其の弐拾壱:変態妖怪ここに極まり
「――変態……」
十二歳くらいの女の子に面と向かって言われて、千晶のプライドは酷く傷つけられたようだった。
「でも、小学生の男子も訪ねて来るんでしょう? 一緒じゃん」
鈴丸がどんよりとしている千晶を他所に、そのトイレの花子さんに声をかける。
「小学生は別に構わないのよ。今では私、都市伝説の一つになっていて、チャレンジしてくる子供達の度胸試しみたいなものだから。でも大人の男だと、どう考えても“変態”でしょ!」
腕組みの姿勢で不愉快さを露にしている花子に、構わず鈴丸は彼女に言葉を続ける。
「じゃあ、僕もその内に入る? 一応高校生なんだけど」
するとしばしの沈黙の後、花子が吐き捨てるように答えた。
「……――変態」
これによって鈴丸も、千晶と一緒に肩を並べて背中を丸め、どんよりと花子に背を向ける形になった。
それに苦笑しながら爛菊が口を開く。
「ごめんなさい。わたくし達、妖怪を探しているの。それであなたの噂を知ってこうして訪ねて来たの」
小学校のここの女子トイレは個室が五つあって、清掃も行き届いていてとても清潔感がある。
その中で居を構える花子は、爛菊の言葉に答える。
「あなた達も妖怪なんでしょう? 妖気を感じるもの。でもあなたは……妖気と言うより人間の匂いの方が強いわね」
「ええ。わたくしはどちらかと言うと人間寄り。本来は人狼皇后だったのだけれど、人間に生まれ変わってしまったから再び妖に戻る為に、いろんな妖怪から妖力を授けて貰って回っているところ。だけど不浄な相手の場合とかは、強制的に妖力を吸収している」
爛菊の話を聞いて、花子の様子が変わった。
「だったら、格好の相手がいるから助けてちょうだい」
「助けて……?」
まさか妖の一人である花子から救出を求められるとは思いもしなかった爛菊は、怪訝な表情を浮かべる。
そんな彼女の様子に、確かにそういう顔をされても仕方がないとばかりに花子は嘆息を吐く。
「まぁ、話せば長くなるんだけれど私は本来、昔からトイレに祀られていた厠神なのよ。江戸時代や昭和の初期くらいまでは信仰が盛んだったの」
言って花子はその場をクルリとターンしたかと思うと、それまでの白いシャツに赤いスカート姿から白い小袖に緋袴といった巫女姿に変化した。
しかし見た目は相変わらずおかっぱ頭の子供のままだ。
「まぁ、あなたの正体は厠神だったの。これで納得したわ」
「ええ、でもここ数十年前からその信仰心も人間達から廃れていって、力も衰えて今では子供の姿になってしまったのよ。そして今やトイレの花子さんなんてふざけた都市伝説の一つとして納まってるわけ。まぁでも、花子は私の昔からの本名ではあるのだけれど」
それは江戸時代から厠神を祀る為に白と赤でできた紙人形と花を便所に飾る習慣があり、よってそこから厠神は誕生し白と赤の衣装姿となり名前も花子となったのだ。
「一つ質問なんだけど、いいかな?」
何とか気を取り直した鈴丸が、花子に振り返っておそるおそる訊ねる。
「なぁに?」
「全国区では、小学生をトイレに引きずり込んだり、首を絞めたりして殺す話もあるけど……」
すると花子は、再び嘆息を吐いた。
「それは信仰心が廃れたせいなのと、トイレをいじめの場所などの不道徳や不衛生などで大切に扱わない所によって、いよいよ存在が危うくなってきた下賤の厠神もどきよ。その悪影響で人の子を殺すようになってそれにより別の形で妖力を得て、不浄の妖怪となるの」
「君は大丈夫なの?」
「私は生粋の厠神よ。例え都市伝説に成り下がろうとも人間が信じる限り、存在し続けられる」
「確かに、それはそうだね」
すると鈴丸と花子の会話に、爛菊が割って入る。
「それはそうと、花子さん。今あなたが仰った助けて欲しいと言うのは、どういう意味?」
瞬間、花子の表情が急変する。
そしてくぐもった声で花子は言い放った。
「それはね……この窓の外にいる変態妖怪からよ!」
花子に声を大にして言われて初めてトイレの窓の方へと顔を向けた爛菊は、その光景を見て目を見開いてからピシリと硬直した。
そこには、頬を紅潮させ荒い息遣いで必死に中を覗きこもうとしている、巨大なハゲ頭のおっさんの顔が張り付いていたからだ。
すると同じく窓へと顔を向けた千晶が、ボソリと力なさげに呟いた。
「ああ、何だ。加牟波理入道か」
「が、がんばり……?」
一体何にそんなに頑張っているのかと言わんばかりに、爛菊の口元が引き攣る。
「加牟波理入道は、トイレに現れる妖怪で、分かりやすく言うと人が脱糞中とかに覗きをしてくるんだよ」
鈴丸がその異様な光景の中でも、笑顔であっけらかんと答えた。
「一体何の為に……?」
爛菊が必死に声を絞り出して訊ねる。
花子に変態呼ばわりされ顔も伏せたきりで口も利けないほどショックを受けていた千晶だったが、爛菊の別の意味で恐怖に戦く様子に何とか助けになろうと反応して答える。
「この妖怪の性癖だ。淫楽に取り付かれた入道が便所にいる女を主に見張るんだが、その時夢中になりすぎて白目を剥くから、“眼張り”ともあだ名されている――」
「要は変態妖怪ね!?」
爛菊は激しい嫌悪感を露にして、思わず花子と一緒に手を取り合って身を寄せていた。
「あの言葉を言わなかったのか?」
千晶が爛菊と一緒に不気味がって身を寄せ合っている花子に訊ねる。
すると巫女姿の花子は、目を吊り上げて答えた。
「あの言葉は大晦日の晩に人の子が唱える事に意味を成すのよ! 厠神の私では効果はないし、どこに大晦日の晩にわざわざ小学校のトイレに来る物好きがいるのよ!」
そう答えたこの少女の言い分はもっともだった。
「大晦日の晩以外に、その言葉を唱えると不幸になるとも言われてるから、ワンチャンスだよね」
平然と口にする鈴丸に、爛菊が問いかける。
「その言葉って、何?」
これに鈴丸が腕組みして頭を傾けながら、今度は千晶に訊ねる。
「う~ん、言っちゃっていいのかな?」
「別に構わないだろう。俺らは妖怪なわけだし」
千晶からの返事に、鈴丸は口元を綻ばせて首肯した。
「だよね。あのね、その大晦日の晩に人間の子供が唱えるとその一年は姿を現わさなくなるっていう言葉が、“がんばり入道ほととぎす”なんだよ。これを三回唱えればいいんだけど……」
すると、必死に窓へその巨大な顔を張り付けて、トイレの中を荒い息遣いで覗いていた加牟波理入道は、突然口をかぱりと開いた。
咄嗟に身構える爛菊。
だが、加牟波理入道の開かれた口からは、小鳥が吐き出された。
そしてその小鳥は、軽やかな囀りを上げながら言葉を唱えた鈴丸の頭めがけて、突き回してくる。
「いていていて……うー、ニャウッ!!」
懸命に頭を庇っていた鈴丸だったが、ついに煩わしさから爪を伸ばしてその小鳥を叩き落してしまった。
身構えていた爛菊は、思いもよらない加牟波理入道の攻撃方法に、呆然としてしまった。
一方鈴丸は、叩き落した小鳥をバリバリと食べてしまっている。
これを見た加牟波理入道は、更に荒い息遣いでトイレの窓に顔を押し付けてきた。
全身がでかい入道なので、頭が中に入らないのだ。
だがどういうわけか、自分が鳥攻撃を行った鈴丸の思いもよらない反撃に、奇妙な性的興奮を覚えたらしく、頬も紅潮している。
「きっ、気持ち悪い! 早くこの変態の妖力を奪ってよ! お礼に私の妖力も分けてあげるから!」
「わっ、分かっているけれど爛も、この種の妖怪の妖力を吸収するのにはある意味、勇気がいるの!」
それまで個室で一緒に身を寄せ合っていたが、花子にグイグイ背中を押されながら爛菊は、興奮している加牟波理入道の顔の前へと姿を現す形になった。