其の弐拾参:忍び寄る謎の首吊り連鎖
“某日未明、政治家の中上氏が自宅のガレージで首を吊って死んでいるのを、妻が発見し――”
朝の報道番組で大々的に、この事件が取り上げられていた。
確かに今回首吊りした政治家は政道には積極的で、多くの国民からも支持されており、本日も外交関係の予定があって話題になっていたのだ。
その人物が首を吊って死亡しているのが発見され、日本全国が驚愕に揺れた。
日頃の行動や様子、今後の予定からもとても自殺するとは思えない人物で、他殺の面でも捜査するとされているが、足元に綺麗に揃えられた靴の上には遺書らしきものも発見されているという――。
「人間とは愚かな生き物だな。自ら命を絶つのだから」
水菜と豚肉の味噌汁を啜ってから、千晶が口走る。
「ホントだよ。生きているだけでもラッキーなのにね」
鮭の塩焼きを箸でつつきながら、鈴丸が答える。
「人間の欠点は、辛い時に更に自分自身を追い詰めるところ」
爛菊がしらすとネギの卵焼きを箸で持ち上げつつ、気持ちを込めるでもなくさらりと言ってのける。
ゆったりとした朝の時間、テーブルに並ぶ朝食を取り囲みながら三人は、BGMのように垂れ流しているテレビを前にしていた。
「ふむ、さすがは一度こうして人間に生まれただけあって、説得力があるな」
感心げに首肯して見せてから、千晶は鳥そぼろの乗ったご飯を頬張る。
「唯一の味方であるはずの自分自身が自らを責めるなんて、僕には理解できないよ」
呆れたように口にしながら、鈴丸は軽く首を左右に振った。
「人間は二種類に分かれる生き物。それは精神的に強い者か弱い者」
表情に疑問を露にしている鈴丸へ、澱みなく爛菊は率直に手厳しく語るのだった。
やがて朝食を終えると、三人は登校の準備に取り掛かり始める。
ちなみに、昨夜は千晶と一度ディープキスしただけで爛菊は、その後の進展を与えはしなかった。
学校に到着すると、千晶の車から降りた爛菊の前にもう一人の爛菊が姿を現した。
「はぁ~い! 爛ちゃん。来たな、おはよう」
「おはよう、呉葉」
冷静に爛菊から声を掛けられて、ドロンと正体を現したのは信州戸隠の鬼女、紅葉だった。
本名を呉葉というが、妖になってからは紅葉を名乗っていて、親しい相手だけには本名で呼ばせている。
「爛ちゃんが学校の時しか自由行動ができないから、今から満喫してくるよ」
「ごめんね呉葉。世話をかけて」
「別に構わないさ。私が自分で了承したんだから気にするな。三食宿付きで結構楽させてもらってるし、あの嶺照院のジジイを焦らして遊ぶのも面白い」
紅葉は着物姿で、後ろ髪をアップして両サイドから垂らした髪に右手の指を絡ませながら、左腕をウエストに巻き付けるように添えて体をクネらせ、視線を空に向けて愉快そうに言う。
そしてふと爛菊へと視線を戻し、髪に絡ませていた右手を振った。
「じゃあ、下校までには戻ってくるから安心おし。いってくるよ」
そんな仕草を見せた紅葉に、爛菊は可笑しそうにして口元に曲げた右手の人差し指を当てる。
「ええ、いってらっしゃい呉葉」
こうして紅葉の自由行動を見送ってから、爛菊は鈴丸と一緒に校舎へと向かい、千晶は職員室へと向かった。
HRの時間になり、眼鏡姿の白衣をだらしなく着込んだ千晶が、爛菊と鈴丸がいる教室へとかったるそうにやって来ると、いつもの教卓に両手を突く姿勢で盛大な溜息を吐いて、重たい口を開いた。
「おはよう。今日は悪いニュースがある。生活指導をしていた小谷先生が今朝、亡くなったという連絡が入った」
これにクラスの皆は一気にどよめく。
すると、一人の眼鏡をかけた堅物そうな男子生徒が立ち上がった。
「小谷先生の死因は何なのですか? 雅狼先生」
千晶もこれ見よがしにチョイとかけている伊達眼鏡を軽く指で押し上げ、暫しの沈黙の後ズバリと答える。
「どうも首吊り自殺だそうだ。リビングで家族が発見したらしい」
途端、更に教室中が驚天動地となった。
今朝、朝食の時に見た報道番組の政治家といい、登校してから知らされた教師といい、やたら首吊り自殺に関する情報が多い気がして、爛菊は椅子に座ったまま冷静に軽く首を左右に振る。
ふと一列前の廊下側に席がある鈴丸を見ると、特別関心がなさそうに呑気に欠伸をしている始末だった。
ついでに教卓の前に立っている千晶の様子を窺うと、生徒達の騒ぎが落ち着くまでの間とばかり、煩わしそうに耳の穴をかっぽじっていた。
やはり妖にとっては人の死など、人間が蟲の死にいちいち興味を持たないのと同じように、また等しいのだろう。
爛菊も嘗ては健全な人狼であった経験から、その気持ちは分からないでもなかったが、今は人間として生れ落ちて一時的でも人として生きただけに、俄かながらも人の死を悼む心を覚えていた。
死んだ男は学校教師である上に、仮にも生徒に規則やマナー、礼儀などを説教する立場でもある生活指導顧問だ。
苛めだの何だのと命についても重きを置く立場でもある教師が、自ら命を絶つとはどういうことか。
そんな疑問を抱きつつも、爛菊は考えたとて今更どうしようもない出来事に嘆息を吐くしかなかった。
「明後日が葬儀となるが、詳細はまた追って連絡する。さて、今日の予定は……」
ある程度、生徒達が落ち着いたところを見計らって、千晶は生徒を前に気だるそうに口を開くのだった。
三時限目は体育の授業だった。
女子はテニスをすることになっていて、みんなテニスコートに集まっていた。
体育係がラケットやボールが入った車輪付きの大きなかごを、テニスコートの側にある倉庫から出そうとドアを開けた時だった。
直後目に飛び込んできた光景に、体育係の女子の顔は凍りついた。
「キャアアァァァーッッ!!」
耳を劈くような絶叫が辺りに響き渡り、皆一斉にギョッとして声のした方へと振り返る。
倉庫のドアの前ではその体育係の女子が一人、腰を抜かしてその場にへたり込んであわあわと、顔面蒼白で膝を震わせ立つこともできない様子だった。
直感でただ事ではないことを肌で感じ取った爛菊は、脱兎の如く駆け出して倉庫のドア枠にしがみついて中を覘き込んだ。
瞬間、刺すような顫動が背中から広がる。
「青山さん!!」
倉庫の中には、上の柱からロープを下げて首を吊っている、青山という一人の女子生徒の姿があった。
しかも、白目を剥いて大量のよだれを垂らし舌を長く伸ばして、ビクビクと大きなひきつけを見せている。
ということはまだ彼女は首を吊って間もなく、死んではいないということだ。
爛菊は大慌てで彼女の腰にしがみつくと、必死に上へと持ち上げながら叫んだ。
「誰か早く手伝って!! そして救急車を!!」
彼女の鶴の一声で他の女子生徒達は慌てふためきながらオタオタし始め、内から二人が爛菊の手伝いに入って一緒に青山を持ち上げる。
爛菊は周囲を見渡し草刈用の鎌を見つけると掴み取り、倒れているミニ脚立を使って上の柱に下がっているロープを切断した。
途端、一気に下で支えている二人に青山の全体重が圧し掛かり、支えきれずにドォと倒れ込む。
青山は太っていないが、中肉でしかも完全に脱力している人一人を支えるのは、女二人がかりでも大変だ。
しばらくしてから、まるで思い出したかのように青山が咳き込んで喘ぐように酸素を求めた。
やがて青山は担架で保健室に運ばれ、十分後にはやって来た救急車により病院へと運ばれて行った。
体育の授業は中止となり、クラスの女子達は教室に戻って自習となった。
すると四~五人のクラスメイトが話しているのを、爛菊の耳に入った。
「まさか本当に首を吊るなんてね……」
「本当、てっきり冗談かと思ってた……」
「すごいショック……」
「だってあれだけ明るいノリで笑いながら“ちょっと首吊ってくる”って言っていたから、ねぇ……?」
それに反応した爛菊は、このグループに声をかけた。
「その話、もう少し詳しくわたくしに聞かせて頂けないかしら」