其の参拾肆:帝の品格
「貴様らは何者じゃ!?」
身構えた姿勢を保ったままそう告げる雷獣に、千晶は半ば面倒臭そうに頭を掻きながら答える。
「どうも状況が理解できていないみたいだな。お前は大百足に倒されたところを、俺達が助けたんだ」
「助けたじゃと……!? 一体どういうつもりじゃ!!」
千晶が言っても尚、警戒態勢を解かない雷獣は怪訝そうな口調で述べる。
「どうもこうも、お前をそのまま放置して死なせるのは忍びないと、この俺の妻がな」
千晶の言葉に雷獣は、改めて立ち尽くしている爛菊へと視線を向けた。
「妻……? お主はともかく、女の方は見る限り人間のようじゃが」
「ああ、今はな」
「今……? 言っている意味がさっぱり分からん」
相変わらず威嚇するように、雷獣は全身に纏った電流を閃かせる。
だが別段恐れるどころか気にした様子もなく、千晶は悠然と一歩前に進み出た。
「俺達は人狼だ。妻は人間に生まれ変わったんだ。前世で一度死んでな」
「生まれ変わり……? とりあえず、お前らはこちらに害はなさそうじゃな」
雷獣の偉ぶった口調に、千晶は不愉快そうに腕を組んで言い放つ。
「当然だ。助けたんだからな。感謝はされど文句を言われる筋合いはない」
すると全身に纏わせた電流を収めると、雷獣は落ち着きを見せた。
「それはすまなかったのぅ……助けてくれたことに礼を言おう、人間の女」
「爛は……わたくしの名は雅狼朝霧爛菊」
これに雷獣は首肯してから、突然パシンと電流が宙に瞬いたかと思うと、そこには――。
「え……」
「――子供?」
人の姿になった雷獣を見て爛菊と、そして特に千晶は絶句した。
「むっ! 失礼な! わしは子供ではないわ! これでも七十年は生きておる!!」
「――……子供だろうが」
千晶はボソリと口にしながら、その小さな背丈に水色の髪色をした少年が青紫色の双眸で自分を睥睨してくる雷獣を、白々と見下す。
一見、八歳くらいの子供に見えるのは爛菊にとっても否めない。
見た目だけでは、とても愛らしく見える。なので爛菊は尋ねた。
「……女の子?」
「男じゃたわけ!!」
「あら、ごめんなさい」
外見八歳くらいの人間の容姿をした雷獣からの一喝に、爛菊は素直に謝る。
自分の妻をたわけ扱いされて、不満さを露わにしながら千晶が投げやりに言った。
「で、名は何と言う。雷獣」
「人に名を尋ねる時はまず自分から名乗るのが礼儀じゃろうこのボケ」
「うちの妻は先に名乗ったが?」
「む……っ」
千晶に指摘されて、雷獣は言葉を詰まらせる。
暫しの沈黙。
雷獣は気まずそうに俯き、口を尖らせていて落ち着かない様子だ。
返事を待っていた二人だったが、千晶はおもむろに嘆息を吐く。
「名無しか……」
「……」
これに雷獣は屈辱的な表情で、口を真一文字に引き締める。
「お前、今までずっと一人で生きてきたんだろう」
「じゃっ、じゃからと言って何も知らんわけでもないし、別に……一人の方が、気楽、じゃし……」
更なる千晶からの追求に、雷獣は下唇を噛み締め、落ち着きなく下ろした両手を揉んでいる。
すると爛菊が突如しゃがみこんで、雷獣と同じ目線の高さになった。
「なら、爛が君に名前をあげる」
「え……」
驚いたように目を見開くと、自分でも思いもよらない展開に雷獣はその青紫色の両目に光を宿して、爛菊を見つめる。
「ライチはどう? “雷が馳せる”と書いて雷馳。最初は雷蔵とか考えたけど、あまりにも年寄り臭いし君には似合わないから」
言うと、普段は表情が乏しい爛菊がふと優しく、雷獣に微笑みかけた。
「雷……馳……わしが、か……?」
「ええ。イヤ?」
これに思わず雷獣は慌てる。
「う、ううんっ! いいっ! あ……い、いや、まぁその……ふっ、ふん! 別にそう名乗ってやらんでもない」
「――良かった」
爛菊は言うと、両手を上げて雷獣――雷馳の背に両腕を回して、そっと抱きしめてきた。
「あ……」
「行くところがなかったら、ここにいてもいい。雷馳」
彼女の抱擁と言葉に、雷馳は今まで味わったことのない、とても暖かな喜びを覚える。
胸はドキドキと高鳴り、今にも飛び跳ねんばかりの嬉しさだった。
なぜならば雷馳は、物心ついた時には既に孤独だったからだ。
家族というものを知らない。ゆえに。
「……ま、まぁお主がわしを望むなら、別に一緒に住んでやらんこともない――」
直後。――ガンッ!!
脳天に直撃した衝撃に、雷馳の目からスパークが走る。
「ったく素直じゃない小僧だ。仮にも人狼皇后からのお言葉だぞ。少しは敬え」
千晶は吐き捨てると、顔の前まで持ち上げた握り拳にフッと息を吹きかけた。まるで銃口から揺らめく硝煙にそうするかのように。
「えっ! 皇后!? お姫様!? 王女!? 女王!?」
雷馳はコブのできた頭を抱えながら、自分の両肩に両手を置いて見つめてくる爛菊にまくしたてる。
「え、ええ、まぁ、人狼族の、ね。雷獣族にはどうでも良いことかも知れないけど」
「いや、それでも他族だろうが皇后であることには変わりないのじゃから……これはご無礼つかまつった」
「気にしないで」
「すると、お主はつまり……?」
雷馳はふと今度は爛菊の背後に立っている千晶を見上げる。
「ん? ああ、俺か? 俺は人狼族の帝、雅狼如月千晶だ」
「帝……!!」
千晶のさりげない言葉に、雷馳はまるで脳裏に電流を受けたかのような(と言っても雷獣ではあるのだが)衝撃を受けた。――ような顔を見せた。
雷馳の様子に千晶はどこか勝ち誇った表情で、ニヒルに口角を上げる。
「にしても威厳が欠けるのぉ」
どこか白けたような口調でぼやいた雷馳の言葉に、千晶は途端に眉宇を寄せた。
「ランは品が良いが、お主はそれが見えん」
「おいっ! 人の妻の名を馴れ馴れしく呼び捨てにするな小僧!」
「それは悪かったの……――って! こっ、小僧小僧と主も図々しい! わしをガキ扱いにすると後悔するぞ!!」
束の間言い合った千晶と雷馳だったが、ここで突如千晶が話題を変えてきた。
「で、ちなみにどうしてお前は大百足とやりあっていたんだ」
これに雷馳は不敵そうな態度で両腕を組んだ。
「む? それはじゃなぁ、飴玉を買いに行こうとしたら偶然出くわしてしもうたんじゃ」
「……飴玉だと? あんな暴風雨の最中にか? つか、飴玉ってどれだけ子供丸出しだよ」
からかうように、愉快がって笑う千晶の反応に、雷馳はムッとする。
「甘味類は適度に取らねば、阿呆になるのじゃぞっ!!」
思わずむきになったせいか、雷馳の尻からポムと自分の背丈より大きく太くてモフモフした、それでいて平たい尻尾が現れた。
「ではこっちへおいでライちゃん。家に多分アメがあったと思うけど、何味だっただろう? ミルクキャンディーだったかな、スズちゃんが好んで食べてるの……とりあえず、それをあげよう」
「本当かの!? ラン殿! わしに喜んでもらえて光栄に思うが良いぞ!!」
こうして雷馳は無邪気に爛菊と手を繋いで室内へさっさと行ってしまった。
「あの老人小僧……上手く爛菊に取り入るとは……」
車庫で一人、千晶はぼやく。
ちなみに、爛菊の立場を知っても高飛車で偉ぶった態度や言葉を直さないのは、最早雷馳の性格とも言えたが本人には自覚はなかった。