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其の肆拾伍:哀しみが怒りに変わる時



「そこを退けぃっ! でなければ貴様もこの人の女と共に切り刻んでくれるぞ!!」

 般若(はんにゃ)は短刀を持つ手を振りかざしながら喚く。

 その手にあった爛菊(らんぎく)がつけた爪痕は、みるみる塞がっていく。

 やはり爛菊の妖力は、この般若と比べて格段と低いのだ。

 般若は、女心の強烈な嫉妬や恨みなどの負の感情が常軌を逸した際に、誕生する。

 つまりこの皿数えがとても美しく、当時般若が人間であった頃の夫の心が彼女に目移りしたのが原因で、大奥は凄まじいばかりの皿数えへの嫉妬心から般若となったようだ。

挿絵(By みてみん)

 確かに皿数えはこの上ない美人だ。

 彼女の悲愴感までがまるで味方をするように、更に皿数えを憂いの美女として魅せる。

「たかが女中の分際で、上様に色目を使う不届きさ、赦すべからずか!! 故に妾が皿を一枚割ってやったのじゃ。十枚一揃えの貴重な皿をな! そして貴様に罪をなすりつけてやったのよ!」

 勝ち誇った様子で平然と口にする般若の言葉に、皿数えは耳を疑った。

「酷い……っ、私は決して、決して将軍様に色目など使ってはおりませんでしたのに……」

「黙れ! 貴様の存在自体が十分値するのじゃ!! 死罪に追い込んだにも関わらず、こうしてまだ未練がましくこの世に留まるとは不愉快な!!」

「あの時……あの時お皿が全て揃ってさえいれば私は殺されずに済んだのに……――死なずに済んだのに!!」

 癇癪を起こして事の真相を口にした大奥の言葉に、皿数えは涙ながらも怒りを露わにした。

「あんたこそ、死しても尚私に嫌がらせをしてくるなんて、いい加減しつこいのよ!!」

「貴様っ! 女中の身分で妾にその口の聞き方、分をわきまえろ!!」

「死んでまで身分などまっぴらごめんよ!」

 皿数えは叫ぶや、どこからともなく割れた皿の破片を手に、般若の頬へと振り払った。

 傷口から、またもや黒い霧が溢れ出る。

「そ、その破片はもしや……!?」

「十枚目の皿の破片さ。あんたから死罪を受けた直後、この井戸に放り込まれて見つけたのよ。この井戸の底でね!!」

 この二人の(あやかし)の様子を、爛菊達四人は黙って見届ける。

 怒りを露わにした皿数えの妖力は、般若を上回っていた。

 彼女が身にまとう妖気も、青白いものから紫へと変化している。

「傷口が塞がらない……!?」

「あんた自身が割った皿の破片さ。だから自分の邪念のこもった物からの傷は塞がらない。人を呪わば穴二つ。己の卑劣さが我が身に返る痛みはどんな気分!?」

「く……っ! 己……己えぇぇー!!」

 般若は憤怒を剥き出して短刀を持つ手を、皿数えの左胸に叩き込んだ。

 (しば)しの沈黙があったかと思うと、般若はふと剣呑さを覚える。

 顔を上げて彼女を見た般若は慄然(りつぜん)とする。

 そこには、悠然とした様子で薄っすらと微笑む皿数えの顔があった。

 痛痒する気配もない。

「次は私の番ね……」

 胸に短刀が突き刺さったままの姿で、彼女は静かに言うと手にしている皿の破片を持ち上げた。

 般若が危惧した時には既に遅く、気付いてみると左右斜めと腹部横一文字に傷が付いていた。

 みるみるうちにどす黒い霧が溢れ出る。

「もうこのお皿、あなたには必要ないわね」

 ふと爛菊が、古井戸の傍らにあった九枚の皿を手に取る。

 これに皿数えは首肯して言った。

「でもどうせなら、改めて数え直してみましょう」

「ど、どういうつもりじゃ!?」

 皿数えの言葉に、般若は怯む。

「この皿を……あんたに叩きつけたらどうなるんだろうね」

「な、何……!?」

「解かった。みんな、来て!」

 皿数えの含蓄ある言葉に、爛菊は頷くと傍観している千晶(ちあき)達三人を呼び寄せてから、それぞれ二枚ずつ渡す。

 どうしても一枚余るので、それは爛菊が引き受ける。

「端から順に般若へ投げつけて」

 爛菊に言われて、一番端に立っていた雷馳(らいち)が虚勢的に頷く。

「うっ、うむ!」

 皿数えが静かに口を開いた。

「一枚……」

「一枚!」

 雷馳は彼女に続いて数を口にしながら、皿を般若に投げつけた。

「ヒィッ!!」

 自分に皿が当たって砕けると、般若が短く悲鳴を上げる。

「二枚……」

「二枚!」

 同じ動作を雷馳は繰り返す。次は鈴丸(すずまる)の番だ。

「三枚……」

「三枚!」

「四枚……」

「四枚!」

「ギャア!!」

 皿の砕けた破片が般若の体内へ吸収されていく。

 内側から受ける激痛に般若は苦悶する。

「五枚……」

「五枚」

「六枚……」

「六枚」

 今度は千晶が手持ちの皿を投げつけた。

「七枚……」

 後は爛菊が引き継ぐ。

「七枚!」

「八枚……」

「八枚!」

「や、やめろおぉぉ……!!」

「九枚……」

「九枚!」

「どうか妾を許してたもれ……!!」

 しかし誰一人として般若の言葉には耳を貸さず、最後に般若以外の全員が声を揃えて叫んだ。


「十!!」


 同時に皿数えが、般若が当時わざと割った十枚目の皿の破片を、般若の左胸へと力一杯突き立てた。

「ギャアァァァー!!」

 般若の絶叫の中で、皿数えはこの上なく優美な微笑みを浮かべて背後の四人へと振り返ると、言った。

「あな嬉しや……」

「爛菊、今だ!!」

「般若、お前の妖力全てを、この爛菊が貰い受ける!!」

 千晶に呼ばれて、爛菊はそう口走り妖力吸収の構えを取る。

 般若は下半身から上へと黒い霧を渦状に撒き散らしながら、青白い(もや)を発生させ爛菊の吸気と共に口の中へと取り込まれていった。

 やがて彼女が口を閉じると同時に、般若はすっかり雲散霧消していた。

「ふん……許せの言葉を、何度私が口にしたことやら」

 皿数えは竹藪から見える星空を、静かに見上げていた。

「皿数え、君はあの有名なお菊さんなの?」

「私の名は(とよ)と申します。私と同じ境遇の皿数えは、全国で他にもいらっしゃいますから」

 鈴丸の質問に、皿数え――豊はポツリと哀しみを湛えて答える。

「皿数えは一人だけとは限らない」

 千晶が知った口調で言う。

「人狼皇后様。そして皆様、この度は私を苦しみから救ってくださって、心からありがとうございました」

「いいえ、お礼なんて。もうあなたは、この古井戸から開放されるのでしょう?」

「ええ。でも、もう私がこの世に留まる理由はなくなりました」

「じゃあ、この世からの成仏を望んでいるのね」

「はい。どうやらお見受けしたところ人狼皇后様は妖力を吸収するお力をお持ちのご様子。どうぞ私の妖力全てを、お受取りくださいませ」

「分かったわ。それがあなたの――お豊さんの望みなら」

 爛菊の言葉に、豊はゆっくりと頷いて微笑んだ。

 こうして再び、今度は豊へと妖力吸収を行った。

「ありがとう。皆様本当にありがとう……――」

 豊は、金色の粒子となって天へと昇って消え去った。

「さようなら、お豊さん。次に生まれ変わる時はどうかお幸せに――」

 爛菊は星空を仰いで静かに口にした。

「よくやったな雷馳」

「え? わしがか?」

 千晶に言われて、雷馳がキョトンとした表情で彼を見上げた。

「皿数えの、お豊の悲しみに気付いて我々をここへと導いた、お前の成果だ」

「そうか、そうかの」

 千晶に褒められて、雷馳は(くすぐ)ったそうな笑顔を浮かべる。

 夜風がまるで囁くように、周囲の竹の枝を揺らした。





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