其の肆拾:表裏一体の感情
「人の女。もしや俺達を殴ったのはお前か?」
「それが何」
中央の首である五郎へ、爛菊は澄ました顔で平然と答える。
「我々を殴るとは生意気な女だ」
右の青白い顔をした又重が威嚇する。
「いがみ合う理由を聞いてどうする」
左の無精髭を生やした小三太が問う。
「少しはあなた達の気が紛れるかと思って」
「かーっかっかっか! 俺らの話を聞いてきたのはお前が初めてだ人間の女!」
冷静な爛菊の言葉に、五郎が豪快に笑った。
「だがただでは教えん」
「そうだ! お前が裸を見せてくれたら考えてやってもいいぞ!」
小三太と又重が五郎に続く。
「そう。だったらもういい。別にそこまでして聞きたいとは思わないし」
「じゃあ何で聞いたんだ!」
抑揚のない口調であっさりと引き下がった爛菊の反応に、小三太がツッコミを入れる。
すると、爛菊が改めて口を開いた。
「内容次第では、あなた達の妖力を吸収してそれぞれがいがみ合う、気力を奪おうと思って。そうしたらいつまでも、ケンカせずに済むでしょう。ケンカするほど仲がいいとも言われるだけあって、あなた達は元々仲が良かったはずだもの」
「う……」
「そう……だったか?」
「まぁ、言われてみると……」
小三太、五郎、又重はそれぞれ確認するように呟く。
「確かに、俺達は祭りの日を一緒に楽しもうと三人で町に繰り出したんだ」
「して、三人一緒に酒を酌みあわしたんだったな」
「しかしへべれけに俺達は酔っ払ってしまい……博打の話で喧嘩になった」
だが確認しあう内になぜ三人がこういう“舞首”の存在になったのか、結局さっきまで言い争っていた内容に戻ってしまった。
「五郎、お前が突然抜刀してこの俺を斬り捨て、おまけに首まで切断したんだ!」
左の小三太が喚く。
「怪力のお前が恐ろしくて俺は逃げたが、追い詰められて対峙したところで、二人もつれあって海に落ちた」
右の又重が怨めしそうな様子で口にする。
「だが結果的にお前が先に俺を一度斬っただろう又重! しかし俺がまた起き上がって追いかけ、崖から一緒に海に落ち水中で互いの首を同時に跳ねたんだ!」
真ん中の五郎はそう言って又重を責め始めた。
「俺はいきなり斬り殺された恨みから首だけになってもお前らを追いかけて、海中で首だけになってしまった五郎に食いついたんだ!」
小三太の主張に、五郎が言い返す。
「しつこく貴様が追いかけてきて俺に食いついたせいで、こうしてそれぞれの頭がくっついて離れなくなったんだぞ!!」
こうしてまたギャイのギャイのと言い争い始めたので、千晶が面倒そうに口を挟んだ。
「分かった分かった! それでお前らはどうしたいんだ!」
「どうしたいとはどういう意味だ」
又重が苛立たしげに千晶へと尋ねた。
「つまり、そのくっついている頭を離ればなれにしたいのか、成仏したいのかだよ」
今度は鈴丸が答える。
雷馳は千晶の背後で息を呑み、黙って様子を窺っている。
「……!!」
これには思わず舞首は一斉に押し黙ってしまった。
三つの首が舞首になってからもう長い長い時の中、ひたすら口喧嘩に明け暮れていたので鈴丸の意見を、考えたことすらなかったのだ。
おそらく、舞首になってからこの三人が無言になったのは、これが初めてのことだろう。
この沈黙の中、さざ波の音だけが響いている。
やがて誰彼となくボソリと呟いた。
「……成仏したい」
「……確かに」
「俺もだ……」
どうやら三つの首の意見が、この度初めて一致した。
「頭を離ればなれにしたとて、また顔を見れば頭を突き合わせて食い争いになり、再度くっついてしまうことは分かっている」
「寝ることも食うこともできずにひたすら言い争い続けてきた。それが我々舞首の運命よ。気力を奪ったとて、また復活してしまうだろう」
「ならばいっそうのこと成仏した方がまだマシだ」
これに両腕を組んでいた千晶が、大きく首肯した。
「よし。決まりだな。爛菊、こいつらの妖力を全吸収しろ」
「妖力を吸収するとな? それはどういう意味じゃ?」
背後で尋ねてきた雷馳に、千晶はピシャリと口にする。
「話は後だ。今はこっちが最優先だからお前は黙っていろ雷馳」
「むぅ……」
千晶の言葉に、状況が状況だけに雷馳は渋々と押し黙った。
「成仏したら、もう舞首にならずに済むからまた三人仲良く、お酒でも飲みなよね」
鈴丸に言われて、三つの首は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「では舞首よ。あなた達の妖力全てを、この爛菊が貰い受ける」
爛菊は人差し指と小指を立てると、額に当て紫色に輝く一文字を浮かび上がらせる。
彼女が静かにゆっくりと吸気すると青白いモヤが舞首から放出され、爛菊の口の中へと吸収されていく。
同時に舞首の姿も薄れていき、やがてそのまま完全に消えてなくなった。
彼らの最後は、皆笑顔だった……。
爛菊は舞首の妖力を飲み込むと、フゥと一息吐く。
この様子を目の前にしていた雷馳は、仰天した。
「ラン殿は妖力を吸収する力があるのかの!? ――あ、もうしゃべっても良いか?」
咄嗟に口にしてから、改めて千晶に尋ねる。
「ああ」
千晶の返事を確認すると、答えを仰ぐように爛菊へと雷馳は顔を向ける。
これにふと爛菊は微笑む。
「爛は本来は人狼。だけど何者かに殺されて人間に生まれ変わってしまった。だから、再度人狼に戻る為、妖力を集めているの」
「人間に生まれ変わったのに、妖力を吸収する力があるのかの?」
「いいえ。この力は千年妖怪の神鹿から授かったもの。だから人狼に戻れたら、この力は返さなければならない」
「そうじゃったのか……苦労しておったのじゃな、ラン殿は」
雷馳の何気ない言葉に、爛菊は再び口を開く。
「ただの人間だった時期と比べればまだずっとマシかな」
「どうしてじゃ?」
「だってずっと孤独だったから。今は、千晶様とスズちゃんがいる。そしてライちゃんもね」
「ふむ。わしもじゃ!」
“孤独”という言葉に共感して、雷馳も自分のことのように言って満面の笑顔を見せた。
「そういうことなら尚更わしはラン殿から離れるわけにはいかんのぅ。純粋な妖としてまだ人間のままであるラン殿を守らねばの。千晶と鈴丸の二人だけでは頼りなかろうし」
すると賺さず鈴丸が言い返した。
「お前、今しがた真っ先に逃げたじゃない」
「舞首がいる間中、ずっと俺の後ろにも隠れていたしな。よっぽどお前の方が頼りないだろう」
千晶も一緒になってそう口にする。
「なっ、何を言うか! 英雄たる者はいざと言う時に本領発揮するものじゃ!」
「確かに、あの逃げ足の速さは見事に本領発揮されてたね」
鈴丸が愉快そうにクスクス笑う。
これに顔を真っ赤にして言い返そうとした雷馳の水色の髪をした頭を、ふと爛菊が優しく撫でた。
「爛は、頼りにしてるよ。ライちゃん」
「う、うむっ!!」
今度は喜びの意味で雷馳は顔を紅潮させてから、爛菊へと向かって力強く頷いた。