其の弐拾伍:死をも貫く牙
黄金の光を帯びた双眸で千晶は、縊鬼が憑依している爛菊へと睥睨した。
「ではまず貴様を絞め殺してやろうか」
「できるものならやってみるがいい」
「首を絞めよか、首を絞めよか。クックックックック……」
縊鬼が憑依している爛菊は、不気味な笑みを浮かべて両手を上げ千晶の方へユラリと歩み寄ったかと思うと、突然素早い動きで千晶の首を掴んだ。
「ぐ……っ!」
外見は爛菊でも中身は縊鬼のせいもあり、千晶の予想以上の力だった。
「何て……力だ……!」
彼女の自分の首を絞めてくる両手首を掴みながら、千晶は声を振り絞る。
やがてもつれ合うように床へと倒れこむ二人は、爛菊が千晶に覆い被さる形になった。
「イッヒッヒ……言うたはずだ。殺めた人の数だけ強ぅなると。人狼の帝たる貴様をこうして押し倒すほどのこの力……どれだけわしが強ぅなったか、篤と実感できたわ」
爛菊の艶やかな漆黒の長い髪が、彼女の下敷きになっている千晶の両側を覆い隠す。
途端、影になっている彼はケロリとした表情に戻ったかと思うと、平然と述べた。
「何だ。力に溺れて俺の実力に気付けないのか。まだ俺は、本領発揮していないぞ」
「何だと……?」
直後、千晶は両手を爛菊の胸に押し当てた。
「牙の息吹!」
すると勢い良く爛菊の体内から縊鬼が吹き飛んで引き剥がされた。
縊鬼の離れた爛菊が、ガクリと脱力して千晶の上へと倒れ込む。
「爛菊! 大丈夫か、しっかりしろ爛菊!」
「ぅ……千晶様……ごめんなさい、爛がまだ未熟なばかりにこんな失態を……」
「油断するな爛菊。縊鬼はまだ無傷だぞ」
千晶は爛菊を抱き支えながら上半身を起こす。
一方、爛菊の体内から弾き飛ばされた縊鬼は、怒りの表情を二人に向けて天井付近に浮かんでいた。
「おのれ獣の分際で……!」
「だったらどうした」
ゆっくりと立ち上がった千晶には、黄金色の毛並みをした狼の耳と尻尾が出現していた。
不服さを露わにして縊鬼は、いざ千晶に襲いかからんとばかりに両手を持ち上げる。
「小癪な! やはり貴様から先に死を喰ろうてやる!!」
「フン……自殺や事故死などでしか相手を殺せん貴様に、この俺が殺せるものか」
落ち着き払った口調で千晶は、金髪の前髪を冷静に片手で掻き上げた。
これを合図とばかりに上から飛びかかってきた縊鬼をヒラリと身をかわして千晶は、身軽に天井角へ足から飛び移ったかと思うと壁を蹴り、下方になった縊鬼の背中へと鋭い爪を振り下ろした。
「ギャッ!!」
千晶が与えた縊鬼の背中の爪痕から、どす黒い霧のようなものが溢れ出る。
「これだけでは済まさんぞ」
千晶は言いながら床に着地すると、再度床を蹴って縊鬼の喉笛へと喰らいついた。
そのまま勢いに任せて千晶は縊鬼の首に牙を立てた状態で、周囲をグルリと一回転してから口を離して床に着地した。
「グ……ッ、ガ!!」
縊鬼は一周された首の傷跡に両手を当てて喘ぐ。
やはり首からも、どす黒い霧のようなものが溢れ出ている。
「俺から殺しはすまい。貴様こそ、我が妻の餌食にしてやる」
唇をペロリと舌で舐め上げながら黄金色の尻尾を一振りし、千晶はもがき苦しんでいる縊鬼を鋭利な光を宿した金色の双眸で冷ややかに睥睨した。
「爛菊、奴の妖力を吸収しろ。全て残らず吸い尽くせ」
千晶からの指図に、爛菊は無言で首肯するとそれまで蹲っていた姿勢から立ち上がり、形作った指先を額に当てて抑揚のない静かな声で言い放った。
「縊鬼、お前の妖力全てを、この爛菊が貰い受ける」
すると縊鬼の背中と首の傷口から溢れるどす黒い霧に混じって発生した、青白い気体を爛菊の額に浮かび上がった紫色に光る文字と共に、ゆっくりと彼女は吸気する。
「お、のれ……おのれぇっ! よ、くも、このわしが高めた妖力をぉぉ……っ!!」
縊鬼は身を捩って呻きながら、やがて姿が薄れていき、ついには消えてなくなった。
爛菊は胸一杯に息を吸い込むと、縊鬼が掻き消えると共にコクリと息を飲み込んだ。
「……調子はどうだ爛菊」
静まり返った教室で、爛菊の様子を窺いながら千晶はそっと尋ねる。
これに相変わらず抑揚のない静かな口調で、爛菊は無表情に彼へと呟く。
「今は平気。でも、取り憑かれていた時は夢の中のような、ぼんやりとした感じだった」
彼女の言葉に安堵しつつ、千晶は首肯する。
「奴は元々ただの亡者から、妖怪化したものだ。本来冥界では自分と同じ死に方をした魂と引き換えに転生できる仕組みになっているのだが、今回の縊鬼の場合は積極的に生者に自殺や事故死を幇助させることで、もはや転生よりもこれらの死の味を覚えたのだろう。自分の妖力を生者から高めることを“鬼求代”と言うんだが、それにより妖怪化した不浄的存在だ」
千晶の話を聞いて、爛菊はふと表情を落ち込ませる。
「爛がまだ妖力が弱いせいで……」
消え入りそうな言葉で呟く爛菊。
すると千晶は彼女の手を取った。
「気にすることはない。実際お前は嶺照院にいた頃よりもずっと妖力を得ている。もう単純にただの人間ではない。お前の力が及ばない時は必ず俺が助けよう、爛菊」
「はい、千晶様……」
力強く手を握ってくれた千晶に、爛菊は微笑を浮かべて首肯した。
しかし、なぜ突然この学校関係者を縊鬼が狙い始めたのかというと、ここには千晶や鈴丸に影響されて妖気が渦巻き始めている。
更には爛菊が妖力を増加することにより、その都度また妖気が高まる。
よって自然にこの学校に妖怪が招かれる作用ができはじめているのだった。
千晶から手を引かれて歩き出そうとした爛菊は、突然足を止めて下方一点を見開いた目で凝視し始めた。
「爛菊……?」
様子のおかしい彼女にそっと声をかける千晶。
しかし爛菊は何かを“見ている”わけではなさそうで、心ここにあらずの状況とも言えた。
「……はは様……?」
ボソリと小さく爛菊は呟く。
“寄るな……っ、寄ってはいけない……!!”
記憶の彼方で、自分の母親と思しき女が結い髪と着物を振り乱しながら、まだ幼い爛菊に牙を向けて威嚇している。
時折絶叫を上げたかと思うと、大きくバタついて短い痙攣まで起こしている。
この様子が恐ろしかったが、当時の爛菊にとって実の母親だ。
見放すことも出来ずにやはり心配で近寄ろうとすると、別の大人の女から腕を掴まれて引き止められた。
“行くのはおよし。お爛、お前の母様はおそらく邪気に取り憑かれている。今の私達ではどうしようもないよ”
「でも……っ、はは様が……!」
無意識ながらも爛菊は記憶を相手に答えてから、つと涙を流す。
これに千晶は彼女が前世帰りをしているのだと気付くと、黙って静かに見守った。
自分が記憶に囚われているとも気付かず、再度爛菊は声を大にして叫んだ。
「はは様――!!」