潮し、口をあんぐり開けて呆れに近い怒りの表情が滲み出てきた。
「千晶様の変態!」
正面から派手な音の平手打ちを一発、更に肩を突いて背中を向かせると両手の爪を上から下へと突き立てた。
「千晶様のバカアァァァーッ!!」
「痛ぁーっ!!」
だが爛菊は振り向くことなく、その場から走り去ってしまった。
「何じゃ!? 何事が起こったのじゃお主ら!?」
爛菊と千晶の様子に戸惑う雷馳をよそに、腹を抱えて大爆笑している鈴丸の姿があった。