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其の肆:人狼の帝の下働き



 こうして僅かながら実は自分も妖であったという前世の記憶を取り戻した爛菊(らんぎく)は、息苦しくそして旦那である老人に操を捧げなければならなかった嶺照院(れいしょういん)から学校の担任教師、雅狼千晶――本名を雅狼如月千晶(がろうきさらぎちあき)――から助け出され彼の家に身を置くことになった。

 彼の家は人間界では独身という立場でありながら二世帯住宅だった。

 理由は人間界にいても人狼の帝というのもあり、頃合いが良く敷地の広い家に居を構えたかったからだ。

 その家の造りは真四角の白い大きめな大理石が、タイル状に敷き詰められた広めの玄関。

 正面の広い壁には近代的な大きな絵画が飾られている。

 部屋は両軒併せて十五部屋。それにトイレが三つ。バスルームが二つ。DLKとDLでキッチンも二つだ。

 よってメインハウスを千晶が、離れの家には爛菊が住まうことになった。

 離れといっても、一本の廊下で繋がっているのでわざわざ外から出入りする必要もない。

 二世帯住宅と言えど玄関は二つあっても、一つ屋根の下だ。

 今爛菊が横たわっているベッドがある部屋もその離れの家だった。

 しばらく気持ちを落ち着かせる為にも、千晶が部屋を退出した後で再度爛菊はベッドに体を横たえていたが、そのかいあってか彼女にしては珍しく高ぶっていた感情も静まってきた。

 サイドテーブルにある置き時計を見ると、十八時を回っていた。

 嶺照院の家にいる時は十七時には夕食だ。

 思い出してから意識してみると、何だかお腹が空いてきた気がする。

 しかし、勝手に動きまわって良いのかも分からず、戸惑いつつもサイドテーブルの時計の横にあるベルを手に取って、おそるおそる振ってみた。

 軽やかな音色が周囲に響き渡る。

 嶺照院の家にいる時は、使用人を呼び出すのは爛菊の場合、内線電話だった。

 それだけ屋敷が莫大に広かったからだ。

 なのでこのベルの音だけで遠くにいる誰か――千晶だろうか――に伝わるのだろうかと不安を覚える。

 もっとも人狼の妖なので耳はいいのかも知れない。

 するとしばらくしてから、爛菊のいる部屋のドアがノックされた。

 だがその音がドアの随分下の位置から聞こえた気がする。

 とりあえずノックには変わりないので、爛菊はおずおずと返事をする。

「……はい」

 それに答えてドアが静かに開けられる。

 しかし誰も入ってこない。

「……?」

 不思議そうに小首を傾げる爛菊だったが、ふと気付くとドアの前に一匹の三毛猫が座っていた。

「猫……」

 小さく呟く爛菊。

 人狼の帝だという千晶が猫を飼っているのか。

 まさか非常食ではないだろうことを祈らずにはいられない。

「ニャ~ン」

 一声鳴いて三毛猫は腰を上げると、ゆるりと室内に入ってきた。

 そして爛菊が上半身を起こしているベッドの側まで歩み寄ってきたかと思うと、ヒョイと二本足で立ち上がりジャンプすると勢い良く身を捻った。

 すると一瞬にしてその猫を軸に小さな旋風が起こったが、爛菊の艶やかな長い黒髪を大きくなびかせるには充分だった。

 爛菊は腕を上げて目元にかざしながら、旋風が起こっている場所を注視する。

 そこに現れたのは、茶髪をナチュラルショートにした一人の可愛らしい顔立ちをした、若い男だった。

 爛菊は無意識に口にする。

「猫の……妖怪……!?」

 するとその男は満面の笑みで答えた。

「そ。化け猫族の長の息子の、猫俣景虎鈴丸ねこまたかげとらすずまる。まぁ、なんだかんだとあって只今この千晶の家で居候中~」

 飛び抜けて明るい性格らしくこの軽い口調に、爛菊は無言のまま目を瞬かせる。

挿絵(By みてみん)

 すると彼の後ろから聞き覚えのある声がした。

「居候じゃない。こいつは俺が拾ったこの家の下働きだ」

「下……働き……」

 鈴丸の背後から姿を現した千晶の言葉に、更に呆然としながら爛菊は小さく呟く。

「君が昨夜アキが話していた前后の生まれ変わりという爛菊妃かぁ~。どうぞ以後お見知りおきを」

 そうして胸に片手を当てて一礼して見せる鈴丸の、三毛猫模様の猫耳と二本の尻尾が好奇心旺盛にピクピクと動き回っている。

「え……前后の、生まれ変わり……?」

 鈴丸の言葉に驚きを露わにする爛菊へ、スッと顔を正面に戻した彼が再び口を開く。

「あれれ? 聞いてなかったの?」

 真っ直ぐに爛菊を見据える鈴丸の両目は金と青のオッドアイだった。

「自己紹介はもうその辺でいいだろう鈴丸。お茶の用意をしろ」

「かしこかしこ~」

 千晶の言葉を受け取ると鈴丸は身軽な動きに、まるで風の中をたなびくような動作で部屋を後にした。

「あの、千晶様。今しがたあの方はこの爛のことを前后と……」

「ああ、そうだ爛菊。詳しくはリビングに行って話そう。おいで」

「ええ……」

 自分へと伸ばされた千晶の手へ、そろりと手を伸ばす爛菊。

 これを受け取るように掴んだ彼の握力に、爛菊はドキリと胸が高鳴った。

 例え十歳の歳の差があっても若い男の部類に入る千晶の、生まれて初めての触れ合いと僅かな記憶ばかりと言えど思い出された彼への恋心に、爛菊は十七歳にして初めてのときめきを覚えるのだった。

 

 メインハウスにあるダイニングリビング。

 ここのソファーに腰を下ろし、テーブルを挟んで向かいに座る千晶を前に爛菊は、鈴丸が用意したお茶を一口啜る。

「爛菊。お前が前世で俺の妻である人狼皇后として死んでから、二百年になる」

「二百年……」

「人狼皇后、雅狼朝霧爛菊がろうあさぎりらんぎく。それがお前の正体だ」

「雅狼朝霧爛菊……」

 さっきから爛菊は呟くように、千晶が言い放つ言葉の単語を繰り返すしかできずにいた。

「そして俺は三百二十七年生きていて、お前が死んで二百年ずっと爛菊、お前の魂を探していた。その生まれ変わりが今のお前だった。まさか人間に生まれ変わるとは予想外だったが、よって元々お前は俺の女と言うわけだ」

「千晶様の女……」

 改めて呟いて爛菊は頬を紅潮させると、恥ずかしそうに俯く。

「でもさぁ、今回こうして人間に生まれ変わって、前世と同じ名前だなんてどういう偶然だろう」

 ダイニングテーブルの椅子に座って千晶と爛菊の様子をそれまで傍観していた鈴丸が、あっけらかんと述べた。

「……同じこと、爛も思った」

 小さな声で囁くように口にする爛菊。

「確かに不思議ではあるが、魂も外見もそっくりそのまま爛菊そのものに変わりないことと関係があるのかもな」

 千晶もふむと思考を巡らせながら、片手を顎に添える。

「どっちにしろさぁ、今のままですぐに人狼皇后として妖怪の世界に戻ることは不可能だよね。足を踏み入れたら刹那、たちまち骨も残らず喰い殺されるのがオチだもん」

 平然と述べる鈴丸に、千晶もさも当然と首肯する。

「ではこの人間界で爛菊の人狼覚醒探しをスタートさせるしかないな」

 会話の頃合いを見計らってから、鈴丸が話を切り替える。

「とりあえず僕は夕食の準備に取り掛かるよ。ランちゃんは何がいい?」

 これには千晶の形の良い眉尻が上がる。

「おい鈴丸! 図々しく人の妻の名を気安い呼び方にするな下働きの分際で!」

 鈴丸に厳しい口調を向ける千晶を、半ば宥めるようにして爛菊なりに呟く程度の声の大きさで言葉を挟む。

「爛は別に構わない」

 思わず自分の耳を疑ったのか千晶は、鈴丸に向けていた顔を爛菊へと戻しつつ二度見する頃には、驚愕なものへと変わっていた。

 しかしそんな千晶を他所に鈴丸は喜びを露わにする。

「僕のことはスズちゃんって呼んでいいよ!」

「スズ――ちゃん……」

 鈴丸の軽い調子に、少し躊躇いながらも小さく口にする爛菊だった。




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