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其の肆拾弐:爪と牙



 妖力を分ける代わりに、雷馳(らいち)の全身の垢を食べさせてくれと目覚めた垢舐(あかな)めに頼まれ、とりあえず全身を洗って鈴丸(すずまる)と雷馳が入浴を済ませるから、その後になら浴室に残った汚れ――垢をいくらでも食べて良いとの交換条件で手を打った。

 爛菊(らんぎく)は垢舐めから半分妖力を分けてもらうと、千晶(ちあき)の後に入浴した。

 千晶と同じタイミングで入浴を済ませた鈴丸と雷馳は、冷えた牛乳を飲んだりして入浴後のリラックスをする。

 だが雷馳は、自分のまだ小さくお粗末なモノを爛菊に見られてしまったことに、内心ショックを受けていた。

「ラン殿に見られてしもうた……ラン殿に見られてしもうた……」

 こんな具合に、まるでうわ言のようにボソボソと繰り返している。

「それだけ恥じておいてよくもまぁ、入浴前にあれだけ強気でランちゃんと一緒にお風呂に入るなんて豪語できたね」

 雷馳の様子に鈴丸は呆れ果てながら言うと、手にしていたコップの牛乳をグイと仰ぐ。

 ちなみに千晶は冷えたビールだ。

 しばらくしてから鈴丸が風呂場を覗いてみると、すっかりピカピカに綺麗になっていた。

 ――が、これは垢舐めの舌のおかげで綺麗になったものだと理解すると、気持ち悪いので鈴丸は早々に浴室掃除に取りかかった。

 本当ならば入浴しながら掃除も一緒に済ませるのが鈴丸の習慣だったが、今回は垢舐めの頼みにより掃除の順序が狂った。

 ちなみに垢舐めはというと、すっかり風呂場の垢を食べ尽くして満足したのか、もうその場にはいなくなっていた。

 とりあえず鈴丸が浴室掃除をしている間に、リビングの窓をコンコンとノックする音が聞こえ、ソファーでくつろいでいた千晶が顔を覗かせると垢舐めが立っていた。

 窓を開けると、垢舐めが口を開く。

「そこの坊っちゃんにお礼を」

「だとよ。雷馳、こっちに来い」

 千晶と垢舐めに呼ばれて、雷馳は怪訝な顔をしながら窓越しに垢舐めを前にする。

「とても美味しい食事をありがとうでやんす。ごちそうさまでした」

 垢舐めに丁寧なお礼をされたが、自分の汚れを食事にされて正直あまりいい気分はしない。

「いちいちそんなことを報告せんで良いわ! さっさと帰れ」

「しかし食べた垢の味によっては、その相手のことが解かるんでやんすよ。坊っちゃんは実に純粋な子でやんすね」

 垢舐めは前方に両手を揃えて礼儀正しく立っている。

「自分が純粋であるかなど、わしにはよう分からん」

「そうでやんしたか。ともあれ、お邪魔様でやんした」

 言うと垢舐めは深々と頭を下げた。

「ああ。じゃあな。こちらこそ妖力を分けてくれたことに感謝する」

 こうして千晶と雷馳は垢舐めを見送ってから、窓とカーテンを閉めると改めて再びそれぞれくつろぎ直す。

 雷馳はすっかり綺麗になって、そのまるで女の子のような容姿が更に可愛らしくなった。


 一方爛菊は、どこか自分に異変を感じていた。

 思いがけずに今日一日で二体分の妖力を吸収した。

 舞首と垢舐めだ。

 どちらも下級妖怪ではあったが、数で予想以上の量を得た。

 バスタブにゆっくりと浸りながら、爛菊は自分の手を見つめて開閉を繰り返している。

 その手の爪は、鋭く伸びていたからだ。

 しかもコントロールできるらしく自分の意思で出し入れ可能だ。

 唇にも何かが当たる違和感を覚え、入浴用のコンパクトミラーで口の中を覗きこんでみる。

 そこにはやはり爪と同様、鋭く尖った牙があった。

 運動能力アップに続いて、狼らしい爪と牙が出現。爛菊は確実に人狼へと戻りつつあった。

 とりあえず爪と牙は取り戻したが、狼の耳と尻尾はまだ無理のようだ。

 しかもまだ人間寄りで、とても(あやかし)とまでは言えない程度だった。

 爛菊は入浴を済ませると、ドライヤーで艶やかな黒髪を乾燥させ薄いピンク色の襦袢(じゅばん)――和服用の下着で寝間着としても使用される着流し――を着ると本邸のリビングにいる千晶の元へと向かった。


「爪と牙ができただと?」

「ええ、ほら」

 ソファーに座る千晶に報告すると爛菊は、彼の隣に座って鋭い爪と牙を見せた。

 それを確認するや否や、千晶は(おもむ)ろに彼女の上半身を抱きしめる。

「例えわずかでも、元のお前が俺の皇后として戻ってくれることがどんなに嬉しいか」

「千晶様……」

 自分を抱きしめる彼の反応に、爛菊も彼の背中に両手を回して抱きしめ返す。

「あらあら、ラブラブだねぇ。さすがは夫婦」

 風呂掃除を終えてくつろいでいた鈴丸が揶揄(やゆ)する。

「ラン殿っ! そんな男よりこのわしがいるではないか!!」

 雷馳が嫉妬心を露わにするが、幼い雷獣の子一匹が入り込む隙はなかった。

 人間に生まれ変わった自分の妻に、固執するくらいに千晶の爛菊への愛は強いのだから。

 また爛菊も、人狼に戻ろうという気持ちは強かった。千晶の為に、何よりも自分の為に。

「雷馳はまず大人になってからだね」

 鈴丸に言われて、雷馳はすっかり()ねてしまった。

「わしはもう先に寝るっ!!」

「そうそう。子供は早く寝ないとね」

 一言吐き捨ててから自分の部屋へ向かう雷馳の背後に、鈴丸が愉快そうに声をかけた。

「やかましいっ! わしは子供ではないわ!!」

 廊下の向こうから雷馳の返事が響いた。

「クスクス……まだあんなこと言ってる」

 爛菊は千晶から離れてから、面白そうに口にする。彼女からその幼い全裸を見られたにも関わらず。

 やがて雷馳を先駆けに、三人もそれぞれ寝室へと散らばった。




 爛菊は妖力が上がったからなのか、前世の一部の夢を見た。


「かぁごめかごめ。かーごのなかの鳥は。いついつでやる。夜あけのばんに……」

 少女達が輪になって取り囲む中央でしゃがみこみ、顔を両手で覆い隠している少女が爛菊だ。

「つるつるつっペぇつた。なべのなべのそこぬけ。そこぬいてーたーぁもれ」

 直後、少し爛菊を取り囲んでいる周りがざわつく。

 しかし爛菊はそんなことを気にも留めず、(しば)し思案して名前を告げると同時に顔を上げた。

「おみきちゃん!!」

 勢い良く笑顔で背後を振り返る爛菊。

 だがそこには、長い足があった。

 その足を辿るようにして上へと徐々に顔を上げていくと、眩いまでに美しく輝く金色の長髪を慈姑(くわい)頭――後頭部の高い位置で一つに(まと)めて垂らした髪型――にしたうら若き青年が立っていた。

挿絵(By みてみん)

 悠然とした様子で優雅に立つ姿勢の彼に、爛菊は束の間懐疑心に表情を顰める。

「あなた、誰? 少なくともこの集落の者ではないのは確かよね!?」

「お爛ちゃん!!」

 一緒に遊んでいた少女の一人が大慌てで彼女の名を口走る。

「? 何? どうしたの?」

「あ……この方は……その……」

 爛菊の反応に顔をこわばらせる少女。

「何よ? 一体どうしちゃったのみんな!?」

 すると青年は静かに口を開く。

「どうやら母君殿の葬儀に参列したことをもう忘れたみたいだな」

「はは様の……!?」

 爛菊はその単語に反応して、視線を彷徨わせながら思量する。

「ダメ……思い出せない……だってあの時は爛……はは様を失って悲しみの余り茫然自失になっていたから……」

 ここで痺れを切らした別の少女が抑えた声を荒らげつつ言った。

「親王殿下様よ!!」

 その言葉に爛菊がはたと気付いた時には、周囲にいる者達全てがひざまずき(こうべ)を垂れていた。

 これに見る見るうちに爛菊は顔面蒼白になると、慌てふためきながら彼女も周囲に習ってひざまずこうとする。

 だがそれよりも早く、親王殿下が口走った。

「良い。そのままで構わない。周囲の者達も楽にしろ。俺はこの娘と話したくて来たのだから」

 彼の言葉に周囲は今一度頭を下げてから、ぞろぞろと立ち上がる。

 彼女を取り囲んでいた少女達も散らばっていく中、爛菊は更に顔を蒼くして震えるか細い声で言った。

「あ、あの、爛は……いえ、わたくしは何かご無礼を働いてしまったのでしょうか……?」

 彼女は怯えた目で彼を見上げる。これにきっぱりと親王殿下は応える。

「いや、まったく。ただ、お前があの時見せていた哀愁漂う姿が、(まぶた)の裏から離れなくてな。改めて一言、伝えたくて来ただけだ」

「え……」

 だが彼はいざ言葉にしようとして、戸惑いを露わにする。

「その、何つーか、あー……、母親を亡くした辛さはこの上なく大きく重いものだが……上手く言えないが……笑顔で溢れている方が、きっと亡くなられた母君殿も喜ぶぞ」

 それまで怯えていた表情から、爛菊はキョトンとしたものに変わる。

「わたくし如きにわざわざ、それを(おっしゃ)りにいらっしゃったのですか?」

「ああ。どうにもお前の悲しむ顔が……気になったからな」

 言いながら彼は、頭部を掻く。

「恐れ多くもありがとうございます。わたくしはこの上なく嬉しく思います。親王殿下様」

 爛菊は深々と頭を下げる。

「千晶だ」

「え?」

「俺の名は、雅狼如月千晶(がろうきさらぎちあき)だ。また、その、会うことになるだろうと思うから、名前で呼んでくれても構わない」

「はい、千晶様。わたくしは爛菊と申します」

「爛菊か。良い名だな」

 彼に名前を褒められて、爛菊は嬉しそうに微笑んで見せた……。





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