其の参拾柒:初めて見る人の世
「この“鉄の箱”が“じどーしゃ”とか言うのかのぉ?」
昨夜車庫で目覚めた時は警戒心などでよく確認しなかったが、改めてこうして明るい時間帯に目にした自動車に、雷馳はしみじみと見回す。
「そうだよ。雷馳ってもしかして人間界に来たことないの?」
七十年も生きている割には世の中のことに無知すぎる雷馳に、鈴丸が尋ねる。これに雷馳は頷く。
「ああ。わしは雷獣族圏内から出たことはない」
「じゃあ飴玉を買いに外界に降りてきたわけじゃなかったのか」
今度は千晶からの質問に、再度雷馳は首肯する。
「うむ。雷獣族国内にある駄菓子屋に行こうとしたら、雷がわいて稲妻に乗った方が速いから丁度いいと乗ったら、そのまま気持ちが高ぶってしもうて気が向くままに稲妻乗りして遊んでいると、稲光と共に大百足がわしの前に出現して襲われたのじゃ」
雷獣は普段はおとなしいが、雷が起こると体内充電がてら稲妻乗りを楽しむ性質があるのだ。
「大百足は目についたものには何でも喰い付くからな。龍と蛇の天敵なくらいだ。とりあえずさっさと車に乗れ」
雷馳の答えに納得してから千晶は、改めて乗車を促す。
しかし彼の言葉に雷馳は、キョロキョロと車を見回した。
「乗れと言われても、入り口はどこじゃ」
「ドアがついていてね、こうやって開けるんだよ」
鈴丸が後部座席のドアを何回か開け閉めして見せる。
これに千晶は溜息を吐く。
「いちいち一つ一つ丁寧に教えていたら日が暮れそうだな……」
「ふむふむ……このようにして……おお! わしにも開けれたぞ!」
雷馳は自動車のドアを自分で開けれたことに、無邪気にはしゃいで嬉々とする。
「はいはい、分かったら中に乗って」
ちなみに爛菊は既に助手席に乗り込んでいる。
鈴丸に促されて、雷馳は半ばこわごわと中へと乗り込む。
だが初めて味わう高級感溢れるシートの心地よさに、すぐに馴染んだようだった。
その後に続こうと鈴丸がドアの窓側に触れると、バチッと小さな電流が走った。
「いたっ!」
同時に千晶も運転席のドアを開けようとして鈴丸同様、小さな電流を受ける。
「っ!」
「おお、すまん。初めての物に触れるのに意気込んだせいで、無意識に静電気を放ったやも知れん」
車内で雷馳が鈴丸に声をかける。
「僕、痛いの嫌いだからもう静電気収めといてよね」
「うむ」
注意されたにも関わらず、雷馳は偉そうに腕を組んで頷く。
「じゃ、出発するぞ」
千晶は何事もなかったかのように運転席に乗り込みドアを閉めると、徐ろにエンジンをかけた。途端。
「ギャアアァァーッッ!!」
ビリビリビリッ!!
「うわああぁぁっ!!」
「!?」
「今度は何だ!!」
雷馳と鈴丸の叫び声に驚く爛菊と、怒りを露わにする千晶。
「ここここっ、この“じどーしゃ”がわしらを呑み込んで怒り狂うておるっっ!!」
雷馳は顔面蒼白で鈴丸の腕にしがみついている。
「それがこの車の作用なんだよ! エンジンと言って人の手で作動させてこの車を走らせる為の機械――えーっと、仕掛けみたいなものが立てている音だよっ! それより人に飛びついて電流放つのやめてくれない!? 超しびれたし痛いしっ! 今度やったら怒るからな!!」
最早、もう怒っている気がするが、鈴丸は雷馳に説明がてら怒鳴り込んだ。
「驚いた拍子につい電流を……ま、わしの力を直に受けられたことを光栄に思え鈴丸」
「思うかっ! 電流受けた直後なだけあって何かイラッとくる」
「とにかく行くぞ」
嘆息まじりで言いながら千晶は、車のギアを入れて発進した。
「凄いのぉ、牛なしで動く車とは。人間は無力ではあるがバカではないのじゃな。雷獣族の国にはこんなものはないぞ」
「猫又族にもないよ。と言うより根本的に妖怪の国にはどこにもこんな自動車なんて走ってないよ」
「え、そうなの?」
鈴丸の言葉に、意外な反応を見せたのは助手席に座る爛菊だった。
「うん。基本的に妖怪って人間より運動能力が高いから、自動車とか不必要な種族がほとんどなんだ」
「ふぅん……」
鈴丸の返事に、爛菊は納得したらしく一言ではあるがしみじみと首肯した後、思い出したように改めて口を開いた。
「とりあえずデパートに行こう」
「デパート?」
爛菊の唐突な提案に、千晶が眉宇を寄せる。
「ライちゃん……この古い甚平姿のままでは可哀相だから、一通り服を揃える」
確かに、彼女の言う通り雷馳は袖のない薄汚れた、茶色い布地の甚平姿をしている。
「そうだな。こんな小汚い格好で外へ連れ回すのも、第三者からの俺達の印象も悪くなるだろうしな」
「いちいちトゲがある言い方じゃのぅ、千晶は」
「お前に言われたくない」
千晶は無愛想に雷馳へ言い返すと、車のハンドルを切った。
こうしてデパートへ向かい、到着して四人は中へと入ると。
「わぁ……」
思わず雷馳の口から感嘆の息が漏れた。
十階建てに地下フロア二階のこのデパートは、一階から三回までが吹き抜けの造りになっており、その左右には上下のエスカレーター、中央には人々がくつろげる憩いの場。
中心には細い水路が三階から流れており、その先には噴水がある。
それらを取り囲む形でLEDの電飾が色とりどりと瞬いている。
これらを更にグルリと取り囲むようにコスメ店やアクセサリー、靴屋などのテナントが設けられていて、照明はまるで一種のシャンデリアになっておりきらびやかで眩い。
デパートの風景に魅了されて雷馳は、口を開けたまま目をキラキラと輝かせて周囲を見渡す。
軽快に奏でるBGMや人々の騒音。
だが決して不快ではなく、自然と受け入れることができる。
「まるで都のようじゃ……いや、それよりも何倍もこっちの方が綺麗じゃのぅ……」
ほぅと、うっとりとした吐息を漏らす雷馳に、爛菊も同意する。
「そうでしょう? これが世の中なんだと、爛も最近まで知らなかった。千晶様とスズちゃんが教えてくれた。外の世界。だから、爛もライちゃんのその気持ち、すごく解かる」
「僕は人間で言うと約三世代分はこの人間界で生きてるから、ランちゃんや雷馳のそういった感覚、逆に新鮮だよ」
鈴丸は声を弾ませながらもしみじみと口にする。
彼は猫又族長の血を引く妖猫ではあるが、生まれは人間界なのだ。
また確かに、鈴丸はざっと軽く見積もってみてもだいたい、明治時代生まれだ。
ちなみに千晶は江戸時代なのだが。
「さぁ、ライちゃんの服や下着とか、買いに行こう。えっと確か、子供服売り場は三階だったかな」
爛菊はこの場に不釣り合いな姿の雷馳にも関わらず、構わず手をつなぐと上りのエスカレーターに向かった。
「コーディネートは僕に任せてよ!」
鈴丸も言いながら足取り軽く二人の隣に並ぶ。
「やれやれ。まだ世継ぎも産まないうちから子育てか……」
千晶は小さな声で一人ぼやきながら、三人の後ろから付いて行った。
だがその前に、雷馳のここに来てから最大の難所に差し掛かる羽目になる。
「ギャアアァァーッ! かっ、階段が勝手に動いておるうぅーっっ!!」
バリバリバリッ!!
「いったぁーっ! 放電する時だけ僕に飛びつくのはやめてよバカ雷馳!!」