其の参拾玖:三つ巴の渦
海に到着した四人は、浜辺を散策することにした。
「わぁ! 水じゃ水じゃ! しかもとんでもなく大量の水じゃ! 凄い、凄いのぉ!!」
海を目の前にしてまさに子供らしく大はしゃぎする雷馳を、鈴丸が誘った。
「砂浜の方に行こうか雷馳。靴を脱いで裸足になりな」
「うむ!」
雷馳は鈴丸に促されて、無邪気に靴を脱ぎ捨てる。
直接砂に素足で踏み込んだ感触に、更に雷馳は大はしゃぎした。
足元で砂が乾いた音を立て、雷馳のかかとを包み込む。
「おお! 何だかサクサクしておるのぉ!」
「そんなので満足するなよ。波打ち際だと、もっと驚くから」
先にいる鈴丸が雷馳を招くように立っている。
彼の元へと砂を蹴って駆け出した雷馳を確認して、鈴丸も先へと歩き出す。
サンサンと注ぐ太陽の光に磨き上げられたように輝く海。
砂浜の表面を僅かに削るように吹く潮風に、思わず心地よさを覚えた爛菊が大きく深呼吸する。
「素敵ね。海って。こんなに広いとは思いもしなかった」
「気に入ってもらえたか」
「ええ。心が豊かになる」
腰まで長い艶やかな黒髪が風になびく中、爛菊は髪を右耳にかけながら真っ直ぐ眼前に広がる大海原を眺めたまま、隣に立つ千晶へと言葉を返す。
彼女の視界には、波打ち際で大はしゃぎしている鈴丸と雷馳の姿も映り込んでいた。
「ひゃあー! 冷たいのぉ! なぁ鈴丸、この海の水は飲めるのかの?」
素足を浅瀬に浸しながら雷馳は尋ねる。
「飲んでみたいの?」
「うむ! 飲みたい!」
「じゃあ飲んでみなよ。おいしいから」
鈴丸がさりげなくまだ何も知らない雷馳へと、悪戯心をけしかける。
「わぁ……!」
雷馳は両手で海水をすくい上げると、何も疑うことなく一気に口へ含んだ。
直後、当然ながら予測通りの反応が返ってくると同時に、ビビビと微かな電流を放った。
「ぶわはぁーっ!! うぇっ、ペッペッ!! しょっぱぁーっ! これは塩水ではないか鈴丸! お主の種族はこんな水を喜んで飲むのかの!? わしには到底無理じゃわい!!」
「飲むわけないじゃない。でも舌で海がどんなものか更に味わうことができただろう?」
雷馳の予想外の驚きから思わず海水を伝った電流に、鈴丸は気付きながらも最早これくらい微弱ならもう慣れた様子で平然と受け流す。
「何たることじゃ。これ程の莫大な水の量だと言うのに塩水じゃとは、これでは何の役にも立たんわ」
「魚達はこの塩水の中で生きてるんだよ。だからあれだけ美味しくなるんだ」
「む!? この塩水の中に生き物がおるのか!? わしはてっきり今まで魚は全て真水で生きておるのかと思うておったが……」
「ま、今後いろいろ教えてあげるよ」
一方、爛菊は視界の端でこうした二人を捉えつつも、一見果てしなく広がる海の境界線の方へと目を向けていた。
「まるで空が海に溶け込んだみたい」
陳腐な言葉ではあったが、それが爛菊の率直な感想だった。
千晶も別段気にすることもなく、相槌を打つ。
「ああ、そうだな」
その時、爛菊は海のある一箇所を凝視した。
「あら? 手前の方……何だか渦を巻き始めたけれどあれは何?」
「渦?」
爛菊の反応に、千晶も彼女が向けている視線の先へと目を向ける。
直後。
「これは――妖気!?」
「ああ、妖気だな。おいそこの二人! 何か来るぞ! 海から上がれ!」
「うん、僕にも感じた!」
「わわわ、わしもじゃーっ!!」
先に急いで浜へと上がる鈴丸よりも早く、雷馳は猛然と爛菊達二人の方へと走っていく。
「あれだけの怖がりで、よくも大百足と対峙できたものだね……」
自分を追い抜かして逃げ出す雷馳の様子に、鈴丸は半ば呆れる。
やがて海の渦から姿を現したのは、三つの生首がくっつきあって宙に浮いている妖怪だった。
「あれは……舞首か」
「舞首?」
千晶の言葉に、爛菊はオウム返しする。
「ああ。直接的な害はない妖だが……やっかいではあるな」
「どうして?」
小首を傾げる爛菊に、千晶は嘆息混じりで答えた。
「醜い上に騒々しくなるからだ」
巴模様の渦の上で、三つの首は横一列にくっつきあいながら何やら喚いている。
どうやら三つの首は皆男のようで、髷を落として左右に乱れたざんばら髪をしていた。
よくよく耳を傾けてみると、どうも口論しているらしい。
「くっ、首が三つともくっつきあっておる! 気味悪いのぅ……!!」
こういう時だけ、四人の中で最も力のある千晶の後ろに隠れながら、覗き見る雷馳。
「あれ、舞首じゃないか。もう、せっかく楽しんでたのにうるさいの来たなぁ……」
鈴丸は呆れながら歩いて爛菊達の元に戻ってくる。
どうやら四人もの妖気――爛菊は微々たるものではあるが――に感化されてこの場に舞首は出現したようだ。
妖とは、妖気が集う、もしくは強い場所に寄ってくる習性があるからだ。
舞首は互いそれぞれが罵り合っており、それに夢中になっているせいか自然と爛菊達の方へと吸い寄せられるかのように、近付いていることに気付いてもいない。
「あの時はよくも俺を斬り捨ててくれたな五郎!」
左の無精髭をした首が喚く。
「貴様が俺を馬鹿にしたからだろう小三太!」
真ん中の厳つい顔の首が言い返す。
「赦さん! 赦さんぞ貴様ら!!」
右の青白い顔をした首は言うと、口から火炎を吹いた。
「わっ! あっぶな!!」
火炎の先が鈴丸に触れそうになり、咄嗟に彼は身を屈める。
「そうだ! 危ないだろう又重! 貴様とて俺の首をよくも落としやがって!」
真ん中の“五郎”とやらの首が無意識に鈴丸が言い放った言葉に反応しつつ、喚きながら同じく火炎を吹く。
「言ってる側から自分まで火を吹くなよ」
「おい鈴丸。相手にするな。厄介なことになるぞ。とりあえずこいつらから離れよう」
ぼやく鈴丸に、千晶が小声で止めに入ると、爛菊達三人と一緒に場所を移動する。
――が、それと同様に舞首も無意識に付いて来る。
相変わらずギャーギャー言い争っている舞首に、次第に千晶のイライラが募ってきた。
「――いい加減に……っ!」
千晶が振り返ったと同時に、三つの鈍い音が耳に飛び込んできた。
ガッ! ゴッ! ドッ!
すると宙に浮いていたはずの舞首が、砂浜の上で頭にコブを作って引っ繰り返っていた。
その前には、握り拳を作っている爛菊の姿があった。
「……うるさい」
氷のように冷ややかな口調で、ボソリと彼女は無表情に呟く。
「うぅ……この気配は人間だが……」
「馬鹿言え。ただの人間が俺らを殴りつけられるものか……」
「いたたた……それにしても重くて衝撃の強い拳だった……」
舞首の三人はそれぞれ呻き合いながら、のそりと頭を持ち上げる。
爛菊は前回の大百足から得た妖力から、運動能力が普通の人間より上がっていた。
つまり力も相応に強くなったと言うことだが。
「爛達に付いて来るのなら、その言い争いの原因を説明して」
爛菊がこれら舞首を相手に進み出たからには、彼らの妖力を吸収する気満々なのだと千晶は察する。
「何だお前ら。我々の間に口を挟むからには相応の覚悟はあるのだろうな!?」
左の首である“小三太”が血走った眼で爛菊を凄む。
これに平然とした様子で爛菊は答えた。
「先に爛達がここにいたところに、あなた達が後から登場した。そして付いて来ている」
「うん? 言い争いに夢中になりすぎて気付かなんだ」
右の青白い首である“又重”が彼女の言葉に、目を瞬かせた。