其の肆拾柒:夕暮れの空に揺蕩う
こうして何事もなく一日の授業を終えて、みんなは高等部の屋上に集合した。
四人の妖気を利用して、逢魔が刻に正体不明の妖怪を迎え撃つ。
この中で特に妖力の低い爛菊の存在は、不浄なる妖の格好の餌食だろう。
勿論、彼女を引き渡す気は毛頭ないが。
「綺麗な夕暮れね」
思いの他、爛菊は楽観的に夕暮れの空を悠然と観賞している。
「ラン殿は恐ろしくないのかの? これから正体も解からぬ奴と対峙することが」
「正体は向こうから出現すれば必ず解かるもの。今のうちから怯えていては、神経がいくつあっても足りないわ。だからせめてこの間は、こうして暮れゆく空でも楽しみましょ」
「余裕じゃのぅラン殿は……」
爛菊との会話に、雷馳は感心しながら彼女が言うがままに、空を見上げる。
フェンスに手をかけて夕焼け空を眺めている爛菊と雷馳を他所に、鈴丸は屋上に仰向けで寝転がり、両手を組んで枕にしている。
千晶は屋上にある階段室の屋根の上で、足を宙に投げ出す形で腰を掛けボンヤリしている。
しばらくしてから、先に反応を見せたのは鈴丸だった。
「ん……? もしかしてアレかな?」
寝転がった姿勢のまま、ボソリと呟く。
千晶も突然出現した別の妖気に、空を見上げる。
フワフワと、白くて長いものが空を漂うようにこちらへと、ゆっくり近付いてくる。
同じく上空を見渡した爛菊と雷馳の二人だったが、鈴丸が指摘したものを見つけるや雷馳が口走った。
「あれは一反木綿じゃな?」
「そのようね」
爛菊も相槌を打つ。
「なるほど。これで今朝の窒息死体の説明がつく」
千晶は言うと、階段室の屋根から飛び降りて屋上に着地する。
彼等が別に呼んだわけでもないのに、引き寄せられるように一反木綿が近付くのを、無言で見守る四人。
その動きはまるでこちらの動きを窺うようにとてもゆっくりしたもので、鈴丸も相変わらず寝転がったまま大きなあくびをしている。
十メートル程近付いたところで、鈴丸も大きく伸びをしてから上半身を起こす。
直後。
一反木綿が急に捻れて細長い槍のようになったかと思うと、物凄い速さで四人へと突撃してきた。
先頭にいた千晶と鈴丸の間を縫うように擦り抜けて、彼等の背後にいた爛菊と雷馳の前で細く捻れた全身を大きく広げて元の姿に戻るや、素早く爛菊の顔に覆い被さった。
「キャ……フ、フグ……!!」
もがく爛菊を前に千晶が駆けつけるより早く、雷馳が飛び掛かった。
「コラッ! ラン殿に何をする! 離れろこやつめがっ!!」
雷馳は必死に五メートル程の長さがある、一反木綿の先端を引っ張る。
「ゥニャウッ!!」
鈴丸が素早い動きで飛びかかり、雷馳が引っ張っているピンと伸びている布地へと鋭い爪を振り下ろす。
四本の指の爪で布地の一部を引き裂かれた一反木綿は、爛菊から離れるとまだ自分を引っ張っている雷馳へと標的を変えて、今度は身長の低い彼に頭から足の爪先までスッポリと全身を包み込んだ。
「大丈夫か爛菊」
「え、え……」
自分を心配して駆けつけた千晶に、爛菊は必死に呼吸を整えながら隣で一反木綿に全身を締め上げられている雷馳に気付くと、彼女は鋭い爪を露わにして一反木綿に振り下ろす。
ところが、一反木綿は雷馳を全身に包み込んだまま、空高く飛び上がった。
「ム、ムググ……ッ!!」
雷馳の呻き声が空へと遠退いていく。
「ライちゃん!!」
初めは妖力の低い爛菊を狙ったものの、鈴丸の攻撃を受けて一反木綿は雷馳から妖力を奪う方が手っ取り早く妖力を高められると考えたようだ。
雷馳を包み込んだ一反木綿が空高く小さくなっていく。
「ライちゃん! ライちゃんが危ない!!」
爛菊は訴えるように、千晶と鈴丸を振り返る。
ところが、突然上空が青白く瞬いた。
空を見上げると、一反木綿が電流を纏っている。
雷馳が内側から放電したのだ。
これに堪らず一反木綿は雷馳を解放する。
上空高く落下してくる雷馳に、爛菊はあっと小さな声を上げる。
だが瞬時に雷馳は空中で本来の雷獣の姿に戻ると、両手両足を広げその間にある膜で風に乗った。
そしてその大きく平べったいフワフワの尻尾を回転させ、コントロールを取りながら爛菊達のいる屋上に舞い戻ってくる。
着地するや人の姿に変化する雷馳。
「ふぅ。わし死ぬかと思ったわい」
言いつつも人の姿になった雷馳ではあったが、まだ雷獣の耳と尻尾を残している。
一方、一反木綿は全身から雷馳に放電された名残の、微弱電流を放ちながらもこっちへと向かってくる。
「諦め悪いねあいつ。雷馳から電撃受けたにも関わらず」
「よっぽど俺らの妖力が欲しいのか、それでいて余裕があるってことだな」
鈴丸と千晶は悠然とした様子で、こちらへ戻ってくる一反木綿を眺めている。
するとまた間近になると全身を捻じり、槍のように誰かれ構わず突っ込んできた。
まずは手前にいる爛菊と雷馳が素早く避ける。
「大気の盾」
千晶は呟いたかと思うと、右手を左下から右上へと斜めに振り上げる。
直後、全身を捻って鋭く尖らせた一反木綿の先端が、千晶が発生させた見えない障壁に弾かれた。
一反木綿を弾くと障壁はすぐに消滅する。
この瞬間を狙って鈴丸が攻撃する。
「猫俣の火!!」
だが一反木綿は全身を元に戻すと、ヒラリと鈴丸が放った火の玉を身軽に避けた。
「ああっ!? 避けられた!」
「そんじゃあこのわしに任せておけぃ!」
雷馳が血気勇んで鈴丸の前に躍り出る。
「雷走!!」
雷馳が一反木綿へと向けた掌から、直線状に放電される。
しかしこれも、ヒラリと軽々に避けられてしまった。
「雷馳、次は同時にいくよ!」
「うむ!」
「猫俣の火!!」
「雷走!!」
それぞれ左右から鈴丸と雷馳は撃ち放つ。
しかしこれらを更に軽々と、一反木綿に避けられた。
「む!? あやつ、直接攻撃しか効かんのか!?」
「だったら!」
雷馳の言葉に、一反木綿の背後にいた爛菊が爪を立てて飛びかかる。
だが、これもまたまるでのれんをくぐるかのようにスルリと、通り抜ける形になってしまった。
勢いついて爛菊は転倒しそうになったが、賺さず千晶が片手で彼女を受け止めながら言った。
「呪縛」
もう片方の手を前方に突き出して手の平を握り締める。
直後、それまではためいていた一反木綿の動きが、ピタリと止まった。
「おぉ!? 千晶は呪縛が使えるのかの!?」
「お前……俺を誰だと思っている」
感心する雷馳に、千晶は呆れながら答える。
彼は最低でも三百年以上は生きているし、仮にも人狼族の帝なのだ。
ある程度ここはチートでなければいけない。
一反木綿は必死で抵抗しようとしているのか、全身がプルプルと震えている。
一見する限り、一反木綿には目はあるが、口がない。
なので声を発することもない。
「思いの他、力があるな」
千晶が握り締めた拳を上に向けた形で口走る。
千晶の言葉を聞いて、鈴丸が爪を構えた。
「細切れにしちゃおうか?」
「必要ない。どうせバラバラに刻んでも、雨が降ればその雨水に濡れてまた元に戻る」
「何じゃと!? こやつそんな力を持っておるのか!?」
雷馳は聞くなり驚愕を露わにする。
「ああ、だから爛菊。さっさと今のうちに妖力吸収してしまえ」
「ええ。では一反木綿、お前の妖力全てを、この爛菊が貰い受ける」
爛菊は妖力吸収の一連の動きをして、一反木綿から妖力を奪う。
すると一反木綿は最後の力を振り絞って千晶からの呪縛を解くと、身を守らんとまた全身を捻って先端鋭い槍と化したが、時既に遅く甲高い金属音のような音を立て黒い霧となって消滅した。
「また更に、妖力が上がったねランちゃん」
呼気する爛菊に声をかける鈴丸。
「おかげさまで。でもライちゃん、今回の一反木綿は怖がらなかったわね」
「あんな布っきれごときなら、わしは平気じゃもん」
虚勢を張る雷馳の頭上で、空は紺碧色になり一番星が瞬いていた。