其の参拾陸:賑やかな朝食
ソファーでまだ眠っている鈴丸をそのままに、爛菊は朝食作りを始めた。
雷馳は未だ目覚めぬこの猫又に、半ば怯えてダイニングテーブルの椅子に腰を掛け、適度な距離を保ったまま落ち着きなく、ソワソワしながら鈴丸の様子を窺っている。
千晶はリビングのソファーでお茶を啜りながら、徐ろにテレビの電源を入れた。
これにビクゥッ!! と驚いて飛び上がる雷馳。
「なっ! 何じゃいその箱は!?」
「お前、テレビも知らないのか? これは送られてくる電波信号で映像を観る人間界の家電だ」
「シンゴウ? カデン……!? 人間は摩訶不思議な道具をよくぞ作れるのぅ……」
千晶の説明に、雷馳は小首を傾げながら呟く。
テレビは朝の報道番組を放送していて、昨日の嵐による被害や影響についてを大きく取り上げている。
すると少しずつ騒がしくなった周囲と、キッチンから漂ってくる料理の匂いに、鈴丸の猫耳と二又尻尾が忙しなく動き始めた。
これに気付いて更に雷馳が警戒を露わにする中、薄っすらと鈴丸の金と青のオッドアイをした両目が開いた。
「ん……何、朝……?」
「ああ、起きたか鈴丸。調子はどうだ」
「うん……少しまだ気怠いけど、昨日よりかだいぶマシ……」
千晶からの問いかけに答えてから、上半身を起こすとあくびと共に腕を上げて大きく伸びをした。
「いい匂いで目が覚めちゃった。もしかしてランちゃんが朝食作ってくれてるの?」
「ああ。お前はまだ少し安静にしていろ。ああ、そうだ。お前が大百足から受けた毒を抜いた時に、和泉からこいつを貰った。何でも琥珀を粉末にしたものらしい。これを飲めだそうだ」
リビングテーブルに置いていた小瓶を手にすると、千晶は人差し指と親指で持ってから鈴丸へと見せる。
「どんな効果があるの……」
鈴丸は眠気眼で尋ねる。
いつもは朝からでも構わずテンションが高い鈴丸だが、やはりだるさが残っているせいか今朝は妙に静かで落ち着いている。
「何でも毒の耐性をアップさせるものらしい」
「そう……じゃあ、水を持ってくるよ」
鈴丸は言いながらゆっくりと立ち上がると、キッチンへ向かおうとしてその間にあるダイニングテーブルに、水色の髪をした見知らぬ児童が慄然とした様子で、自分をその青紫色の大きな双眸で凝視している存在に気付いた。
「……何この子?」
足を止めて、振り返ることなく背後の千晶に尋ねる。
「大百足とやりあっていた雷獣だ」
「へぇ、まだこんな子供だったんだね」
すると必死に雷馳が抗議した。
「わわわわっ、わしは子供ではない!!」
これにまだどこかぼんやりした様子で、鈴丸が静かに口にする。
「え……じゃあ今何歳?」
すると少しだけ虚勢的に雷馳は答えた。
「七十歳じゃ」
暫しの沈黙の後、ボソリと言う鈴丸。
「……子供じゃん」
この言葉に雷馳は咄嗟に口答えする。
「ちっ、違わいっ! ボケ!!」
自分をけなされて普通なら言い返すところだが、やはりまだ気力がわかずに憔悴しているせいか鈴丸は、薄っすらと口元に笑みを浮かべるに留まった。
「気が強いね坊や。でも僕が知っている雷獣は五百年生きていて獣姿になると、坊やより四倍か五倍は大きかったよ。鋭い目つきに鋭い牙がぎっしり並んでて更に鋭い鉤爪も持っていて、長い緋色の髪を振り乱してさ。凄く迫力があった」
「む……そりゃ五百年も生きておれば、わしとてそうなるわいっ!」
「そうだね。でも凄いね。坊やはあんな小さい体で大百足に立ち向かっていたんだから」
鈴丸の言葉に、更に雷馳は必死に虚勢を張る。
「ふ、ふんっ! 当然じゃわい! わしには怖いものなど何もないからの!」
すると二人の様子を見ていた千晶が徐ろに言葉を投げかけた。
「その割にはお前、鈴丸の存在に怯えていただろうが」
これに雷馳は慌てふためく。
「べべべべっ、別に怯えてなぞおらんぞっ!!」
「……すっごい動揺丸出し。おもしろいね坊や。僕は猫又族族長の息子の、猫俣景虎鈴丸。百十七歳。坊やの名前は?」
「わっ、わしは……雷馳じゃ」
「ふぅん、雷馳か。でも一つ名?」
お互いに自己紹介をした二人は、ふと鈴丸が疑問を口にすると、それに千晶が答えた。
「ああ、そいつは元々名無しの下賤孤児だ。昨日、爛菊がその名を与えた。だから苗字もない」
鈴丸は理解すると、忖度する。
「そっかぁー。じゃあ今まで寂しかったでしょ?」
「そっ、そんなことないわぃ! 鈴丸とやら、このわしに出会えたことを光栄に思うが良いぞ!」
どうやら鈴丸は自分に害がないと分かるや否や、雷馳は少しずつ高慢な態度を露わにした。
「……気位が高いんだね雷馳は。もしかしてここに住むの?」
「ああ。爛菊の希望でな」
鈴丸の質問に、千晶が答える。
「そうなんだ。じゃあ改めて今後ともよろしく」
「うっ、うむ!」
両腕を組んで頷く雷馳に、鈴丸は笑顔を見せると会話を終了させて改めて、爛菊のいるキッチンへと水を汲みに向かった。
キッチンで朝食は食べれそうなのかを爛菊に問われ、鈴丸は頷いて礼を述べてからグラスに水を入れて、リビングに戻って来た。
千晶から琥珀の粉末が入っている小瓶を受け取ると、栓を抜いてこれを口の中に流し込んでから水を含んで嚥下する。
「うーん、苦味と甘味が混ざった変な味」
「まぁ、元は樹液だからな」
そうこうしているうちに、爛菊お手製の朝食が食卓に並んだ。
厚切りベーコンとウィンナー、玉子焼き、銀だらみりん焼き、鶏つくねに冷奴、キャベツと油揚げとしめじの味噌汁と白ご飯というメニューだった。
「なっ、何と豪勢で美味そうな朝飯じゃ!!」
「そう? これくらい、普通。唯一、人狼の千晶様と猫又のスズちゃんそれぞれの好みを考えながら作った点が、大変だったくらい」
驚愕を露わにする雷馳に、爛菊はサラリと答える。
「しかし豆腐や味噌汁の具材は野菜寄りじゃぞ?」
「栄養バランスも大事」
「なるほどのぅ。ラン殿、将来良い嫁になるぞ。旦那になる男が羨ましいわぃ」
明らかに千晶の立場を無視した雷馳の言い草に、席に着いた千晶が恫喝気味に口にする。
「朝から殴られたいのか小僧」
「小僧と呼ぶのも大概にせい! わしにはラン殿からもろうた立派な名があるわい!!」
「そうだったな雷馳」
「とりあえず冷めないうちに早く食べようよ。いただきまぁ~す!」
朝食を前にしてから急に元気になって両手を合わせた鈴丸に続いて、皆もそれぞれ声に出すと食事を開始した。
猛然と食べ始めた雷馳を隣に、鈴丸が斜向かいにいる千晶に尋ねる。
「ねぇねぇ、今日学校休んでいい? 何かまだかったるくてさ」
「ああ、構わないがお前につられて俺まで、今日仕事に行くのが面倒になってくるな。俺も今日はさぼるとするか」
「そんなに僕が恋しいの? アキ」
そう言ってくる鈴丸をあっさりと無視して、千晶は爛菊にも述べた。
「爛菊も今日は紅葉に頼んで学校を休め。人間界のことをまだよく分かっていない雷馳を連れて、みんなで今日はドライブだ」
途端に鈴丸が張り切る。
「え!? 僕も連れてってくれるの!? ヤッタ! やっぱりアキは僕のこと愛してるんだね!」
「お前は雷馳の子守役だ」
するとふと箸を止めて雷馳が尋ねる。
「ガッコ? トライプ? 何じゃいその訳分からん単語は」
「……説明してやれ鈴丸」
千晶は面倒そうに彼に言葉を投げかけるとベーコンにかじりつく。
鈴丸は銀だらを摘みながら、雷馳へ説明を始めた。
「学校っていうのはまだ未成年の子達が勉強して物事を学習する施設……建物のことで、ドライブってのは車で出かけることを……」
「車!? 牛車に乗れるのかの!?」
「いや、今はもう牛車じゃなくて人の操作で自動で移動する車に乗るんだよ」
「ジドオ? 何じゃいそれは?」
「えーとね……まぁとりあえず乗れば解かるよ」
こうして会話が弾む(?)中で朝食は終わり、雷馳は食後の飴玉を鈴丸と一緒に頬張るのだった。